ミンボーの女

強者の横暴を野放しにする組織はつぶれる

 ホテルに出入りするやくざを締め出そうとする。社員ではらちが明かず、専門の弁護士が関わることになる。録画カメラを設置し、恐喝や暴行の証拠を準備をする。金をせびろうとあの手この手でくるやくざに、弁護士はひるむことなく、怖がらないのは、相手を知っているからだと話す。

やくざは怖がらせるプロだ。弱いものに強く出る姿勢は、役者の演技と分かっていながらも腹が立つ。太鼓の音楽がすごく恐怖を高めてくれる。実際に暴力を振るうわけはないと思いながらも、本能的に恐怖を感じてしまう。そんなノウハウをやくざは持っているのだろう。ジャイアンを見ると反射的に逃げてしまうのび太は、のび太が弱虫というだけではなく、人間として逃げ出さずにいられない本能的な働きがあるということだ。

 この映画に出てくる人たちには守るものがある。ホテルの社員、総支配人、保健所の所長と、それぞれに自分の地位を守ろうとしている。すると当然、ひきょうな奴はそこを突いてくる。クビになったりホテルがつぶれたりしてはいけないと思うと、相手の脅しに乗らざるをえない。ゴキブリを料理に入れられたり、改築工事の公害問題など、きちんと役所の調査を受けて、自分たちがやましいことをしていないと、堂々と言える覚悟ができていれば、ここまで事態を悪化させずに済む。何かを守ろうとして、ごまかそうとするから、相手に付け込まれる。

そうは言っても、言うはやすしだ。実際にやくざに脅されて震えない自信など持てるわけがない。巧みに仕組まれた罠にひっかからずにいられるわけもない。真に自分を守ろうとするなら、自分の失策を罰せられることがあると承知した上で、相手に向き合うしかない。

 腹立たしいのは、強者が弱者に対して横暴な態度に出ることだ。一般市民が暴力団を恐れるのを知っていて、強く出る。自分より強い警察に対してはおとなしくなる。そんな態度が腹立たしい。

この作品が面白いのは、暴力団の横暴を指弾するだけでなく、同様の仕組みが一般社会にあると指摘している点だ。ホテルの総支配人は、やくざ対応という嫌な仕事を下っ端に任せ、うまくいかないと激しく叱責する。やくざが一般市民を食い物にするように、組織の上の者が下の者から搾取する。いわゆるやくざ映画が特殊な世界を描くのに対して、この映画はやくざの横暴を入口に、身近なところに同様の横暴があることを示し、そんな根性が人間誰もの底に潜むと教えてくれている。

 弱虫だったホテル社員が、弁護士と一緒にやくざ対応するうち、だんだん腹が座り、人間として成長した。社員に丸投げしていた総支配人は、自分が矢面に立ってやくざに対応する覚悟ができた。それまでのこのホテルは、上の者には絶対服従、上の者はやりたい放題。いうなれば、やくざと同じ発想と行動だった。だから付け込まれた。

最後にやくざの入館を阻止することができたのは、ホテルの上から下まで、意識を変えられたからだ。真に自分を守ろうとするなら、自分の失策を罰せられることがあると承知した上で、相手に向き合うしかない。悪から本当に身を守ろうとするなら、まず自らの悪を退治することから始めなければならない。


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