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正すために、いったん壊す

この世の中、我慢ばかりで何かがおかしいと思いながら、怖くて方向転換できない大人がたくさんいることを知りました。どの気持ちや感覚を信用したらいいのか分からなくて、とりあえず、今日も我慢。という選択をしていたりとか。

私はとてもチキンなのです。
でも、自分の幸せにおいてはとても貪欲で、そこに向かうことに対して、あまり恐怖心がないのは何故なのだろうと考えました。

振り返ってみると高校生のとき、人生で一番大きな挫折を経験していました。

世の中の一般的なレールから一度、道を外れたことがあります。
学生なんて、大人よりも人生の大枠がガッツリと定められています。
子供だから。社会からも大人からも守られているわけです。
要は素敵な将来を歩む大人になるための太枠なわけで、多分、本当は出ちゃいけない、出ない方がいいやつです。(笑)

その頃の時の心境を思い出してみたら、親は泣いていたし、先生は悟りの言葉みたいなので励ましてくれてたし、私は「人生終わった」と思っていました。(笑)
そんな経験してる友達、周りに1人もいなかったし。

でも、崖にしか見えないところから飛び降りても、今こんなに楽しく生きている事実があることは
今の私にとっての”自由に生きても平気”というマインドの後ろ盾になっています。

もしもあの時、無理や我慢ができてしまって、太枠の中で生きられて、そのまま会社とかに就職していたら
私にとってはそれが成功体験になっていただろうし、それ以外の世界を知らないわけですよね。
ただでさえ臆病な私は「このレールから飛び降りても大丈夫だよ」なんて声をかけられても「なんて無責任な!」とか思いながら、どんなにしんどくても、その場に留まっていると思います。

私が今割と大胆な行動ができているのは、過去の経験のおかげなのだなぁと。そう考えると、あの時、あの経験をしておけて、良かったな〜!って思うのです。

その人の人生を正すために、人生が壊れるような出来事が起きることって
結構ある気がしています。

正すというのは、律法的な”正しさ”というよりは
人としての本来の輝きを取り戻すとか、欲望とはまた別の幸せの方向に正すというニュアンスです。

壊れるその時は、終わった・・・もう無理だ・・・って思うかもしれないけど
違う見方もあるのかな、なんて。

そう思うと、失敗とかも、全然失敗じゃなくて1つの経験なのかなって。
私たちって常に成長して前に進んでいるのかも、なんて。

謎のお話w

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!


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