「ぼっち飯」の悦楽

これはかなり前の話になりますが、精神科医の和田秀樹先生の著した『スクールカーストの闇 なぜ若者は便所飯をするのか (祥伝社黄金文庫)』(祥伝社)を読んで衝撃を受けたことがあります。

和田先生の本によると、学食などで一人で食事をしている姿を見られるのが嫌で、トイレの中で食事をするという衝撃的な事象『便所飯』この言葉をはじめて知ったのは本書からでしたが、一方で

「それはある種の『都市伝説』だろう?」

とおっとり刀で構えていたところが、とある調査から10人に1人が

「トイレで食事をしたことがある」

やその中でも20代の5人に1人が

「トイレでの食事経験アリ」

という反響があり、さらには朝日新聞にまで取り上げられていたという話を聞いて、衝撃を受けました。

僕は大体高校時代の終わりごろから「ぼっち飯」状態が始まり、大学時代も基本的に昼は「ぼっち飯」で、夜は当時所属していたサークル(後に喧嘩別れすることになったので名前をだすことは差し控える)で「延長戦」を行うために『ステーキハウス・ヴィクトリア』に行っては、あーでもない、こーでもないと取り留めないことをセットメニュー。金のないときはドリンクバーで過ごしていたことを思い出しました。

上京してからは体一つで全く違う環境に飛び込んだせいもあり、

「大人数で飯を食う。」

「大人数で酒を飲み交わす。」

が当たり前となり、今思えばよくもまぁあんなことを飽きもせずにやっていたものだと呆れてしまうのですが、昼の1時ごろから飲み始めて4次会5次会で2時間ほど仮眠して始発で当時住んでいたアパートの部屋に帰り、また30分ほど仮眠して「あたかも何事もなかったかのごとく」出社して仕事をする、などということが「日常」であったことすらあったわけですが、そのような無茶は得てして、加齢とともにできなくなってしまうのです。

で、そんな生活とも半ば強制的に「オサラバ」せざるを得ない破目に陥った時、「ぼっち飯」が僕の中で復活したのです。更にそのころ読み返していた久住昌之著、 谷口ジロー作画による『孤独のグルメ 新装版 』(扶桑社; 新装版)を読んだことも大きいのかもしれません。

この作品は個人事業主として雑貨商を営む男・井之頭五郎がことあるごとに一人で店に入りそこでひたすら食事をして店を出る、というコンセプトのもとに、1話完結で描かれるマンガであり、のちにドラマ化もされたわけですが、彼の姿に大きく共感を覚え、

「自分は1人じゃないんだ!」

という思いを噛み締めた瞬間でした。

ここまで僕の話を読んで

「ありえなくね?」

と思った方はそれはそれで結構です。ただ、学食や食堂などで一人で黙々と食事をしている人に対して少しでも「偏見」のようなものがなくなれば、僕がこの文章をしたためた意味があると信じております。

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