呟きにしては長いのでこちらに。

今夜、パニック障害の方が駅で泣き叫んでいた。『もうおしまいだ!』と叫んでいた。
苦しそうに頭を抱えながら、
胸あたりの服を掴みながら、
体育座りで細かく体を震わせて泣いていた。

その方は以前、他の駅のトイレで
お会いしたことがあった方だった。

その時は、真後ろで卒倒(?)されたので、
一時的に寄り添わせて頂いていた。
今日は、声をおかけしようと思ったら
職員さんに止められた。

看護チームも来たが症状が収まらないので、
治るまでそっとして置くのだ、ということ。

医療者も手をつけられないほどの
彼女の心の状態が、
彼女をどれほど苦しくさせているのだろうか。
と勝手に考えてしまった。
声をかけることは出来なかったので
彼女の苦しみが少しでもなくなりますようにと
祈った。

彼女の心を追い詰めているのは、
プレッシャーなのか?不安なのか?恐れなのか?
憧れなのか?比較なのか?
ちゃんとしなきゃいけない感なのか?
色々と頭をよぎるが、
私は彼女本人と対話をしていないので
深く考えることを止めた。

彼女は、
助けを求められずに歩んできたのだろうか?

そして、
少しずつでも助けを求めることが今までできず
今、この公の場で
注目を集めながらパニック症状を出す彼女の心は
どんな心なのだろうか。
自分をさらに追い詰めてしまわないことを
祈り願うしかない。
そう思った。

私にとっては赤の他人なのに、
なぜここまで考えるのか。
共感性が強いからこそ私自身も
どこかで苦しくなってしまうだろうから
考えず、見ずにいた方がきっと
私自身の身のためだろうに、とも思う。

私には、
部活のプレッシャーゆえに
パニック障害・解離性同一症を
発症した先輩がいる。

私は部活が苦しかった時は
幸運にも自分から距離をおくことができたけど
彼女は頑張り続けた。
その後、病気になった。
今は元気らしい(何より)けれど、
私は、パニック障害の人を見ると
他人事だと思えなくなった。

小さな取り組みで、気遣いで、
助けで、
目の前の人の苦しみを軽減できるかもしれない。
赤の他人だからこそできる助けも
あるかもしれない。

そう思うんだー。

ひかり。

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