【寿司、それは感覚をひらくもの】

ここでひとつ質問しよう。
これまでの人生で、あなたが最も美味しいと感じたものは何だろうか?

旅先で味わった数々の美食や家庭の懐かしい味を思い浮かべるのもいい。その味には必ず、万人を幸福にする魔法がある。古今東西、食によって人間は世界を更新してきた(と言っても過言ではない)。

さて、何が言いたいかと言うと、今年の2月、私は出会ってしまったのである。そう、人生の価値観を大きく変える、あの寿司に。
冷たい風が日本海に凪ぐ石川県能登半島、はるばる寿司を求めてやって来た。目指すべくは、前田利家公の領地として長らく栄えた石川県七尾市にひっそりと佇む一軒の寿司屋だ。

カウンターに8席、座敷と合わせても20弱席ほどの小さな店内。
暖簾をくぐると、女将さんの朗らかな声に案内される。
カウンターにのぞく新鮮な魚貝たちに早くも胸を高鳴らせつつ、おまかせを注文。14貫で3000円ぽっきり。異常に安い。
しかしこの値段で侮ってはいけない。この店の本領発揮はこれからだ。

「そのままでどうぞー。」
大将のやさしい声が響く。スタートはヤリイカだ。
驚くほど丁寧に割かれた透明なヤリイカに、さらりと振られた塩とユズがほのかに香る。ひとつ口に入れたら最後、イカの旨味とシャリの絶妙な温度が溶け合い、後から塩気がじわじわとやってくる。なんだこのヤリイカは?!最高に美味い。旨い。どの字を当てていいかもわからぬほどに、うまい。

それからは言葉を絶する日本海の至宝と最高峰の職人技のオンパレードだ。
美しくさばかれたアジ、カワハギ、ユズの香る昆布〆のヒラメ、口の中の温度で旨みが溶けていく絶品の中トロとウニには体がしびれた。驚いたのは生牡蠣の軍艦!さらりとたまり醤油を塗った牡蠣に、シャリの甘みと海苔の風味が混じり合い、口の中はカーニバル。シメのラスボスはなんと白子の軍艦。プルプル、ふわふわの甘い白子をじんわりと噛み締めるうちに、ユズと白髪ネギのシャキシャキした食感がグっと旨みを引き立てる。これには昇天しかけた。この瞬間、日本海にダイブして命を絶っても悔いはない。いや、あと数回(できれば数十回)はこの寿司を味わって死にたいのだが、最高の美食は人間の死生観をも変えてしまうパワーを持っているのかもしれない。

もはや何を言っているのか自分でもわからないが、この寿司を食べている間、私の体はどんどんと覚醒し、味覚、嗅覚、食感を超えて、感覚という感覚がひらいていくのを感じたのだ。いつもと違う文のテンションで申し訳ないが、食からひらかれる「感覚」もアリということでお許し頂きたい。

(「感覚をひらく」コラム2013年3月19日より。おなか減ったので引用)


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