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もし死んでも

人が死んでしまった時、なぜ悲しいのだろう。

もうその人と会話できないから。
その人のいつも見せてくれる顔も見たことのない顔も、もう見られないから。

もう一緒の時間を過ごせないから…。

一緒の時間を過ごすって、その人を感じることだと思う。
喋らなくても、目が合っていなくても、ソファと台所で違うことをしていても、
相手を認識していれば、一緒の時間を過ごしている。

昨日テレビで、「まばたきをする遺影」というニュースをしていた。
最新技術で写真を動かすことができるというものだったが、私はタイトルをパッと見た瞬間「いらねー(笑)」と画面に向かって言った。

家族の人たちははじめその遺影を見た時、「なんかおかしい(笑)」と笑っていた。
でも数分後、みんな泣いていた。

もう一緒に時間を過ごせない、と思っていたのにお父さんがまばたきを返してくれる。
それはご家族にとって、奇跡のように感じたのだと思う。

私は恥ずかしいので、きっと「まばたきをする遺影」は用意しないだろう。
でもここにある文章を自分がいなくなった時に家族や恋人に見てほしい。
いなくなっても、また言葉を交わせるように。
自分の体はいなくなっても、そこに居続けていると教えてあげられるように。

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