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エンパシー物語


講師の方々

エンパシー軍団
そこに、ただ静かに、存在してくれている

責めない・攻撃しない・ただただそこに居る

圧も無ければ、イヤなものを持たない人々

話しかけられたわけでもなく、話してもいない

けれど、伝わってくるもの


今、振り返ると、名前を付けることができますが

その瞬間は、不思議な空間・気配・雰囲気だった記憶です。


初めての体験で、そんな存在は今迄感じたことはなく

オーラなのか?雰囲気なのか?分かりませんでした。


しかし、何かが違う。いつもと違う。普通じゃない!と

直感でビンビン感じたことは確かです。


自分の存在をアピールすることもない。

威圧で、支配するのでもない。

明るく振舞ったり、場を盛り上げようともしない

ただただ、穏やかに存在している。

足さないし、引かない。あるがままで居ること。


あえて、それを選んでいるような。

それが、ごく当たり前の様に、している姿


初めて出会う人達に、衝撃を覚えました。

何なんだ!この人達は!どうして?何で?

と好奇心が止まりませんでした。


色々調べたり、スペース等でお話を聞きましたが、納得できない。

これは、彼等の懐へ飛び込むしかないな!と入会を決意しました。

迷いはありませんでした、寧ろ前のめりの自分を抑えるので、精一杯でした。あまりにも、興味深々だったので。


講座を受けている最中に感じたこと


第一講座を受けて、自分が行っていることを、いきなり唐突に取り上げて貰えた様な感覚に陥りました。

あまりにも急で、突然のことで、驚きました。
何が起こっているのか?分からない。少し混乱しました。

しかし、とても嬉しい出来事になりました。
生まれて初めて日の目を見る様な感覚。
自分のやっていたことが、次から次へと。
一般的に価値は低いと思っていたのに。

「それはこういう類のものだよ」
「それにはとても価値があることなんだよ」
「貴女は間違って無いよ」

「その行動は素晴らしいよ」
「よく続けてこられましたね」
「頑張ったね」

100点満点のご褒美シールを貰えたみたい!
金の縁取りがしてあるピカピカのシール
貰えたら胸を張ってしまうシール
みんなに自慢したくなるような最高のシール

大人になってから貰えた最高のご褒美
想像もしてなかった出来事に、胸は高鳴りました。

100点満点金ピカシール


それまでの自分の感覚について


今までは真っ暗闇の中で
光が当たることなんてないと思っていました。
一生このままでも構わないと思ってました。
独特な方法が故に仕方ないと思ってました。

光が当たらない・見えない・認識されることは無い様な
自分ひとりで、ひっそりとやっていたこと。
でも、とても大切なもの。
自分が大切にしていけば良いと腹を括っていました。
ひとりで、こっそりと。

講座を受けた後、知った自分のこと・分析したこと


そこにあるとも知らなかったもの
自分の中には在ったが、意識していなかったもの
在ることさえも、よく分かっていなかったのだと思います。

誰にも指摘されていないし、当たり前だし
人と比べることも無かったので、詳細は分からない状態。

自分の中では当たり前のルールであり、それはとても大切なことでした。

しかし、名前が付けられておらず、分類もされてもいませんでした。
分類してみたいと思いましたが、うまく纏めることができませんでした。
纏め方も分からないし、保留になっていました。

大切だと確信していたが、周りでは誰もやっていないこと
一般的にはそんなに価値は無いものだと思っていました。
それはとても孤独なものでした。

価値を共有できない為、相談することもできない。
ときには自分のやっていることには意味が無いのではないか?と不安になってしまうことも多かったです。

一部の上司は、褒めて下さいました。
年齢が20歳以上離れた人達からでした。
一応、嬉しかったけれど、
同年代や毎日顔を合わせる人たちとその話をしたかった。
みんなと共有したかった。
意見を交換したり、一緒に考えたかった。
でもそれをすることは不可能でした。
その環境はごく当たり前の日常でした。
いつしか自分の欲求さえ忘れてしまっていました。


満点を付けて貰った後


講座を受けている間に、次から次へと

散らばって バラバラに分散していたものに
付箋を付けられたようでした。
ひとつひとつに、名前が付けられた瞬間。
放置されていたものに、価値を付けられたような。

付箋で目印が付けられると、意識することも増えるようになります。

それを確認する度に、価値を見い出せたことに、認めて貰えたことに、とても嬉しくなりました。それを半年程繰り返しました。

繰り返されると、何かが強化されていく感覚がありました。

価値が無いと思っていたのに、価値があった!
やっぱり!と誇らしくなります。
これが何十回も繰り返されました。

すると、嬉しくて嬉しくて仕方がない気持ちが徐々に移行していきます。
数カ月後には自分の中のそれらの行動が「確信」「誇り」となっていました。自分の中の「自信」が「強化」されている。何か重くてどっしりとしたもの。不動で確実にそこに存在していました。


対人支援で生かすとき


子どもたちは、安心安全の場所で緊張せず、リラックスできると、成長できます。吸収し始めます。

相手にエンパシーを向ける・ということは
温かく見守ることであり
決めつけをしないことであり
相手の状態を、想像しないで、正確に把握し理解することだと思います。

見守るとは、危険が及ばないか?見て・守ること。
どのような状態なのか?を正しく把握していること。
そして、安易に助けるのではなく、自分のチカラで実践するのを見ていてあげること。
これをするだけで、相手はとても喜びます。
「喜ぶ」とは、うれしいこと。うれしいと、元気が湧いてきます。
どんなことにも挑戦することができます。
応援団を得られたように、自ら歩み始めるのです。

大泣きしている子が居ると、仮定してみましょう。
貴女はどう感じますか?
うるさい?また始まった?困った?

では、その泣いている子は、どんなことを感じているのでしょうか?

悲しい?
悔しい?
怖い?
不安?
寂しい?
お腹が減った?
痛い?
苦しい?
眠い?

泣いている理由が、きっとあるはずです。
子供ですから、自分の状態を冷静に把握することは出来ません。
泣くことで、訴えかけているのです。
赤ちゃんが、泣くのがお仕事のように。
泣くことで、表現しているのですね。

泣いている子が居たら、どうぞエンパシーを向けてあげてください。

どうしたのかな?
何があったのかな?

と、背景や、状態を、正しく把握してあげるのです。
理解してあげるのです。

そうすると、その子は、分かって貰えたという満足感を得ることができるでしょう。そして、次のステップへ進むことができます。

もしかしたら、泣いている理由を教えてくれるかもしれません。
もしかしたら、抱きついて、更に泣くかもしれません。
もしかしたら、落ち着くかもしれません。

さあ、どうなるでしょうか?その子は何を求めているのでしょうか?こちら側には、わかりません。

しかし、エンパシーを向けると、それが明らかになってきます。
エンパシーは相手を無条件で受け入れる行為なのかもしれません。

子供の頃の大人への気持ちから


私のエンパシーの使い方は、ずっと相手に対するものでした。
対人支援のお仕事では、フル活用しています。
お陰様で子供達からは、絶大な信頼を得られています。
学校をお休みしても、ここは休まないで来る。
そんな楽しい場所になっているようです。とても嬉しいことです。

エンパシーを相手に向けると、とても大きな安心感があるようです
「他の大人たちとは、ちがうね」と子供達は言ってくれます。

私は子供のときに、好きではなかった大人の行動・言葉を
とてもよく覚えています。軽蔑さえしていました。
その大人達の行動の反対が、エンパシーそのものでした。

そのとき、何故軽蔑したのか?を考えてみました。
子供である私の話や、その経緯などを一切聞こうともせずに
全て決めつけ、何かの判断を下し、強制したのです。

大人は、憤慨し怒りの表情でいます。こちらの説明を聞いた訳ではないのに、怒っています。怒った強い口調で何かを言ってきます。声は大きくなります。怒鳴り声に近いような。

子供である私は萎縮するしかありません。理由があるのに。何で聞いてくれないのだろう?そんなに怒ることではないのに。何故怒っているのだろう?
沢山の疑問がありました。しかし、それを伝えることは出来ません。話せる状況ではないのです。怒鳴られているのですから。

解決する方法を持たない子供。とても無力でした。そして、その大人への怒りが、憎しみになりました。

こんな人の言うことなんか、聞くもんか。だって、この人も聞いていない。この人は、頭が悪いんじゃないだろうか?理由があることを、知らないのだろうか?
こんな大人になんて絶対ならない。最低の人間だ。と軽蔑することが増えていました。

子供の目線で、どんな大人なのか?を見極めていました。たいしたことが出来ない大人のことは、どんどん見下していきました。その行動は、間違っていない!と確信をもってやっていました。

こんな子供だった私ですから、子供が大人を見下すのは当たり前だと思っています。ですから、子供達に見下されないような大人でないと、対等に扱ってもらえません。

見下されない為には、子供の時の私が認める大人になれば良いのです。自分は、大人に対して、どう接して欲しかったのか?トコトン突き詰めてみました。

・話を聞いて欲しかった
・理由を聞いて欲しかった
・大きな声を出さないで欲しかった
・怒りの表情をむき出しにしないで欲しかった
・優しく問いかけて欲しかった

これが全てでした。こんな大人が理想でした。
こんな大人と接することができたら、何でも出来るようなきがしました。こんな大人と出会いたかったのです。残念ながら、そんな大人とは出会えませんでした。これは子供心にとても残念でした。

じゃあ、私は子供達にとって、こういう大人になれば良い!と思うようになりました。大好きになれる大人。尊敬できる大人。そんな人と出会えたら、うれしくなる大人。こういう大人を目指すことにしました。

私の理想の大人は、私に、こう話しかけてくれるはずです。

「どうしたの?」
「何かありましたか?」
「教えてくれませんか?」

優しい口調で。微笑みを浮かべながら。
受け止める姿勢で。相手が、話しやすいように。

理想の大人像の準備は、これで、バッチリ。
私は、迷わず、これを実行し始めました。
そして、子供達は、それを受け入れてくれました。
この行動そのものが、エンパシーでした。

この様な背景から、子供達にエンパシーを向けるようになりました。私のこの行動が、エンパシーと知ったのは、つい最近のことです。講座を学び、そして自分の行動が、エンパシーということを生まれて初めて知りました。

子供の自分が、大人にして欲しかった行動。それを、続けてきた自分。エンパシーという名前を付けて貰いました。初めて名付けられた、その行動は、私の誇りです。この誇りを胸に、これからも生きていこうと思えました。

相手も自分も喜ぶ「エンパシー」
一生大切にしていきます。

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