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立誠小学校「おもいでのよせがき」

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元・立誠小学校では、小学校跡地活用プロジェクトとして、立誠・文化のまちプロジェクト〜立誠・文化のまち運営委員会を組織し、芸術・文化発信の場として活動を続けて参りましたが、ここで現… もっと読む
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#ま行

諸井 誠一(立誠自治連合会会長)

私と「新洗組」について書こうと思います立誠校を卒業したのは今から60年前の昭和32年で、沢山の思い出があります。30代の頃、先輩から地域活動への誘いを受け、「いいよ」と軽く返事をしたことから地域活動にはまりました。今では立誠自治連合会会長として地域活動に日々取り組んでいます。立誠校は日本で初めて映画の試写実験が成功したことから「日本映画原点の地」と呼ばれ、映画好きの父を思い出します。正面橋の美化活動の必要性から、地域の清掃活動を行う新洗組には毎週土曜日朝5時半から、息子と孫と

村上 慎太郎(夕暮れ社 弱男ユニット)

劇団として12回ほど公演をさせていただきました。それ以外にもイベントやなんやかんやで関わらせてもらったことを含めるとほんとにいろんなことが駆け巡ります。本多力の俳優修行という企画で演出して、そっから家族劇やら俳優が転がりまくる演劇とか夕凪の海辺を歩く恋愛情緒溢れる作品やら音楽室全面にブラックシート張り巡らせてサスペンスホラーな公演したり。ここで上演した作品はね今にもつながっているんですよね。ここが自分的にはベースとなる場所がここやったんすよ。まだまだ寄せ書きたいことはあります

望月 茂徳(立命館大学映像学部准教授)

『月に足つけて考えて展』というメディアアートの展覧会を立命館大学映像学部望月ゼミの学生と共に2014年から2017年の4年間において開かせていただきました。沢山の学生や観覧のお客さまを長い歴史を持つ小学校の佇まいが暖かく包み込んでくださり、文化や芸術、なにより人を育む素敵な場所でした。小学校というしつらえが作品展示の妨げになったことは決してなく、むしろそれを取り込みたいという気持ちに自然とさせられることに、創立に関わられた方々の深い思慮を感じておりました。ありがとうございまし

萬野 光雄(〈公社〉日本建築家協会・京都会長)

校舎に足を踏み入れたのは、いつの事やら定かでない。おそらく私が京都デザイン専門学校の非常勤講師の頃だから2002年までさかのぼる。卒業設計の中間発表が最初のお付き合いだ。その後、3階の畳の部屋を拠点に見学会を行ったり「坂田明のジャズコンサート」を行ったりと何度かイベントを催した。定期開催は日本建築家協会の子ども教育活動からである。当初、本拠地を立誠小学校に決めたわけではないが、非常に居心地が良いので2010年夏の「子供たちのLED灯籠流し」から、毎年お世話になった。子供たちの

光岡 寛子

私は立誠小学校80期卒業生の1人ですが、閉校後はすぐに取り壊しされると思っていましたが、イベントとコーヒー店という形で建物自体残ってくれたことに嬉しい気持ちでいっぱいです。小学校に在学していた6年間は1クラスしかなかったのでずっと同じ人達で過ごした濃いものでした。楽しかったこと、辛かったことが思い出されて大人になった今、とても懐かしく思います。歴史あるこの立誠小学校に通ったことを誇りに思い、これから新しく生まれ変わるこの地に楽しみを持ってまた訪れたいと思います。小学校卒業して

三木 千種(KYOTO ART FAIR KYOTO、ART COUNCIL、NPO法人ART PLAN MAZEMAZE、高瀬川会議、京都精華大学陶芸コース)

立誠小学校にお世話になったのは、元・立誠小学校になってから。「まちなかに文化拠点をつくろう」ということで閉校した小学校の季節の行事を手伝わないかと誘われたのが最初でした。その時々にやれることをいろいろお手伝いさせていただいた証が肩書き欄の所属グループの名前ではないでしょうか。2017年の中締めでは京都精華大学陶芸コース卒業生有志による『精華百花展』で作品の展示とフィンランドからの留学生だったクラスメイトとの抹茶のご接待をさせていただくことができました。今も立誠小学校は、私にと

まつもとみみり(バナナシスターズ)

一番後ろの席で三角座りしながら一人で観た映画。終わった後にシビれた脚でギシギシ鳴る廊下を歩く。窓から中庭を見おろせば、古い校舎のにおいでいっぱい。ゆっくり階段を降りながら映画の主人公となる。門を出て、一度振り返る校舎の黄色い灯り。夜空には月。高瀬川沿いをポッケに手を入れながらもう一度振り返る。毎回振り返る度、違う校舎がそこにあった。私の中の元立誠小学校は映画のつづき。ありがとう。生まれ変わってもいつまでも、何度も振り返る場所であって欲しい。

松野 泉(映画監督、ミュージシャン)

ギシギシ鳴る床、カタカタ鳴る窓、薄暗い廊下、なかなか辿り着かない中庭のトイレ。高瀬川を渡った先にある元立誠小学校は漂流教室のアトラクションのようで、この場所に来るのが好きでした。玄関口の石橋の上に時空の境界があって、深夜に酔っ払いがフラフラ石段に寄り掛かろうとして電気風呂に当たったみたいに背筋がピンとなるのを見かけた事があります。体育館でライブを見ても、教室で芝居を見ても、映画を見ても、階段の窓からテニスを見ても、何か得したような気持ちになる場所でした。立誠のワークショップで

牧野 広志(TRAVELING COFFEE)

元・立誠小学校職員室でコーヒーを淹れさせて頂き、またいろいろな文化事業やイベント等に関わらせて頂きました。改めて立誠のポテンシャルの高さを感じ、リアルに地域密着型で住民の皆様と過ごせました。東は花街先斗町、西は寺町、南は四条、北は三条。本当に街っ子の学区、非常に奥深い文化です。これから変わりゆく立誠、今後ともよろしくお願いいまします。