比べないこと、について。
先日、このようなツイートをした。
サザエでございます。のように言っている、これ。
このことをnoteで書きたいと思っていたので、書く。
人と自分を比べる人をよく見かける。
私はそれを悪いことだと思ったことは別に無い。
しかし先程のツイートで私は比べないことを「ラッキー」と言っている。
何なら比べないことをある一種の能力とまで豪語している。
非常に自信過剰である。これはなぜか。
理由はひとつ、
メンタルめっちゃ楽~~~~~!!!!
だからである。
人と比べる。
これは人間が成長するときに必要な過程でもある。
だからそれ自体を悪いと思ったことはない。
けれども比べた末に「ああ、自分は…」などとメンタルに不調をきたしている人をよく見かける。
そのたびに思ってしまう。
しんどくなりながらするその成長は、
自分のことを好きでいられることよりも、
大事なことなんやろうか…。
と。
人と自分を比べないということは、
自分と人とを比べないということである。
同じことを引っくり返しているだけに見えてこのふたつは少しだけ違うと私は考える。
「比べない」を「比べる」に変換してみよう。
「人と自分を比べる」は「あの人に出来て自分には出来ないこと」を探す作業で「自分と人を比べる」というのは「自分には出来るが、あの人には出来ていないこと」を探す作業である。
主語が置き換わる。
本当に少しの違いだけど、この違いの分、つまり「比べる」という行為ではついつい否定されてしまう人間が二通りできるのだ。
そして、必ず自分か誰かの一方は否定される。(という現象になりやすい)
ここで話は戻る。
人と自分を比べないということは、
自分と人とを比べないということである。
つまりそれは、自分に出来ないことが出来る人をみてアイツスゲー!って思えて、自分に出来て人に出来ないことをみつけて、ワタシスゲー!と肯定できることである。
肯定力。
これは非常にラッキーなのではないだろうか!?
どうでしょうか!?
ここでひとつ、懸念が残る。
「成長しなさそう」というシンプルなものである。
これに対しては、わかる。
非常によくわかる。
が、はっきり言う。
そんなもん成長できるに決まっている。
もちろんすぎる。
たとえば私はライバルがいたからとても強くなったような漫画のキャラを知っている。
みなさまも思い浮かぶ漫画などがひとつはあることでしょう。
でもよく考えてみてほしい。
あれは本当にライバルと自分を比べているのだろうか…?
強いライバルをみて、スゲーって思って、そのあと敵に倒されたりして、オレヨエーーって自分が悔しくて、そんで頑張って特訓して強くなっているんではないだろうか?
もしかして人と比べてなくて、昨日の弱い自分と比べてるんではないだろうか…?
昨日の自分と比べて、今日の自分をちょっとだけでも良くしようという考えの方が、実は他人と比べるよりも目印が明確でわかりやすいんではないだろうか…?
そう考えると成長できないワケなどないのである。
あと、比べないというのにはもうひとつ利点がある。
自分に出来て当たり前のことを他人が出来ない時にもムカついたりしないのだ。
許せちゃうのだ。
肯定した上に、許せちゃうのだ!(ハム太郎?)
これはとても健やかなメンタルである。
まあしかし、どっちが正しいとかはない。
たぶん一生ない。
めちゃくちゃ比べまくっても、メンタルが健やかならそれでいいし。
でも私はやっぱり、比べないタイプでラッキー🤞と今日も思うのである。
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