父ってアル中だった?

父のことについては、本当にまとまらない。でも、感情の整理のために、気持ちの覚書としてつらつらと。

母がかつて言った。「○○(父の名前)さんってアル中じゃないかと思う。」

そのとき、アルコール中毒の定義をはっきり知らなかった私は、イメージとして「アルコール飲料を飲んで暴れては人に迷惑をかける人」だと思っていた。そして、その当時の父はそれに当てはまる部分もあったので、そうかもと思ったものである。

父は、そのころ職場でうまくいっていなくて夕方16:30くらいに帰ってきて夕食を作りつつ日本酒を嗜み、食事になるころにはべろんべろんになっていて、帰ってきた母に絡んでこき下ろし、夕食後に風呂に入り20:00には寝てしまい、2:00~4:00くらいに起きて仕事の準備をして、6:30ころに出勤という生活をしていた。

酒を飲まなければいい、飲ませなければいいという人もあるかもしれないが、なにせ、朝になると酔って暴言を投げつけたことを全て忘れてしまい、母より早く帰宅して飲み始めてしまうのである。いったん飲み始めれば止まらない。もちろん、子供の制止など聞かない。素面のときに、こんなことを言った、と伝えても取り合わない。仕事へは影響が出るほどまでいってはいないため、他人にはわからない(まだ抑制が効いていたのだろうが、飲み会ではどうだったのだろうか…職場の人は気を遣ってこちらには言ってきてなかっただけなのか?)。被害者は母だ。母に対する当たりは本当にひどかった「君にはわからないだろう」「そんなことじゃないんだ」……。気を許しているのがそのまま暴言となって出てきているようだった。職場でストレスを溜めると酒量があがる。もともと強い人ではない。5日以上でなくなっていた一升瓶が2日で空く。酒量が増えていると言っても認めない。マジックで一升瓶に線をつけて示しても不機嫌になるだけ。この状況が改善するのは、もともとのストレス源である職場のトラブルが改善したときだけだ。

母以外に暴言が向くことは少なかったが、私にも向いたこともある。酔って食事の用意をするので、塩加減がむちゃくちゃだったり、投げ込むように揚げ物を油に放り込んだり(いつ火事になるかとひやひやした)、炒め物が焦げだらけだったり、色々悲しく怖かった。母も離婚の文字が心に浮かんだのではなかろうか。

父は本質的には弱い人間だったのではないかと思う。ただ理性的でありたい気持ちがとても強かったので、原因が弱くなればまだ何とか自分で回復できたが、もう少しストレスが強かったら、もう少しストレス状態が続いていたら、と思うとゾッとする。

母は生まれや育ちのこともあるが、父よりずっと強い人間だったと思う。父は無意識のうちに母が自立した人間だから、自分が寄りかかれる人間だから選んだのではないかと思う。こうして父のことを思い出して書いていると、父は自分以外の存在に責任を持ちたくない我儘なマザコンだったのか、それとも男は皆マザコンということはこういうことなのか、と考える。

アルコールに飲まれる夫は要らない(将来的に子供もNG)。そして、現在我が家では、日本酒をもらうともれなく料理酒となっている。

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