花田菜々子『モヤ対談』

 数々の本屋で名物書店員として名を馳せてきた花田菜々子氏は、文筆家としても類稀なる才能の持ち主だ。ドラマ化もされて反響を呼んだ『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』なる著作があり、現在は高円寺の「蟹ブックス」を経営している。そんな彼女が20名の作家らと、彼ら/彼女らの本を端緒に対話を繰り広げたのが、『モヤ対談』(小学館)である。
 花田氏は対談相手の本音を聞きだすのが抜群にうまい。絵本作家のヨシタケシンスケ氏の作品について、子供の追求にしどろもどろになる「ダメな親」がこれまでの絵本に出てこなかったのでは? と鋭く斬りこむ。そして、大人だってたいしたことないし、ブレる、それを描きたかった、というヨシタケ氏のモットーを引き出すのである。
 ライター/コラムニストのブレイディみかこ氏の章では、氏の著作について「エンパシー」(共感/共鳴)という言葉がウケて独り歩きしているのでは? という問題を冒頭から投げかける。ブレイディ氏の著作『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』という本と、それに対する読者の反応をあらかじめ丹念にリサーチしたのだろう。ブレイディ氏は、花田氏の言う通り、〈単なる多様性のいい話、希望の話、少年たちが困難を乗り越えていく話〉と語られたことがとても辛かった、とこぼす。
 また、ラジオで悩み(特に恋愛)相談に乗ってきたラッパーの宇多丸氏とのやりとりには、おおいに首肯した。クソ男との恋愛をやめられない女性に「そんな男やめとけ」というのは簡単だ、と宇多丸。人には「間違う権利」があるのだし、理性で恋心をコントロールできるわけがない。「正しい」忠告なんて意味がないこともある、と花田氏と意気投合する。
 もちろん、単純かつ安易に共感しあえる対談相手ばかりではない。例えば、『まとまらない言葉を生きる』を書いた荒井裕樹との対談では、荒井が冒頭で〈事前に頂いた質問を拝見して「難しいなぁ」と〉と思ったことを打ち明ける。
 例えば、各々の悩みについての解決法ならば、「どうすべきか」「何ができるか」は、それぞれの措かれた状況や立場によって違うので、それを無視して助言などできない、と釘をさす。実は、この、自分自身が迷いながら執筆していく特異なスタイルが荒井氏の『まとまらない言葉』という大名著で実践されている。つまり、彼のスタンスは創作でも対談でも一貫しており、ブレがないことがよく分かる。
 何度も頷きながら爆笑してしまったのが、エッセイストのメレ山メレ子氏との対談。恋愛の話は「分かる/分からない」の二択になりがち、とメレ山氏は言う。メレ山氏は「どこからが浮気か」というテーマを〈クッソさむい〉、花田氏は「男女の友情は成立するのか」という問いを〈いちばん嫌いなテーマですね(笑)〉と話している。
 それはそうだろう。ふたりの言う通り、それは当事者同士の完全に個別な問題であって、一般化/普遍化などできるものでもない。〈不倫はアリかナシかとか。そんなの当事者たちにとって「許せるか許せないか」しかないだろう、と〉というメレ山氏の発言の通りである。
 全ての対談を読み通すと、現実の見晴らしが少しだけよくなっているはず。それは、対談のテーマが多岐にわたり、いくつかは自分の境遇に当てはめて考えられるからだろう。人権、推し活、シングルマザーの恋愛、家事、生産性、加齢、言語……。そして、個々のテーマについて、決して一般論に矮小化することなく、花田氏らが自らの個人的なエピソードに引き寄せて語っているのがいい。それゆえに、本書はおおいに説得力とリアリティを備えているのだと思う。キーワードはやはり、「当事者性」だろう。

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