2009年はどんな年?

J1では15年ぶりとなるホーム開幕戦に勝利した新潟
2009年はどんな年だったのか簡単に振り返る。

1.アルビレックス新潟J1昇格後初の開幕戦勝利&唯一の開幕連勝

04年からJ1に挑戦していた新潟が昇格6年目にして初めて開幕戦(vsF東京・4-1)に勝利し、翌節のホーム開幕戦(鹿島・2-1)も勝ち、開幕2連勝を果たした。

2.権田修一、大迫勇也がデビューを飾る

権田修一はF東京のユースから昇格、塩田仁史からポジションを奪ったが、開幕戦は1-4の大敗とホロ苦いデビュー戦となった。
大迫勇也は鹿児島城西から鹿島に入団、ゼロックススーパー杯やACLで先に公式戦に出場していた。
ちなみに、大迫勇也がJリーグで初ゴールを決めたのは味スタのF東京戦
被弾したGKは権田修一、スカパー!で試合解説を務めていたのは現チェアマンの野々村芳和

3.岡田ジャパン、南アフリカW杯出場権獲得

ウズベキスタンのタシケントで行われたアウェーゲームに勝利
岡崎慎司のダイビングヘッドが南アフリカ行きを決めた、
この試合は遠藤保仁が退場、抗議した岡田武史監督も退席になるなど不可解な判定も多かった。

4.鹿島前人未到の3連覇

鹿島が川崎Fの猛追を振り切り前人未到のリーグ3連覇を達成
後半戦の直接対決が豪雨によるグラウンドコンディション悪化により試合が途中で中止になり、その後の取り扱いが大きな議論を起こした。
※当時は試合が途中で中止になったら、ゼロからの再試合になっていた。
この件を機に再試合、再開試合、試合成立の選択肢が出来た。

5.山形、初のJ1で快挙!

J1初昇格だった山形は磐田に6-2という記録的なスコアで開幕戦に勝利する快挙を達成。
翌節のホーム開幕戦(名古屋・0-0)では試合中に雪が降り積もり、ボールがオレンジのボールに変わるハプニングもあった。

6.大分降格、襲いかかった悪夢

一方、前年4位でナビスコ杯を制した大分が降格
劣悪なピッチコンディションと次々と続出する怪我人に負けを重ね、ついにシャムスカを解任
その後、ランコ・ポポヴィッチが就任し、終盤戦は勝ち点を積み重ねるも時すでに遅し
他にも、巨額な赤字やスポンサー問題にも悩まされ経営危機が大分に大きく影を落とした
また、千葉と柏もJ2に降格、千葉県からJ1チームがいなくなった

7.超過酷地獄のJ2リーグ

J2は18チームによる3回戦総当たり、全部で年間51試合という過酷なリーグ日程
仙台が優勝、C大阪が2位、湘南が3位となった。
昇格レースは仙台とC大阪が優勝、湘南と甲府が昇格を最後まで争った。

8.ナビスコカップ、激闘の後に訪れた後味の悪い結末

F東京と川崎Fのライバル対決、高卒新人でニューヒーロー賞の米本拓司と平山相太のゴールでF東京が5年ぶりの優勝
一方、2年前に続き準優勝の川崎Fは表彰式での態度(メダルを外す、ガムを噛む)が問題となり、Jリーグ初代チェアマン、JFA元会長の川淵三郎からバッドルーザーと非難を浴びた。

9.天皇杯、大学生が初めての快挙!

当年度はG大阪が名古屋を4-1で下し2連覇、ルーカスが8得点を挙げ、大会得点王に輝いた。
また、決勝戦に先発起用された松代直樹が試合後に現役引退を発表した
名古屋はこの年に就任したストイコビッチ監督の下で決勝に勝ち進んだが、G大阪の攻撃陣に粉砕された。
他にも、清水とJ1昇格を決めた仙台がベスト4、新潟と岐阜がベスト8に入り。
北信越リーグの松本山雅が浦和を破るなど中部勢の活躍が目立った。

また、この回は明治大学がJ1山形を撃破、大学のチームがJ1クラブを倒すジャイアントキリングを果たすという歴史的な快挙を成し遂げた。
大会で印象的なゴールを決めた選手に贈られるSURUGA I DREAM AWARDは山本紘之が受賞した。(09年度大会から創設された賞、協賛社のスルガ銀行が起こした問題により18年度大会をもって廃止)
ちなみに、この回に出場した明治大学のメンバーは下記の通りでとても豪華なメンバーだった

09年度大会に出場した主なメンバー

笠原昂史(大宮)、丸山祐市(川崎F)
宮阪政樹(山形など、F東京強化部のスカウト)、小林裕紀(磐田など、町田ユースコーチ)
山田大記(磐田)、三田啓貴(横浜C)、阪野豊史(今治)
久保裕一(千葉など、20年に和歌山で現役引退)
山村佑樹(栃木シティ)、山本紘之(日本テレビアナウンサー)
※出場していないが、高木駿(札幌)は2ndGK、田中恵太(鳥取)も4回戦の新潟戦でベンチ入りのメンバーに入っていた。

10.ACL、日本勢暗黒時代の始まり

この年からACLが29チームから32チームに拡大、日本からは2チームから4チームと倍になったが、名古屋のベスト4が最高記録となった。
その後もラウンド16で姿を消すまたは全滅する年が多く、鬼門となった。
実際、17年に浦和が優勝するまで日本勢は8年間アジアのタイトルを取れなかった。
※09年~12年のラウンド16はグループ1位のホームでの1発勝負

いかがだったでしょうか、サッカーだけでもこれだけのことがありました。
今後もやるかどうかはわかりませんが、いつか第2弾をする・・・かも?

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