平成を振り返るついでに自分の人生も振り返る
ARICO ROOM 有田香子のプロフィール
●生まれ
1978年、福岡県北九州市生まれ。
父親の仕事の関係で、北九州・博多・小倉と移り住み、
1990年、小学校6年生の時に神奈川県へ引っ越す。
その間、幼稚園を2つ。小学校を3つ経験。
●中学時代
中学校のすぐ下に自宅があり、早々に帰宅しないと叱られる中学生活。
長いスカートが流行っていたのに、急に短いがかわいい文化になり、
制服のスカートを切って叱られ、母親が再度ミシンをかけてくれたら
もっと短くなって、危うく卒業式に出席させてもらえないかもしれないくらいのレベルで担任に怒られる。
●高校時代
福岡では私立に行くという概念がなかったのだが、急にみんな勉強をしはじめたため、便乗して、私立女子校に入学。
制服のかわいさと、入試中に貧血でぶっ倒れたにもかかわらず合格にしてくれた優しさで、学校を決める。
気品溢れる女子校ではなく、なかなかおバカな集団ととにかくワイワイガヤガヤ過ごした高校時代。
大変ありがちな話で申し訳ないが、体育の先生(当時22歳)に片思いをし、おっかけまわしてました。(その説は、大変ご迷惑をおかけ致しました)
●大学時代
あすなろ白書に憧れて、今度こそは共学に行くんだ!と予備校に通うも、
L'Arc〜en〜Cielと、バーチャファイター(ゲーム)のせいで、悉く受験に失敗し、唯一受かった女子大に行く。
将来のことなんて考えてないことがバレバレの「人文学部国際文化学科」。
どんな勉強をしたのか、正直あまり覚えていない。
免許を取って、車を乗り回し。雑貨屋とオシャレ中華料理屋のバイトに明け暮れる。ちなみに、門限は12時。お泊まりオールは厳禁な厳しい家庭に育ちました。
●会社員
∟ 2001年4月
某パビリオンのお姉さんとして働くも、先輩が怖すぎて、入社3ヶ月
で退職。
∟ 2001年6月
某新聞社の「厚生年金基金」という部署で働く。
一応ネットも普及していたはずなのに、この部署だけ
ワープロしか与えてもらえず、とにかく暇な時は判子の
掃除をする毎日。
∟ 2004年
一度退職するも、また同じ新聞社に戻ってくる。
総務部で契約社員をやりつつ、一人暮らしが嬉しくて
上司を誘ってしょっちゅうご馳走になり食費を浮かす。
∟ 2005年
「契約社員」じゃなくて「社員」にしてくれと懇願して
テストを受けてみるが、時事問題を知らなすぎて落ちた
上に猛烈に怒られる。
(新聞社なのに新聞を購読していなかった事が原因かと)
その後、悔しくて転職をし、
某出版社の営業職に正社員として採用される。
「書店さんに自社の本を売り込む」事が目的ではあるが、
書店員さんとお茶ばっかりしてた記憶。
挙句の果てに、「これ面白かった!」と他者の本を売り込み
はじめ、よく分からない方法で若干の信頼を勝ち取る。
∟ 2008年
営業だけではなく、営業企画も任され、文庫販売実績・
昨年対比180%という訳の分からない数字を叩き出す。
完全に調子に乗っていた時代。
どんどん兼務がつけられ、3部署をまたにかけた時に、
過労で頭痛が止まらなくなり、退職。
∟ 2009年
暇になったという理由で、前職・某新聞社の総務部に戻る。
ちなみにこの会社の入社手続きは、実に3度目。
今考えても本当に感謝している!!
●フリーランス
∟ 2013年
3度も雇ってくれた会社も、もう絶対にあと5年しか働け
ないから!と最後通告。
手に職を〜〜と思い、2011年はずっとネイルの勉強をし
ていたが、フリーランスになれる予感がしなくて、
2012年の春からキャンドル教室に通い始める。
キャンドルの魅力にとりつかれてから、2013年3月9日に
東京・銀座でCandle Studio IROKAを開く。
∟ 2014年
それまで住居兼キャンドル教室だったものを、毎日自宅に
知らない人がたくさんくる事に疲れ、自宅から徒歩
2分のマンションをもう一つ借り、アトリエをオープン
させる。
∟ 2017年
一人でやっている事に限界を感じ、そして寂しくもなったの
で同じようにキャンドル教室をやっている先生と一緒に、
台東区・浅草橋で路面店をオープン。
この年表にどこに住んでいたか、(一人暮らしを始めて15件くらい引っ越している)、誰が好きだったか、、などを加えると、どんな歴史の教科書よりも難しい話になってしまうので、そこは割愛。
平成も終わるこのタイミングで振り返れてよかった。
ちなみに、私の平成は、小学5年生から始まっていたようです。
長かったな、平成。
また思い出したら、追加していきます。
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