西村建『不死鳥』書評

 連続放火事件の犯人捜しが繰り広げられる西村健氏の『不死鳥』(KADOKAWA)では、周到に張り巡らされた数々の伏線が、終盤で鮮やかに回収される。その読後感はまるで、凄腕マジシャンによる手品を見せられ、放心している観客が、巧妙に仕掛けられた種を明かされ、驚愕している状態に似ている。本書は、様々な企みに満ちたミステリであり、良質な人間ドラマとしても楽しめる逸品だ。
 放火事件を解決するために、ひとクセもふたクセもある人物が集められた。中でも、頭脳明晰のキレ者だが、昔気質で頑固な科学捜査官の田所。そして、新宿ゴールデン街のマスターであり、熱血漢で一匹狼のオダケンこと小田健。事件解決への道はこのふたりのやりとりにかかっている。
 研究室から出るのを頑として嫌がる田所と、研究室にい合わせるのが苦痛で仕方ないというオダケン。両者は、個々の役割を明確に分担して、捜査に臨む。田所は研究室で資料をあたりながら推理に励む日々。一方で彼は、オダケンの携帯のGPS機能を利用して、彼が捜査に赴く場所を指定する。田所はマイクやカメラを、バイクに乗ったオダケンに装着させて、彼の行動や言動を逐一把握。オダケンとしては顎で使われているようで、いい気分はしない。だが、この作戦が功を奏するのだ。
 作中で、オダケンは田所への不満や愚痴ばかりを述べるし、田所も同様。両者はいがみあい、対立し続け、一時は冷戦状態に陥る。だが、終盤に向かうにつれ、犯人確保という共通の目標に向けて団結するように。田所の頭脳とオダケンの行動力/機動力を活かして犯人確保に邁進する。ありそうでなかった新しいバディもの、という趣もあるのだ。
 また、捜査の鍵を握るのが、田所が提唱した「円仮説」なる地理的プロファイリング。その概要をざっくり言うと以下の引用のようなものだ。

 既述の通り犯人は、自宅の直近では犯行に及ばない。しかし一方、全く知らない場所でもあまり実行に移さない。馴染みのある場所が基本的に犯行現場として選択される。更に一度、事件を起こした現場は当局が注目しているから、二度目は自然と避ける心理が働く。(中略)つまり自分の拠点からは一定の距離があり、土地勘もあって尚且つ前回とは違う地点。このため犯行を続けるうち、現場は拠点を同心円状に取り囲む傾向に収束して行く、というのである。

 この説が妥当だったかどうかは本書を読んで確かめて欲しいが、事件の鍵を握っているのは確かである。だが、捜査は難航し、田所は当惑する。文豪・永井荷風の街歩き随筆『日和下駄』の一節を、犯人が犯行予告に使うなど、捜査陣を煙に巻いては混乱させるからだ。それでも、研究室の助手がたまたま荷風マニアだったため、荷風の随筆が事件現場を察する手がかりにはなるのだが……。
 また、ふたつの事件が同時進行しながら、両者が絶妙に絡み合うのも本作の魅力。福岡・中洲のとんこつラーメン屋台「ゆげ福」の店主が、知人の依頼を受けて家出娘を追って東京へやってくる。捜査の末、娘は、スピリチュアル思想に埋没した集団の合宿所にいることが判明。結局、彼女は福岡に連れ戻されるのだが、今度はその娘がある事件の被害者にされてしまう。
 肝心の犯人だが、筆者には序盤から「こいつがあやしいのでは?」という想いがあった。確信や根拠こそないが、直感でそう思ったのである。ただ、それが当たっていたからといって鼻じらむことはなかった。なんせ、犯行の動機やトリックなどは、まったく予想の範疇を大きく超えてくるものだったからだ。
 以前、直木賞作家でミステリを多く書いてきた米澤穂信氏にインタビューした際、100人の読者が考えてひとりも犯人を当てられないミステリは「悪問」だと言っていた。その意味では、本作の犯人捜しは間違いなく「良問」であり、解き甲斐があるというもの。この辺の匙加減は、西村氏の実力と経験あってこそ、だろう。
 ちなみに、オダケンは、著者のデビュー作『ビンゴ』以降何度も登場しているし、「ゆげ福」の店主は、2015年の『博多探偵ゆげ福 完食!』で活躍している。このふたりが協力しあうという著者のアイディアもまた秀逸だし、ファンには嬉しいところ。共に兼業探偵であり、性格もどこか通じるところがあるふたり。本書を読んでから、両者の登場する過去作に触れるのも、また一興だろう。




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