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幼魚のシーラカンス

家の裏手に、車一台がやっと通れる狭い道路がある。朝が来ると、東側の背の低い家々が道いっぱいに影を落とし、日向と日陰の縞模様が織りなされる。
帽子を目深にかぶってこの道を歩くと、四角い日陰のかたまりが、誰も居ないエレベーターのようにゆっくりと視界をよぎってゆく。

夏の季節さえ、美しく生きられたら何かに勝てるような気がする。海老と枝豆のジュレを口に運びつつ、そんなことを考える。切れ味の良い出汁の風味に程好い酸味をきかせたジュレは、同居人が家に招く友人のために試作を重ねたものだ。目前に居る人を安心させるために、口にふくんだ瞬間目を見開き、美味しいね、と声をあげる。
安心も、美しく生きるにあたっては一つの重要な要素である。以前、知人に撮影された動画をみて、自身の不安げな笑い方に軽く絶望したことがあった。紐の両端をくっと持ち上げるようにまっすぐ笑えればいいのだけれど、私の笑顔は何か、口の端に小石でも詰めていて、それを迂回してきたような歪みを持っている。さかさまの自分が映るスプーンに海老と枝豆を一粒ずつ載せ、昨夜やすったばかりの爪をしげしげと見ている人の唇へ運んだ。

ダイニングに座り、色水のような麦茶を啜りつつ小説を読みすすめていると、あと十分で着くらしい、と奥の部屋から声がした。
アルコール中毒の若き母とまだあどけない息子が、下着の黄ばんだものとまだ十分な白さがあるものとを選り分けている場面に栞をさす。
日焼け止めを塗って玄関を出ると、八月の太陽の、何か意地のようなものを感じさせる猛暑だった。
私は私で、友人と会う約束をしている。コインランドリーからうるうると流れ出す熱風の、濃い石鹸臭に背中を押されて駅へと向かった。

商店街の黄ばんだアーケードも、今日のような快晴の下では、笑い皺にも似た好ましい年季にみえる。端から端まで一通り歩き、空調があまり効いていない喫茶店に腰を落ち着けた。壁にはどういう訳か側面が真っ青に塗られたショートケーキの絵が飾られていて、それを目の端に留めつつ世間話に花を咲かせる。

人と話すことは楽しいと、率直な感情を自覚するようになったのは直近半年ぐらいのことだと思う。大学時代はとにかく苦痛だった。人が何かを語る際、語られない部分が必ず発生する。レコードのA面を聞いている時に、B面に刻まれた音楽は聞こえない。私は聞かれないままの声があることを過剰に恐れていた。

しかしそういった臆病さも、会社という、個々人のバックグラウンドをなるべく単純明快なものとして捉えようとする場に慣れてゆくなかで徐々に薄れていった。今では楽しいという感情に対するかすかな罪悪感のみが、テーブルに染みついた羽虫の体液のように残っている。
会話の合い間で小休止としての沈黙が来る度に、アイスティーに沈められた輪切りレモンの三角をストローで順番に貫いていった。

夕暮れが来て、友人と別れ、その足で同居人連中の待つ鉄板焼き屋へ向かった。彼はすでに正体をなくしていて、七、八年も前の悲しい出来事について、とらえどころのない愚痴を繰り返していた。
それでも皆は根気強く、軽口をたたきながらも、寄り添うように耳を傾けていた。積もる内輪話を遠慮させないため、簡単な挨拶を済ませてその場を後にした。

二十二時頃、彼氏からメッセージが届く。「いまからかえる。みんなが送ってくれてる」と。間もなく玄関で、鍵を回す音と、ぱらぱらと話し声が聞こえた。
優しい友人たちは、階段しかないこのマンションを、わざわざ三階まで上って送り届けてくれたのだ。にもかかわらず彼は、「下まで送ってくる」と今来た階段を降りてゆく。慌ててサンダルを突っかけ後を追うと、踊り場にある薄ぼけた窓の前で彼は立ち尽くしていた。

見ると、遠ざかっていくなかで彼に最後までみえるよう、三人が体をくの字に折り曲げて手を振っている。背後では、ドラッグストアの店先の値札がいっせいに風に吹かれて、鱗のように光っていた。

皆が跡形もなく去ってしまってやっと家へ入ると、彼はぼろぼろと泣いていた。
「今日楽しかったね」「寂しいね」と声をかけると「そうかも」「そうかも」と涙まみれの顔を拭いもせずに笑う。

そして灰色の玄関で、「おもしろかった」と一言、大きく体をゆらした。


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