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文章を書くということ

文章を書くことが「苦」ではない人間だと思ってました。
キャンドル教室をやり始めた時、
「毎日ブログを書く」と、自分の中で目標を決めました。
本当に、365日、書き続けることができました。

でも、これって、毎日のように生徒さんが来てくれていたので、書く事がなくてネタに困るという事がなかったんです。
なんなら、写真も撮りますから、忙しい日は、23時45分くらいから、ばぁーーーって写真貼り付けて、「今日も楽しい1日だった!」と。書きなぐったものも含めての365日。

それはそれで、頑張ったな!自分。と思ってます。
合コンの最中、ブログを書いてない事を思い出して、タクシー飛ばして24時前に仕事場に帰ったこともあったから、やっぱり頑張ったな、って思います(笑)

書き続けられたのは、読んでくれてる人がいると思ったから。
私の両親が、毎日ブログを楽しみにしてくれてました。
1人娘が、毎日、何をしているか、親を安心させるためにも、
私の仕事の日常を書き綴りました。
そして、「キャンドル教室の先生」という、なんだか一般の人には無縁の仕事。キャンドル作り中に起きる珍事も、キャンドルを作ったことのない両親にも分かるように、つまり何の知識もない人にもわかってもらえるように、無駄に詳しく注釈を入れることもありました。

こうすることで、専門的知識を書いたとしても、取り残されないかな。という私のちょっとした優しさです。


そもそも、文章を書くことが「苦」ではない理由は、
とにかく昔から本を読んでいた。
活字ならなんでもいい!と読んでいた時期もあるし、本を忘れて電車に乗ってしまった時には、吊り広告を熱心に読み込んでいる時もあったほど。
今は、なんだか経営者気取りでビジネス書ばっかり読んでるけど、歴史物以外の本ならなんでも好き。

それから、私の父は、仕事の関係上、毎日帰りが深夜だったため、小学校2年生から中学校3年生まで、交換日記をしていました。

大学ノートの、8割くらいを私が書く。残りの2割に、父が返事を書く。
父が休みの日以外は、ほぼ毎日書いていたと思います。
たまに、母の字で、「今日は書きたくないみたいです」とか書かれてたけどり、絵でごまかしたり、席替えした日には、クラス全員の席の表を書いたり。(父が見ても、なんのこっちゃ?ですよね)

それでも、毎日続ける。毎日書く。というのは、この時から始まっていたのかなと思います。

あ、それから、小学生の時に、「新聞」書け!っていう担任いませんでした?みんな授業中に1号目を書いて、張り出されて。2号目も書きなさい!!って催促されて。きっと大半の人が無理やり書いていたであろう「学級新聞」。それを、担任が変わってもなお、大学ノートに、書き続けた私。それは毎日じゃなかったと思うけど、2000号とかまで書いてた記憶があります。(というか、現物は実家に保管されてます)
書いていたことで一番覚えてることは、「トップテン」という月曜にやってる歌番組の1位〜10位を書いていたと思います。
(あ〜今週の一位も、ルビーの指輪かぁ。。。とか思いながらw)

そして、Winkの衣装を一生懸命書いてました。当時、録画するすべもなかった我が家は、歌って踊る姿も見たいのに、衣装を書くのに必死な小学生。健気ですね。。。ぷぷ。

そんなこんなで、小学生の頃は、何かをひたすら書いていたし。

高校生から毎年手帳を買って、何かしらをつらつら書いていました。
これは、ある時、ばっさり捨てたりするので残ってないのですが、残しておけばよかったなと後悔。

だから、思っていることを文章にするのは、当たり前の日常に育ってきたんです。ありがたいことに。


ただ、オープンな場所にツラツラ文章を書くということは、
両親・親戚が読んでいるという理由で、書けないこともしばしば。

私の人生、とても波乱万丈で、友達からは、「小説みたいだね、、、」と言われたことも、「映画化決定だね、、、」と呆れられたこともあります。
そんなネタを、レッスン中も小出しにしたりしてたけど、さすがに親が読んでると書けないことがたくさんあるもんで。

本当、面白い人生のネタが書けなくて残念です。

ここのページ、今のところ、親にはばれていないと思うので、今のうちに書いちゃおうかな。私の「THE MOVE」的な人生を。


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