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立誠小学校「おもいでのよせがき」

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元・立誠小学校では、小学校跡地活用プロジェクトとして、立誠・文化のまちプロジェクト〜立誠・文化のまち運営委員会を組織し、芸術・文化発信の場として活動を続けて参りましたが、ここで現… もっと読む
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2018年3月の記事一覧

山本 訓三(一般社団法人文まち 代表理事)

「うっへ。こんなに?」会議室は黒い服を着たまちづくりに熱心な男たちで溢れかえっていた。「まちづくり委員会木屋町部会」での一幕ですが、懐かしい思い出になっています。学童時代の私は実に出来の悪い生徒でした。勉強しない、落ち着きのない、遊びまくり、喧嘩ばっかり。授業中も先生によく叱られました。あんまりこたえませんでしたが。40年後、娘2人が立誠小学校にお世話になることで、再び関わることに。不思議なことに、かなりの愛着を持って。祖父や子ども達が世話になっているが、多分色々な気持ちが綯

西村 良子(高瀬川会議)

立誠小学校で、誰にでも開かれたオープンな場所の魅力とパワーを学びました。番組小学校という京都の先人たちの素晴らしい想いと、閉校してもその精神を貫き続けられた立誠学区の人々に心から敬意を表し、さらに次のステージに進む立誠小学校に関わっていられることをうれしく思います。高瀬川沿いの新しい景色、楽しみにしています!

望月 茂徳(立命館大学映像学部准教授)

『月に足つけて考えて展』というメディアアートの展覧会を立命館大学映像学部望月ゼミの学生と共に2014年から2017年の4年間において開かせていただきました。沢山の学生や観覧のお客さまを長い歴史を持つ小学校の佇まいが暖かく包み込んでくださり、文化や芸術、なにより人を育む素敵な場所でした。小学校というしつらえが作品展示の妨げになったことは決してなく、むしろそれを取り込みたいという気持ちに自然とさせられることに、創立に関わられた方々の深い思慮を感じておりました。ありがとうございまし

きたまり(振付家)

2012年にWeDance京都、2013年〜2015年にDanceFanfareKyotoで立誠をまるごと使わせてもらいました。忘れられない沢山の作品と共に、一階から三階まで効率よく階段を上り下りする方法。瞬殺できく虫除けスプレー。頑固な汚れをとるための雑巾がけの仕方。等もしっかりと学びました!暑かったり寒かったりと、いつもちょっと大変だけど楽しかったのは場所がもつ空気が素晴らしかったからだなーとシミジミ。新しくなってもなんとも安心する、あの空気が消えないことを願いつつ、また

千賀 康利(京都アートカウンシル副代表)

京都市民の地域文化は、番組小学校に始まりそれを基盤とした学区によって育まれてきました。つまり学区にある小学校は母校として市民それぞれの故郷の役割を担ってきました。故郷には、幼馴染がおりなじみの店があり、助け合いや協力の町内意識が育ちます。閉校は母校がなくなるということで、帰る故郷がなくなることでもあります。子どもを育て文化を継承するという仕組みを失うことにもなります。閉校後もこれら人の繋がりの文化を担ってゆく仕組みを残すことは市民文化として重要であります。地域文化の創造と継承

岡見 弘道(京都 裏寺 稱名寺 住職)

今から91年前、昭和2年(1927)、立誠小学校が木屋町高瀬川のほとりに建った時、この地のひとびとはどんな思いで校舎をみあげたんやろ?地域の子どもたちが学ぶあらたな教えの場として、誇らしく期待に満ち光り輝いてたんちゃう?そして今またこの校舎は新しい出発にむけて準備に入るんやな。国の内外からさまざまな人々が訪れ安息を得る場(ホテル)として、また刺激的な知と文化を提供する場(図書館&ホール)として、さらには地域コミュニティ活動の場として、なんだか想像するだけでワクワクさせられます

中川 富雄

小学校時代の思い出は余り鮮明ではありませんが、殆ど学校を欠席しなかったように思います。楽しいとかでなく当たり前のように学校に登校していました、そんな私ですので、京都市のプロジェクトで文化のまちの発信に感銘を受けこのまま絶やしてはいけないと思い、自治連合会の方と一緒にまちづくり続けていこうと立誠 文化のまち運営委員会を立ち上げました、それを続いて出来た一般社団法人文まちが引継ぎそれを新しく出来る宿泊施設を備えた総合文化施設として生まれ変わることを大いに楽しみにしています。

けんご

子どもの頃にこの学区に住んでおりました。高瀬川の夏の灯篭流しなどの学区の催し物などにもよく参加しておりました。大人になってからは立誠シネマで映画を観たり、TRAVELING COFFEEで一杯のコーヒーを飲んだりと素敵なひとときをすごさせてもらいました。ありがとう立誠小学校、これからもよろしく!

斎藤 浩一郎

自分の母校ではないのに、「懐かしい」空間でした。演劇やイベントのスタッフとして、講堂・音楽室・自彊室(立誠シネマになる前の)などにお世話になりましたが、どの空間も「ここで小学校時代を過ごせたら面白かっただろうな」と思わせる個性的かつ歴史的な空間でした。イベント撤収が終わって、ふと通りすがる廊下の奥が真っ暗だと、子どもの頃に肝試しをしたような懐かしさをおぼえたり…… これからもこの場所は、古くて新しい、文化的に豊かな場所であり続けるのだと思います。今から改修後の姿が楽しみです。

藤村 弘二

この場所には大変お世話になりました。大学時代ここで映画祭を開催させて頂き、そのスタッフとして携われたこと。京都学生演劇祭で、また2劇団合同での公演をさせて頂いたこと。それぞれが僕にとってとても思いで深く、今の僕に直接繋がっている財産です。この場所がまた色んな人の素敵な財産となれることを願っております。ありがとうございました。

Yasuhiro.F(新洗組)

立誠小学校のおかげで、大切な人と出会い、たくさんの想い出ができました。これからも、この場所がずっと人と人との出会い、つながりの場であってほしいと願います。

柏 敏行(文まち事務局長)

立誠小学校を訪れてから早10年。最初は利用者として、演劇の音響・制作や撮影助手、オセロ30面打ちのイベント打合せもしました。30歳を超えた時に小学校の校長先生より1時間説教を頂いたりもしました。その後、事業を受け入れる側になり、今年の春からは図書館の運営業務を請け負うことになっております。私の小学生の時同様、立誠小学校での時間の進み方は似ているように感じ、さらに成長できたのも、この空間のおかげだと思います。できて90年の建物が2年間ほど工事されますが、またその後に60年間現役

ぽちょぽちょ(しがないコーヒー屋店主)

何度かイベントで出店させていただきました。 夕暮れに西日が差し込むあの雰囲気がとても好きでした。 日が落ちてからの校内も子どものころは、よっぽどのことがないと夜の学校に行くことはなかったので、子どものころのちょっとワクワクドキドキした感じを思い起こさせてくれました。 とても残念ですが、皆さんとひとときでもこの場所で過ごせた時間は大切にしていきたいと思います。 ありがとうございました!

長根 潤

知れば知るほど奥が深い立誠小学校。語り尽くせないほど多くの歴史を積み重ねたこの地は、そんな歴史に安住することなく、今も、新たな文化・芸術の発信拠点として、様々な活動が行われています。建物の再生に伴い、一旦ひとやすみでもするのかな?と思いきや、何と、工事中も図書館として文化を発信し続けるという!またまた新たな歴史が増えました。一体このパワーはどこから来るのでしょうか?益々目が離せない立誠小学校。新たな施設が完成した暁には、私も新たな歴史の目撃者に加えて頂き、地域の方々と共に語り