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見ている先が違う事に気づけない事こそ悲劇

もうすぐ年度が変わる。小2長男はもうすぐ小3長男となる。

この一年、長男の意識は変わった。学びに対して、学校に対しての拒否感は限りなく薄まった。
私は少しでも長男の学習障害について情報を得られそうであれば西に東に、リアルにネットに奔走した。
そのかいあって、様々な情報を得られたし人々に繋がることができた。

しかし、学校からはいまだに「学校で過ごす時間を増やしていきましょう」と言われる。気持ちの問題という感情論でしか話をしてこない学校を理解し難かった。
別室登校では工作やけん玉コマ回し、少し勉強的なものといっても読めはしないプリントを出される。

長男の学びはどこで保証されるのだろう、読み書きが一般的な児童と同じようにできないのに、まるまる一年学びから遠ざかっている。
私は夏休み前後から焦っていて、手を変え品を変え学校へ掛け合っていた。しかし学校からの返答はいつも「学校に来ること、時間を伸ばすこと」についてで、学びについての事になると「お家で使っている教材を持ってきて頂いて結構です」という返答しか無かった。

学校は何を考えているのか分からなかった、学校にさえ来ていればいいと思っているのか、不登校の数字に上がりさえしなければそれでいいと。親の焦りは学校に全く伝わっていないようだった。

それどころか、学校には、訴えた事が全く伝わっていないという事が分かった。伝えているのだが理解されていないと言えばいいのか、学校は長男の上辺の姿しか見ておらず何故そのように振る舞うのかという根本があるという発想さえなかったようであった。

長男が何故教室に向かわないのか、勉強に自主的に取り組まないのか、給食を嫌がるのか、掃除の時間を避けたいのか、学校は全てを長男の心の問題つまりは単なるワガママだと捉えていたのだ。

一般児童並みに読み書きができないにも関わらず教室で「できないの?」と問われるかもしれない、自分で学びたくてもプリントに何が書いてあるのか読んでもらわなければ理解できない、食感や匂いのせいで食べれない物があるから給食が食べられない、掃除の時間に何をしたらいいか見通しがつかないのかもしれない。これらは掃除の件以外はほぼすべて繰り返し学校へ伝えていた事だった。

学校は私達親の話を、発達障害支援センターの話を、医師からの意見書を、全て見て聞いていたのにも関わらす全ては本人のやる気の問題だと捉えていたのだろう。

そうではない、読み書きが困難なせいで不安があって教室にいけないのだ、読み書きが困難なせいで一人で勉強に取り組めないのだ、感覚過敏があって給食が食べられないのだ。

そのために不登校になったのであって、そこがクリアにならない限り不登校は解消しないと親である私達は考えている。
しかし、学校はそうではなかった、学校へ毎日きちんと通えるくらいにならないと学びなんてできはしないと考えていたのだろう。

学校は「不登校の問題」としか捉えていなかったのに対し私達親はその次元ではなく「いかに本人に合った学びを探せるか」といった事を模索していた一年であった。

腑に落ちたと同時にこの一年はいったい何だったのかと、なんのために学校へ送迎していた一年だったのだろうと思う。
せめて夏頃からの半年だけでも時間を返して欲しい。学びにアクセス出来なかった時間を返して欲しい。

こんなに不幸なことはない、私達家族と学校の見ている方向が全く違っていたのだ。すれ違っていたのだ、アプローチの仕方が全く違っていたのだ。悲劇でしかない。

学校が、今ようやく長男には個別最適な学びが必要であると認識したのではないかと思う。
散々説明して、今か、といった事が正直な感想である。絶望である。

来月に学校と面談がある、もう、本当に初めて長男の事を説明しますといった気持ちで1から初心者に説明するつもりで資料をそろえ、学校は長男に対してどこで学びを保証するつもりなのかと問いたい。

それで来年度大丈夫なのだろうか、言質をとるまで学校から帰らないくらいの心構えで面談に挑まなければならないのだろうか。

長男は学びに対して一度心が折れている、二度目は無いと考えていると。それは年度始めの面談で話したし、面談の度に話題に出していた。
理解されていないだなんてつゆとも考えていなかった。

勢いで書いたnote、オチも何もない。これで終わる。

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