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快復の1週間

1

男は息をしていなかった。担架に乗せられ刑場から運び出された時も、誰もが死んだものと疑わなかった。

春の日差しが良かった、という者もいる。
灼熱の太陽の下だったら、とても生きていなかっただろう、と。

ともかく男は生き残った。
それが後々、大事件として人々に記憶されるようになるとは、露ほども思うことなく。

2

男には弟子がいた。
彼は、2番目に古参の弟子だった。

師匠が、祭りの屋台を壊して廻り、商売人にリンチを受けた際、真っ先に逃げ出した。
知らぬ存ぜぬで、朝まで逃げ惑った。

だから、一週間経ち、師匠の妻から、意識を取り戻したと聞くまでは、師匠と一緒にリンチを受けて死んでしまった仲間に、すべての責任を押し付けていた。

3

いざというときの師匠の身代わり用に、そっくりに仮装していた弟子も、生死の境をさ迷った。

自分が意識を取り戻した時、師匠の訃報を耳にした。師匠を守れなかった悔恨から、彼は男泣きに泣きはらしていた。

だからこそ、師匠が快復したと聞いた時、いい加減なことを言うな、と看病者に当たり散らした。

しかし、奇跡的な快復を目の当たりにした。彼は、再度、涙を流し、神と、この世のほぼすべての人たちに感謝を捧げた。

感謝の相手は、もちろん、リンチの場から一人だけ逃げ出した兄弟子ではなかった。

4

会計手伝いの男がいた。ただただ「いい人」だった。

師匠が祭りの屋台を壊してしまい、店の若い人たちと揉めていると聞き、賠償のために現金を持って走った。

師匠は、無事だった。

人々から少し離れたところに、弟子を連れて歩いていた。ホッとした彼は、師匠に駆け寄りキスをした。

5

これから年に一度の大祭だというのに、田舎者どもに自分たちの屋台を壊された 店主たちは、怒り心頭だった。

田舎者というだけしか分からない。どんな人間かも分からない。体格のいい男たちもいる。なにより、屋台を壊したのが、よく似た二人のうち、どっちが本人か分からない。

きっかけがあれば殴り掛かろうと様子を伺っていると、どこからか出てきた若者が「先生っ!」と大声を上げながら、端っこにいた方に抱きついた。

店主たちは、誰からともなく「今だっ!」と声をかけあい、男たちに殴りかかった。

殴られる方は、反応が遅れた。

一人逃したが、金は奪った。瀕死の3人のうち、「先生」と言われていた輩を、大祭を汚そうとした不敬の輩として、一旦、治安当局に引き渡した。

6

一番弟子は、ある時から師匠の番頭として生きてきた。

師匠が、ずっと批判してきた本社の大祭に行く、と言い出した時、彼は、自分の不安が的中した気がした。

番頭には、番頭にしかできないことがある。

彼は、自分の人脈を総動員することにした。離れた場所ではあったが、宗主国との交渉に長けた議員や支援者たちに連絡をとり、支援の約束を取り付けた。

トラブルにあった時のためのお見舞金は、あらかじめ別に取り分けておいた。

師匠の妻には、気丈に振る舞うことを、無理を承知でお願いしていた。

だから、師匠がリンチにあい、自分の部下も半殺しにあったと聞いた彼は、怒る前に、なすべきことをした。

先に約束してもらった議員や支援者たちに連絡をとった。師匠が正式な死刑に処せられたのではないことが確認できたので、議員にはご足労願ったが、偽名を使って同行し、師匠を刑場から取り戻した。

死んでしまった部下の亡骸も回収した。

だから、ほとぼりが冷めた頃になって戻ってきた弟弟子が、自分だけリンチの場から逃げ出したことを隠し自己弁護に汲々とし、死んだ部下を罵るのを聞いて、めづらしく激怒した。

7

快復する師匠を、どこに逃すか? 議論は尽きなかった。

故郷に帰ろう、と、師匠の母は言う。ここには、もう居られないでしょう、と。

故郷にも戻る場所はありませんよ、きっと見張られています、という反対の声。

しかしともかく、師匠とその妻は旅立った。

その行方は、誰も知らない。

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