月のひかり

陽が傾きだした先程から、冷えてきたな、とは思っていたのだけれど、完全に夜がふけてからはすっかり、寒い、といった表現になった。早めに出した厚手のカーディガンがちょうどいい。いつもならあまり窓は開けたくないのだけれど、今日は十三夜。見上げれば、そこには澄みきった光を放つきれいな満月。昔から特別とされてきたそれは、今、少し形を変えて、でも、大切、というところは変わらずに、伝えられている。
私はこの光を一年間、待っていた。とても、とても大切な気持ちと共に。

ニャーオ ニャーン

高く響く猫の鳴き声。実は普通の猫のものではない。魔力を持つ、猫の姿をした「魔女」のもの。一言では表現しにくい、不思議な魅力を持った素敵な人だ。
鳴き声の響く空へ両手を差しのばせば、そこに一通の封筒が届く。裏の封印は金色で、月と猫のデザインだ。いそいそと開けるときなり色のカードが入っていて、銀色の月をモチーフにした縁飾りがしてある。ペンで書かれた、流れるような文字でこうあった。
「今年もハロウィン・パーティを開催いたします。
貴女とお会いできることを、心よりお待ちしております。

P.S. あの方も、もちろん来てくださるそうですよ」
「きゃあああっ。ええっ?!じゃあ、知られてしまっているのっ?!どうしようっ。あぁっ、でも、準備しなくっちゃっ」
内緒にしていたつもりなのに、どうやら魔女様にはお見通しだったらしい。さすがだわ、なんていう心の余裕は、今の私にはなかった。
とにもかくにも、パーティなのだから、きちんとした服装で行きたい。ハロウィンなので仮装をするのだけれど、私の本当の目的はあの人に逢うこと。ならばあんまりおどろおどろしくはしたくない。仮装にこだわりすぎてもダメ。やっぱり、かわいく、きれいに、キュートにしたいのが乙女心というもの。それでいて、せっかくの機会だし、いつもと違う自分にチャレンジしたい気持ちもある。
「ああっ、もうっ、まとまらないいっ。魔女様助けてーっ」
ロングの黒髪をぶんぶん振り乱して、叫んでしまう。
金とも銀とも見える優しい光の満月は、魔女様の瞳のようだ。
それでひらめいた。
ハロウィンの定番色、オレンジと黒のフリルのついたノースリーブのワンピースにショートマント。黒のショートブーツにレースの手袋。それと黒い猫耳カチューシャをつける。つまり、猫の魔女仮装にしたのだ。
本物の魔女様は、明るい栗色のふわふわした髪だけれど、私は黒のロングのストレート。全く似ていないけれど、これは私の唯一自信のあるところだから、ここは変えない。
そうそう、髪も大事だけど、お肌のお手入れもしなきゃ。あんまり上手にメイクできないから、せめてきれいな肌でいたい。
かがみをのぞきこんで仮装した自分を想像する。かわいさ120%増しでうつっているが、そういう所にツッコミは入れない。
うんうん。今年は頑張ったぞっ、なんて思っていると、後ろから大きな手がのびてきて、優しく、でも力強く抱きしめてくれる。もちろんあの人だ。猫耳をいじりながら、本当の私の耳に囁いてくれるのは……
「きゃあああっ。私ったらっ」
我に返ったとき、鏡の私は全身から湯気が出るほど赤くなっていた。

それから昨日までは、あちこちのお店をまわって、衣装を揃えたり、いつもより念入りに髪やお肌のお手入れをしたり。夢中になっているうちにあっという間にパーティ当日が来てしまった。
広いお庭に囲まれた古民家は、日本風の建物だけれど家具は西洋風のもので、東西が違和感無く融け合っている。
「いらっしゃいませ。ウェルカムドリンクをどうぞ」
「あ、ありがとうございま…」
振り返った私の目に飛び込んできたのは、少しヨレた感じを出した着流しに刀を差した、浪人姿の狼の顔をした男。その彼がシャンパングラスを差し出してにっこり微笑んでいるのだ。
「あぁ、びっくりした。今年は浪人なの?それともスタッフさん?」
「いや、ジャック・ザ・リッパーの日本版ってやってたらこんな風になった。いないよな、こんな日本のモンスター」
「いないけど、人切り浪人っていったらわかるかも。でも顔は狼じゃないわね」
「だろうなぁ。でもさ、こんだけ月がきれいだとつい、ね」
ピンと伸びた髭をピクピクさせて、彼は空を見上げる。澄んだ夜空の満月が、狼男の彼の毛をキラキラと輝かせて、私はつい見とれてしまった。
不意に彼の耳がぴくんと動いた。そして頬をぽりぽりとかきながら、私の耳元に呟く。
「お前、今、無意識で、呟いただろ。独り言のつもりなんだろうけど、ちっと恥ずかしいぞ」
言われてみるみる赤面していく自分がわかった。
私の悪いクセ。私の声は人間のそれとは少し違っていて、テレパシーなのだけれど伝わる範囲も大きさも小さめだ。口も無いので一見するとしゃべっているとは分かりにくいので、油断しているとつい思ったことが出てしまっていることがある。でもそれを周りに聞かれることはほとんどないのだけれど、耳のいい狼男の彼には拾われてしまうのだ。
目も口も無いので表情がほとんど顔に出ない私でも、さすがに動揺が出る。のっぺらぼうの顔だけでなく全身にまで。
恥ずかしさのあまり無駄におろおろしてしまう。言い訳したくてもうまく言葉がテレパシーにのらない。それがいっそう私を落ち着かなくさせる。
パニック寸前の心が、急速にスピードを落とした。
見れば私の手は、狼の毛で被われたがっしりした手に握られていた。優しく、力強く。
にっと笑った彼の視線が絡むと、また心が跳ねるが、今度は暴走ではない。私も心を込めて手を握り返す。
「ありがとう」
きちんとテレパシーにのせて言った。
その時、庭の小さいステージから、わっと拍手が起こった。
見れば、闇色のドレスを纏った魔女様がシャンパングラスを片手に立っていた。
「皆さん、ようこそおいでくださいました。今宵はハロウィン。この世にある全てのものたちが、垣根を越えて語らう日。存分に楽しみましょう」

人の世界へ行って、人と共に楽しむもの。
魔力を持つもの同士で、バトルパーティになるもの。
そして、私たちのように、静かに寄り添って過ごすもの。
深い夜空に、月の光は淡く、やわらかく輝いていた。

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