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Rhizomatiks Beyond Perception

2024/08/03 まだまだ暑さが感じられる午後4時。天王洲アイル駅から徒歩10分程度。それでも太陽の強い光が肌にあたるとそれだけで体力が持っていかれる。

今回はKOTARO NUKAGA (天王洲)で開催中のライゾマティクスによる「Rhizomatiks Beyond Perception」にやってきた。品川近くに足を運んだ時はぜひ。他にも様々な個展が開かれている。

展覧会自体は15-20分で鑑賞できるコンパクトなものだった。AIと生成芸術をテーマにした内容で、なかなか興味深い。現代では、誰でもAIを使って画像を生成できる時代になったけど、この展示では「生成される画像の価値とは何か?」という問いが投げかけられていた。

アートというものは通常、創作者の手によって生み出されるものだ。しかし、AIモデルを使うことで、その創作プロセス自体が変化する。今回の展示作品を作成するために新たに開発されたAIモデルは、ライゾマティクスが独自に作成した画像のみを学習しているとのこと。さらに、初めての試みとして、AIモデルデータ自体が販売されている。これにより、購入者は入力を変えることで、無限に画像を生成する体験ができるという。

展示されていた作品には、画質が粗く、昆虫のような鱗が見えるものもあった。これが美しいと感じるのは、物の質感や光を感じる時、人間が生きていく中で必要不可欠な自然物、例えば水や食糧を連想させるからだろうか。

一方で、AIが生成したアートには作者の意図や背景が感じられない気がした。映画や本、アーティストに感動する時、それはその人の葛藤や背景に思いを馳せるからこそだ。

しかし、AIアートにはその葛藤がなく、ただ本能的に「美しい」と感じる要素が抽出されているだけのように思える。

その先を考えたり、自分ならどう解釈するかといった余地がない、というのが率直な感想だ。

本能的な美。それがAIが作り出すアートの中で抽出された要素なのではないのか?

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