総理の夫

仕事と個人、どっちを優先させるか、結論は出ない

 鳥研究者の妻が政治家で、総理大臣になった。取材攻勢とかおばさんのにわかファンとか、同僚の女がハニートラップに使われたりとか、日常が一変する。そして妻が妊娠して、総理大臣を辞任する。

 文京区の区長が育休をとったことがあった。本当は、立候補するような職種の人は、任期中に仕事を離れることがあってはならないと思う。ただ男性区長が育休をとるのは、育休を普及させるための方法として有効だから、この場合は休むことで仕事をする、ということだった。

 首相が産休をとるのはどうか。区長で、それも育休だったら、テレワークできる。電話で判断をあおぐことができる。しかし、首相で産休となったら、もし他国が侵攻してきた時に出産真っ最中だったりしたら、とても職務を全うできない。ミサイルなんかには自衛隊が対応するだろうが、あらゆることの責任をとる人がいないと、予測のつかない事故が起こる可能性を許してしまう。

 やはり首相は、個人の都合を認めるべきではない。それは性別の話ではなく、男でも女でも若くても年寄りでも、首相になるなら、自己を滅する覚悟でならなければならない。少なくとも1億の人命を預かっているのだから。ましてや、総理大臣という肩書にあこがれて首相になるようなことがあるなら、そんな人間は万死に値する。

 社長でも課長でも、長のつく役職に就く人は、毎朝出勤したくないと思うような人であるべきだ、とはよく聞く話だ。その役職の職責を自覚していれば、自分にその責が全うできるのかと、不安に思うのが当然だ。社長になったことが嬉しいような人は、その時点でその任にない。総理大臣になって喜ぶような人が、国を統理するような国は将来が危うい。

 とはいえ、子どもを産む、というのは、人間として、あるいは生き物として、相当に重大なイベントだ。ほかのあらゆることをなげうってでも成し遂げたいことだ。それと仕事と、どっちか選ばねばならない、となった時、どっちを優先すべきか。おそらく正解はない。その人、その時で、選択は変わってくる。

 この作品では、結局首相を辞任するが、女性の場合、予想してなかった妊娠はありうるのだから、なにかしら制度を作り、復職する方法を用意しておくべきだろう。ただ首相のように選挙で選ばれる職種の場合は、単に選挙に出ればいいだけの話だ。国会議員の選挙に出馬し、総裁選に出て勝てばいい。それがなかなかに難しいことではあるのだろうが、国の将来を左右するリーダーには、それができるくらいの人であってほしい。この作品のラストも、そんなメッセージを匂わせている。

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