愛〜内的な幸せが増すと、外的な幸せに依存しなくなる


愛とは何か。
それは、存在を認め抱きしめること。


最近、オープンサービスとしてやり始めたメンタルモデル探求セッションは、マンツーマンのセッションを通して、メンタルモデルと言われる「葬った自分の『一部分』」を見出し、認め、抱きしめ直すところまでお連れします。
これぞ自己愛。
自分を慈しむこと。


嫌って、恥じて、無視して、ないがしろにしていた「自分の一部分」を認め、抱きしめる。醜くても、情けなくても、これも自分の部分である、と、抱きしめる。』ちょっとドンくさい我が子を、愛おしく抱きしめるように。
すると、愛が増す。


まあ、認め、抱きしめ、つまり愛したんだから、当然、愛が増すのです。
すると…もう、内的に満たされて満足しちゃう。
お金を使って、もしくは他者をコントロールして、外側の幸せを求めなくなる。
1人でいても満たされて、誰かといても楽しいのです。


他には別に、なんもいらん。
内的な幸せは、外側の幸せを放棄させる。
いらんから。
となる。


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さて、コロナによる経済停滞で、自然界が回復しているのをみて、「人類は外側の幸せに依存しすぎて自然界に甘え過ぎたのかもなあ」と思ったりします。


世界の先進国の人々が、いま外的なもので得ている幸せの、例えば4割くらいを、自分の内的幸せでまかなうようになるとしたら、こんなに自然界のものを傷めつけないでいられるのかもしれない。


じゃあ、どうしたら内的な幸せを増やせるのか。


それは……
自分を愛すること同じ。


自分だけでなく、目の前にあるものを、たっぷりと認め、抱きしめるということ。
花を見たとき、「きれいだなあ…」って言って、10秒ほどたっぷり味わう。それが、花の存在を認め、抱きしめるということ。


美味しいものを食べたとき、「美味しいなあ…」って言って、じんわり10秒ほどかけてたっぷり味わうこと。


それが、存在を認め、抱きしめるということ。


てきとーに処理していた「味わう」ことを、声に出して、しみじみと本気で味わい愛でる。
それだけで、もう、内的な幸せは、ましましです。


これ、多分、自粛生活で実感していた人が多いんじゃないかなあ…。
この感覚を今後も続けることで、過剰な経済活動の抑止力になるんじゃないか、というのは、頭がお花畑すぎると言われるかしら。


まあいいや、私はお花畑が大好きだし、これまでお花畑でたくさん乗り越えてきたし(笑)


🌼🌸💐🌼🌸
ちなみに、私は「美味しいなあ」とか、「気持ちいいなあ」とか、「幸せだなあ」とか、
いちいち、いちいち、い・ち・い・ち、言うようにしてみたんです。
だんだん、クセになって来たくらい。


そうしたら、めっちゃ調子いいんですよねえ。
多少、外的に逆境が起きても、あんまりテンションが下がらない。もんもんと引きずったり、気持ちが下がったままにならないのです。


内的な「幸せタンク」が常に満たされているんだと思います。
身の回りの存在を、認め抱きしめているから。


さてさて、やってみませんか?
いちいち、「おいしーい」「きれいだなあ」「気持ちいいなあ」「あったかーい」「面白いなあ」と言ってみること。身の回りのすでにある幸せの存在を認め、抱きしめること。

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