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生まれ変わりを信じれば世界平和が実現すると思う。

仏教でも輪廻転成、六道輪廻なんて言ったりするけど、生まれ変わりを信じれば、世界平和が実現すると思う。

仮に100万回生まれ変わるとして、人間に生まれ変わるのはそのうち1万回くらいとする。まず大前提として、人間に生まれ変われただけで超ラッキー回だ。

その1万回の中で、超お金持ちの家に生まれることもあれば、超貧乏の家に生まれることもある。美形に生まれることもあれば、醜く生まれることもある。目が大きいこともあれば、小さいこともある。背の高いこともあれば、低いこともある。髪がフサフサのこともあれば若くしてハゲになることもある。宝くじで1億円当たる人生もあれば、事業に失敗して大金を失うこともある。順風満帆な人生の中、突然不治の病にかかってしまう人生もある。老衰で100年の人生を全うすることもあれば、焼死、溺死、転落死、脳卒中、ガンで死ぬこともある。交通事故や津波や落雷や土砂崩れなどの自然災害で死ぬ人生もある。子沢山の人生もあれば、子供に恵まれない人生もある。天才児を生むこともあれば、重度障害児を生むこともある。大切な人を不慮の事故や自殺で失う人生もあれば、超大金持ちに見初められ玉の輿に乗る人生もある。いつまでも若々しく老けない容姿の時もあれば、年より老けて見える容姿の時もある。また、すべての国の人になる。日本人、アメリカ人、フランス人、韓国人、ブラジル人、中国人、ナイジェリア人、インド人、イギリス人、トルコ人、スイス人、カナダ人、ケニア人。。ある時は難民に生まれ、紛争地帯で内戦に巻き込まれ、ある時は英国貴族として、あるいはアメリカの超セレブの養子として何不自由なく生きる。ある時はDVやネグレクトをする親の元に生まれ、ある時は素晴らしい人格者の親の元に生まれる。ある時は大好きな人と大恋愛の末結婚し死ぬまで連れ添うことができるが、ある時は伴侶に裏切られ独り身のまま人生を終える。ある時は盲目で、ある時は聾唖として人生を送る。ある時は男で、ある時は女だ。

とにかくもうありとあらゆる人生を経験する。だけど、器は違えど中に入っている魂は同じなのだ。

生まれ変る前、まだ新しい器が決まっていない段階で、魂自身が自分で次の器を決めることがある。

成長するため、あえて難関のある人生を選択し、「次こそは、大切な人の死を乗り越えて強く優しく生きます。」などと神様に誓って、それはそれは深く清らかな祈りを捧げる。でも、おぎゃあと言った瞬間、全て忘れてしまう。

それでも、魂の深いところにはきっと刻まれている。だから折に触れ、ふっと何かを思い出しそうになったり、訳もなく涙が出たりするんだ。

神様に誓ったことを守って、逆境にも関わらず精一杯生きたとする。そうすると、その人生が好転するだけでなく、何か徳ポイントのようなものがたまり、どっかの人生で、深い喜びがもたらされたりする。もちろんポイントを失うようなこともある。どんなことをすればポイントを大量に失うか、分かると思う。

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私は特定の宗教は信じない。でも世界中の人達が、天国と地獄よりも、こんな風な生まれ変わりの仕組みを信じれば、戦争とかいじめとか犯罪も下火になってくんじゃないかなって思うのだ。敵対してた国の人に、嘲笑ってた容姿に、憎んでた人の家に、恐れていた病気に、次生まれ変わった時になっちゃうとしたら?その問いが頭の片隅にあるだけで、誰かを馬鹿にしたり、自分の境遇を恨んだり、起こりうる災難に必要以上に不安になったりしなくなるんじゃないかなって。

仏教では、六道輪廻から抜け出し、解脱し、涅槃の境地に入ることを最終目標にしたりするけれど、実際に永遠ほど恐ろしいものはないことだし。いつか、大きな光の一部になって、自我はなくなる。地球もなくなって、宇宙もなくなって、光みたいなものしか残らない。「もう思い残すことはない。あの光に溶けて無くなります。」と強く宣言するまでは、何度でも何度でも生まれ変わらしてくれる。

そんな仕組みだったりしないかな。

与えられたカードで、どれだけのことができるか。引いて出てきたカードを、どう使うか。そこは腕の見せ所であって、嘆き悲しむ所じゃない。駄々をこねたり当たり散らしたりズルをしたりしては、ゲームは台無しになってしまう。どうすべきか、よく考え、時には大胆に、力の限りを尽くし、ベストゲームを目指す。なげやりになって捨てゲームをしたりなんかしたら、罰則としてポイント減。

そんな風な仕組みでもいいや。

不穏なニュースを聞いた時など、いつもそんなことを考えてしまうのです。

もし聖書のノアの箱舟項で、ノアが100万回生まれ変わるお話が載っていたとしたら、世界はどうなっていたんだろう。

ありがたく使わせていただきます。