博徒

 縄張りがある、何にでも手を出したら血の雨が降る、と鶴田浩二が言う。鶴田は昔ながらのやくざで、敵の組長は市会議員選挙に出馬したりして、新しい時代のやくざとして勢力拡大を図る。

 鶴田のセリフにもあるが、敵の組長のやり方を見ていると、むかむかしてくる。とはいえ、不法なことをしているわけではない。途中で法律が変わり、博打が規制されるから、それからは違法になるが、鶴田にしたって賭場を開いて金を稼ぐ点では一緒だ。

同じ穴のむじなでありながら、なんで敵の組長に腹が立つのか、考えてみると、自分の利益のために人を踏み台にするからだ。広い視野でみんなの利益を考えることなく、しきたりまで無視して自分だけ得をしようとするからだ。

 鶴田は、子分が無鉄砲なことをすると、辛抱しろと諫める。賭場の客の坊主が本尊を売って博打にのめりこんでるのを見ると、本尊を戻すようたしなめて金を渡す。もめ事が起きないような配慮をする。それが長い目で見ると、自分も周りの人も潰れずに生きていけると知っているからだろう。

敵の組長は、政財界の大物たちと関係し、警察にもつながりを持つ。鉄道工事の反対を抑える仕事を引き受けたりもする。市会議員に出ようとすると、なんでやくざが、と陰口をたたかれるが、やくざが立候補していけないという法律はない。強いものに取り入り、弱いものを蹴散らす。人の道としてどうかと思うが、法を犯すことなく、うまく立ち回っているだけといえば、そうなってしまう。

 それでもむかむかするのは、見ているこっちが負ける側にいるからだ、といえばそれまでだが、うまくやる奴への妬みを差し引いても、腹立たしい。人を踏み台にして平気でいられる根性はやはり許しがたい。

 最後は、鶴田が敵組に殴り込みに行き、組長を殺し、自分も死んでしまう。もめ事を起こすと、どっちも潰れてしまうという教訓でもないだろうが、おのずと喧嘩両成敗の結果になったというところか。

 ならぬ堪忍するが堪忍、と昔から言うとおりだ。でもそれが難しい。つい感情に突き動かされてしまう。そして、そんな一本気な人に惹かれてしまう。漱石の坊ちゃんも無鉄砲で、やくざの暴力には親近感を抱けなくても、坊ちゃんのような突っ走りは、誰にでも覚えのあることだ。敵の組長のような立ち回りも、腹立たしいことではあるけど、学ぶべき要素はある。我以外皆我師。一本気とうまい立ち回り。その中道を行きたい。難しいけど。

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