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54.届けハッピーバースデー!

誕生日はこの世に生を受けたとても大切な日です。

連れ去りから約1ヶ月。長男の誕生日がやってきました。夫が初めて父親になった日、私が初めて母親になった記念の日です。

そんなとてもとても大切な日のことが義母の陳述書に書いてありました。

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私たちはもし立場が逆だったらと考えました。私がなりさんだったら、子どもと話がしたいだろうと思い、(連れ去りの)翌日になりさんに電話してあげようと●●くん(長男)に受話器を渡そうとしたのですが、「嫌だ。話したくない。」と拒否しました。●●くんの誕生日になりさんから電話がかかってきましたが、「お誕生日おめでとうの電話だよ!」と言って受話器を渡そうとしたのですが、●●くん(長男)は「嫌だ!」と、なりさんが「プレゼントを持って来てくれる」と言っても、「何もいらない。電話も出ない」と言いました。

●●くんの誕生日には、みんなでお部屋を飾り付け、楽しい時を過ごしました。

子どもたちは母親がいなくても、落ち着いて生活をしています。ただ、「ママに電話してあげようか?」と言うと笑わなくなり「嫌だ」と言います。なぜでしょうか?一番母を求める年なのに・・・。●●くん(次男)は●●(義弟のお嫁さん)のことを「ママ」と呼んでよく懐いています。なりさんのことを「怖い」と言います。

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私は、連れ去りから1ヶ月後の長男の誕生日に、この子たちが生まれてきてくれた瞬間のことを思い出していました。この子たちは、私も夫も2人ともがいなければ、生まれてこなかった命です。二人とも立ち合い出産で、無事生まれてきてくれた時には夫婦で喜び合いました。最高に幸せで、何があってもこの子たちを幸せにする!自分の命よりも大切だと思える可愛い可愛い我が子の寝顔を見ながら、大切に育てて行こうね。と誓い合ったなぁなんてことを・・・。

そんな、最愛の息子たちが突然連れ去られてしまった日から、何度かけても一度も繋がることのなかった電話。

「せめて誕生日には会ってお祝いしたい。それが叶わないのなら、電話で声が聞きたい。おめでとうと伝えたい。それも叶わないのなら手紙でも、プレゼントだけでも・・・!」なんて、そんなことを書き綴ったメールも全て無視。

誕生日当日、繋がらないだろうと思ってかけてみた電話が初めて繋がりました。無音で数分ほど。子どもの声も聞こえない。相手の声も聞こえない。

それは裁判のための既成事実作りでした。通話記録とともに、「子どもが電話を拒否した」と上記の主張してきました。

心の中で「おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。お祝いできなくてごめんね」と何度も何度も叫びました。

息子たちと再び暮らせるようになってから、彼らの誕生日が来るたびにこのことを思い出します。誕生日をお祝いさせないってどんな気持ちだったんだろうと。

私は子どもたちにパパからおめでとうって言ってもらえない誕生日は味わせたくないと思いました。離婚後数年は、元夫も一緒に誕生日をお祝いしていました。子どもたちはとても嬉しそうで、私もその姿を見るのが嬉しかったです。でも、次第にLINEだけになり、LINEも来なくなってしまい、息子から「○さいになったよ!」って連絡してもなかなか返事も来ない・・・。ちなみに義母からは監護権が確定して以降一度たりとも何の連絡もありません。

子どもの誕生日にお祝いをしない・させないという気持ちって一体どんな気持ちなんだろうと思います。

子どもが親から「お誕生日おめでとう」の気持ちを受け取ること。
親が子どもに「お誕生日おめでとう」の気持ちを届けようとすること。

それを遮断していい人など、世界中どこにもいないはず。
そして、いくら誰かが遮断しようとしたってきっといつの日か届くはず!
届け!ハッピーバースデー!

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