潮谷験『ミノタウロス現象』書評  

 メフィスト賞を受賞した潮谷験氏の『スイッチ 悪意の実験』(講談社)には度胆を抜かれた。あるスイッチを押すと即座に人を消滅させられるという、特異な状況下での実験が行われる設定。それだけで無性に惹きつけられるものがあった。だが、新刊『ミノタウロス現象』(KADOKAWA)は設定はもちろん、物語としての強度という点でも同作に負けていない。ライトノベル風のテンポの良い会話など、全体的な軽妙なノリが支配しているのも特徴だ。
 話はオーストラリアの牧場に謎の怪物が出現するところから始まる。水牛のような頭部をした、身の丈3メートルの獰猛な怪物はしかし、案外弱かった。銃をぶっ放せばあっさり退治できたのだ。だが、それを皮切りに、世界各地に同様の怪物が多数出現し始める。怪物は、『エヴァンゲリオン』の「使途」がそうであるように、なにが目的なのか、どのタイミングで現れるのかが謎のまま来襲する。しかも、徐々にヴァージョン・アップしてゆき、狂暴化の一途をたどるのだ。分厚く強固な壁を作ってもそれを軽々と打ち破り、ライフルなどではまったくダメージを与えることもできなくなってゆく。
 当然、世界中は大混乱に陥る。それに便乗して大衆を煽るアメリカ人警官・モーリスが登場。YouTuber的なノリで事件の概要を解説し、謎を自己流で解き明かそうとする。こいつがまたインチキな厄介者なのだが、パニックに陥っている民衆たちには過剰なまでの訴求力を持ってしまう。まさに今ドキというか、確かにリアリティがある展開だ。極端で煽情的なそのスピーチからは、ドナルド・トランプやイーロン・マスクを連想させられた。
 舞台の中心はその後、日本の京都府眉原市に移る。25歳で市長となった女性、利根川翼が本作の主人公だ。利根川は政治に興味があったわけではなく、バンドでベースを弾いていたただのいち市民。そこに羊川葉月というキレ者が現れ、秘書となった彼女の後押しによって市長選挙に出馬したところ、泡沫候補だったはずが当選してしまう。
 市長は不可解な事件の全容を解き明かすことに躍起になるが、事態はなかなか進展しない。警察とも連携しての捜査が動き始めるのは、怪物と迷宮の謎を調べてきた研究者……のふりをしたマッド・サイエンティスト。こいつがまた、怪しくてうさんくさくて、でも頭はキレるし知識は豊富。後半は彼がキーパーソンとなってゆく。
 彼の協力もあり、怪物はある条件下に置かれると出現するらしい、ということが徐々に明らかになってくる。そこで浮上してくるのが、迷宮の問題である。ミノタウロスとはギリシャ神話に出てくる牛頭の怪物で、クレタ島の迷宮に閉じ込められていた。どうやら怪物は迷宮と深い相関関係にあるらしい。これがひとつのヒントとなり、一同は奇妙にねじれた謎をひとつひとつ解きほぐしてゆく。
 怪物が出現する動機や条件が分かり始めてからは、もう、怒涛の展開。考古学や歴史学や神話、建築学などを織り交ぜた、衒学的な推論には目が釘付けになる。複雑なトリックと予測外の謎解きが矢継ぎ早に繰り出され、脳味噌がまさぐられるような快感が味わえる。事件を解決せんとする専門家の試行/思考の軌跡をたどるだけでも、十分に面白いはずだ。
 それでいて、現代の政治腐敗への風刺や、地方議会の運営の難しさなどが絡み、本書は「ポリティカル・ミステリ」とでも呼ぶべき特殊な作品に仕上がっている。巨大な怪物の出現による混乱と、それを解決せんと奮起する政治家や科学者、という対立構造は『シン・ゴジラ』に通じるだろう。
 緊急時でも延々と不毛な会議が繰り返される一方で、有能な専門家が早急に問題解決にあたる同作も『シン・ゴジラ』『シン・ゴジラ2』も、もちろん傑作だ。が、フィールドの異なる叡智の結集によって危機がすんでのところで回避される『ミノタウロス現象』も負けず劣らず、スリリングで刺激的である。
 本書で怪物がヴァージョン・アップして巨大化するように、潮谷氏の書くミステリも自己ベストを次々に更新し、アップグレードされてきている印象だ。まさにモンスター級という他ないこの作家、まだまだのびしろが残されているのではないだろうか。

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