ariyuko
わたしは 自分で作ったご飯か、人が手間暇かけて作ってくれたご飯を食べないと心と体のエネルギーが枯渇する コンビニなどの虚無の食べ物はたまににしないと心が空っぽになる でも作る気力も人様に作ってもらうお金も基本無い。 結局、枯渇のままダメダメになっていく。
自分への問いかけ方がわからない
世の中の親🟰毒親 みんな死ねばいい
もう 親もいらないし 過去もいらない
親は優しい人だ 非の打ちどころがない親だ と ある時まで 真剣に 本気で 無意識に。くらいに そう思っていた 少し前まで何故 そんなふうに思っていたのか わからなかった でも この数日でわかってきた では なぜ 私の両親は とても優しい 非の打ちどころがない人だ と 思っていたのか だって ご飯作ってくれるし 洋服買ってくれた おまけに 家に住まわせてくれるし 学校にも行かせてくれた だから優しい人達だと そう思い込めば
物心ついた時には 自分が遅くに帰ったとき ドアを開けるために鍵を刺すときも ドアノブを回す時も カチャリ と音ができるだけしないように ゆっくりまわし ドアを引き 音か鳴らないように そっと締め 廊下は 抜き足差し足 部屋のスイッチ押すのも慎重に と まるで 泥棒のように 必要以上に気を使い 音を 存在を 消すように努めていた それがいつからか 当たり前になっていた そうしろ と言われたこともない そうしなきや と自覚的
夏の炎天下昼の12時過ぎ トイプードルの子犬を アスファルトの道路なのに 歩かせてる人間がいた しかも時々 止まろうとする子犬を 引きずっていた アスファルト触ったら激熱だった 私も親に引きずられた口だ 子犬の状態を 子犬の気持ちを 慮れない 子供の気持ちを 推し量れない 人間なんて死ねばいいのに 飼い主捕まえて 指摘できたら良かったが そんな勇気があったら 精神疾患で引き篭ったりしてない 攻撃できない私も 子犬を救えない私も 同族だ
うちの親は 無関心で過干渉 子供の想いや考えてること 感じてる事に関心がない でも子供がすることにはいちいち 口出ししてくる過干渉 たたの所有物である この親の子への無関心は 心理的ネグレクトというらしい せめてどっか片方だけ にして欲しかった
解離と願望抹殺と頭真っ白 44歳の頃 「したい」「やりたい」「欲しい」 このたぐいの沸いた願望を いつの頃からか速攻抹殺していたことに やっと気がつき始めた あるとき友人何人かと ゲテモノ食が食べられるお店に行き コオロギのような虫の唐揚げを 注文し何人かが食べて 味や食感について あーだこーだ言ってるとき まだ最後の一個が残ってた わたしは 食べてみたいような気がしてきて ドキドキしていた でも、いきなり 「食べたい!」 という勇気がなく なんと言おうか
42、43歳の頃 後に、わたしは「低血糖症」 と専門の病院で診断されるのだが その少し前 わたしは症状から診てくれそうな病院をいくつかピックアップしてた 自分の中で ここがいいかな。ここに行こうかな。 と思う病院がいくつかあったのだが 父親が 「ここはどうだ お父さんここが良いと思うよ」 と 頼んでもないのに 父親が探して見つけた病院を 勧めてきた ネットで自分で見るも どう考えても「違う。ここじゃない」 これは感覚なので 説明のしようが無いが
44歳の頃の話 数年前から 重めの低血糖症になったわたしは 血糖値の乱高下に応じて 精神が混濁 死にたい と思うことが多々あった いや 昔から 消えたい という漠然とした 自分の存在への不安感はあった 病気になってからは あるタイミングで 突然恐怖感に襲われて 居ても立っても居られなくなる 走ったり ぐるぐる徘徊したり でも 理性もちゃんとあるので 側から見て目立ってわかるような 行動まではせず 死ぬ勇気?もないしで ただジリジリ来る 焦燥感と1
※追記あり 44か45歳の頃 わたしは夜中に 突然吐き気がして トイレでうめいていた 吐き気するのに 口から何も出てこない でも気持ち悪い のたうち回るほど 何か吐きたくて でも 出てこなくて 吐きたくて 吐きたくて トイレに顔うずめて オエオエしていた すると 突然父親が 物凄い形相で トイレに入ってきて わたしの手を身体を 掴んで引っ張り出そうとした 「気持ち悪い」 と言ってるのに聞き入れず ただ 鬼のような顔で 「寝なさい!」 とだけ言って
41歳のころ 人生で初めて本気で夢を持って そこに向かおうとした 友人に無理だと言われて 諦めた過去記事と同時期の話 その夢を実現するために その時必要だと考えた 講座があった 既に 初級、中級は受講し 上級に進むための試験も 頑張って合格した こういったことも 42歳にして 人生で初めて 自分でゴールを決め 自分でゴールまでのステップを決め 一つ一つ着実に実行する こういったことも 思えば初めてだった そして
蹂躙とは じゅうりん と読む 人権侵害 尊厳侵害 だ
過去に何か起きた時の 感情の記憶がない ということについて これまで いくつか過去の出来事について 記してきたが 「その後の記憶がない」 とか 「感情の記憶がない」 とか 「そのときは「無」だった」 ということが多い これは 改めて思うに 記憶が「無」のとき 発生した第一感情が 自分が 感じてはいけない感情 としていた種類のものだと 本当に瞬時に消してきたのだと だから いま思い出そうと
20歳の頃 耳たぶを1/3切り取る 手術をした 麻酔をかけてくれた先生が 「麻酔かけたけど 痛みが無くなるわけではないよ」 と言った そして術後 「切開したとき 他の人が痛がるレベルでも 君は痛がらなかったね 凄いね」 と驚いていた そのときは ふーん という感じで 何言ってんだろう と 先生の話が 言葉の意味が よく自分の中に入ってこない そんな感じだった 今思えば 幼少期 感じていた痛みを 感じないように 痛みすら感じなくさ