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出産体験記-52時間53分の戦い その2

【前回のあらすじ】(元ネタが分かる人は三石琴乃ボイスで脳内再生してください)

わたし、ありよし!痛いのがちょっぴり苦手な30歳妊婦!予定日が近づいてもなかなか産まれる気配がなくって焦っていたところに、ようやく軽ーい陣痛がきていよいよ病院へ!だけどその後全く状況が変わらないまま1日が終わっちゃって、不安たらたらーって感じ。そして、2日目についに促進剤投与が決定したの。痛いのは怖いけど、でも、やるっきゃないない!あはは!


ということで、2019年7月27日14時、1時間後に予定された促進剤投与の準備として陣痛室でお腹に機器を巻きつけられます。これで陣痛の強さと赤ちゃんの心音を確認するわけですね、今までも何度もやらされているので、いい加減ごぶごぶという自分のお腹の中の音がトラウマになってきています。しかしこれもあと少しの辛抱だ、と寝転がること1時間半。…ん?ちょっと待って?促進剤15時に入れるって言ってたよね?もう30分過ぎてるけど忙しいのかな…もう少し待とう…。しかしなんの音沙汰のないままさらに30分が経過。気付いたら16時です。さすがにちょっと誰か来たら聞いてみようと思ってたら、看護師さんが点滴用具を持ってやってきました。どうやら今からのようです、1時間ずれてるけどまぁ忙しいのでしょうから細かいことは目を瞑りましょう。

さて、点滴で薬を入れるためには当然腕に針を打つわけですが、看護師さんは人の腕をああでもないこうでもないと触りながらぶつくさ言っております。素人目に見ても、自信がない様子が伝わってきます。率直に言って不安。大丈夫かなぁと思っていたそのとき、ついに看護師さんは覚悟を決めて私の腕に注射針を突き立てました。

「あらやだごめんなさい!刺すとこ間違えちゃったみたい!〇〇さーん(同僚の名前)、私ちょっとダメっぽいから代わりにやってくれるー?」

おおおおい!!あらやだじゃないよ相当痛かったよ?!(出産後見たら点滴の痕の下にくっきり痕が残ってました。大分ずれてました)。すぐに違う看護師さんがやってきて2発目、いやこれも痛いけどどうやら今度はうまくいった様子。分娩室で薬が効くまで待っていると、隣の部屋から当直の先生がまだ来てないけどまぁ初産の人だしそんな急には進まないから大丈夫っしょーみたいなのが聞こえてきます、えええそんな感じですか…。

薬の投与が始まってから1時間後くらいに、ついにお腹が痛み始めました。痛みの種別としては重めの生理痛。事前に習った呼吸法、遠くの蝋燭を吹き消すように細く長く息を吐いて痛みを逃します。全集中、お産の呼吸、一の型、蝋燭消し!(この頃ありよしはまだ鬼滅を知りませんでしたが)。この頃仕事に出ていた夫がやってきて、助産師さんたちは何かあったらナースコールの紐引いてくださいという言葉を残して分娩室から消えて行きました。

そんな感じで細い息を吐きながら痛みと付き合っていると、19時40分ごろ、お腹の中で風船の割れるようなぱん!っという感覚。と同時に、生暖かい液体が身体から流れ出すのを感じました。これが破水という現象です。慌ててナースコールの紐を引っ張ったら、紐が抜けました。プチパニックになり大声で助産師さんを呼ぶ旦那氏。「はーい」という呑気な声が向こうから聞こえます。でも来ない。そうこうしているうちに、痛みの性質が変化します。今までは、内臓系の痛みだったのが、腰骨を万力で締め付けるような痛みへ。こういうときこそ呼吸に集中して痛みを逃さなくてはいけないのですが、そんな余裕ありません、炭次郎は長男だから痛いの我慢できたって言ってたけど長女の私は我慢できませんでした。痛い。痛すぎて何でこんな思いをしなきゃいけないんだという愚痴がこぼれます。でもまぁこの痛みもあと少しで終わるはず…、だってお薬投与したら今日中に片が付くって先生言ってたもん、今日ってあと数時間しかないし…。そう思いながら耐えていたとき、当直の先生が来て言いました。

「うーん、子宮口がまだ全然開いてないですね、産まれるのは明け方かと。ただ、これ以上薬を入れると危険もあるので、お薬は切って自然な分娩を待ちましょう」

ぷっつん。何かが私の中で切れたのを感じました。今日中に何とかなる、と信じていたのにまだこの苦しみが続くなんて…。一気にソウルジェム真っ黒状態で、腰をさすってくれている夫に思いつく限りの愚痴(というか罵詈雑言)を浴びせていたそうです。ちょうどこの頃痛みと疲れと眠気と諸々あって記憶がだいぶ曖昧なのですが、相当酷かったらしく、夫がお医者さんに呼ばれて2度ほど私の態度についてガチ説教を喰らったらしい。(後から聞いてみると確かに私の愚痴は酷かったんだろうと思いますが、だからといって夫を責めるのはおかしくないか?と今でも思っています。だったら私に言ってくれよ)

疲労がピークに達し、痛いながらも少しうとうとして、ふと気が付いたら午前2時でした。やっと正常な判断力が少し戻ってきます。そして、仕事から帰ってきてすぐずっと私の腰をさすり続けている夫への労りの気持ちが芽生えてきたので、あとは頑張るから、生まれる直前まで家に帰って仮眠を取ってほしいと伝えます。夫も疲労がピークだったので、一時帰宅。5時以降の出産ではという見立てのもと5時にまた来ることに。そして分娩台に一人残された私。容赦なく分娩室の電気を消す助産師さん。そりゃ電気はあってもなくても変わんない気がするけど真っ暗かよ…。

さて、先ほどまでは骨盤をハンマーでぶっ叩かれてるみたいな痛みだったのですが、ここで痛みが更に変化します。あまり上品でない例えで申し訳ありませんが、超特大の便秘って感じ。なんかすごい便が出そうな感覚。この頃になると、お腹が痛いのもそうなんですが、脚とか身体全体が痛くなってきて、しかし一人で寝返りも打てないので、しょっちゅうナースコールの紐を引いては寝返りを補助してもらったり水を取ってもらったりしてました。今回のお産では医者1名と助産師2名が私の担当だったのですが、このときずっと助けてくれてた助産師さんは本当に優しかったです。しかも美人。(この人には本当に良くしてもらったので産後、お産中の自分の態度について謝罪をしました。すると「謝らなくていいんですよ、みんなそうですから」って優しく言って下さったので少し救われました。ちなみに夫を叱責した当直の医者にはその後一切会ってない。ていうかそもそも診察でも一度も会ったことないんだけど。そしてもう会うこともないだろうけど)真っ暗な部屋の中、さまざまな痛みに耐える私を支えてくれたのは、繋がれた機械から聞こえるお腹の子の心音でした。この子も頑張ってるから私も頑張らなくちゃ。

そうこうしているうちに、特大の便秘の感覚が徐々に出口に近づいてきた気配がします。いよいよラストスパートですということで、5時より少し前ではあるけれど、夫に電話をすることに。まぁ、5時に来るって言ってたからもう向かっている頃だろう、ちょっと急いで来て!って言えばいいかなと思いながらスマホを耳に当てていますが、何度コールしても出ない。一度切ってから再びトライするも、コール音が響くのみ。…これはもしかして、まだ寝ているのでは…?妊娠が発覚したときから散々立ち合い出産希望を表明していた夫、まさかの寝過ごして間に合わないフラグが立ちました。さすがにそれはと思い、いきみながら鬼電。やっとのことで電話に出た夫の声は完全に寝起きのそれだったので、つい「いつまで寝てるの!」と怒鳴りつけてしまいます。こういうことするからお医者さんに怒られるんだな…。とりあえずダッシュで駆けつけ、夫は間に合いました。

いきんで力抜いて、という出産におけるクライマックスについては、かなりスムーズに進んでいきました。しかしここでまた一つ関門が。会陰切開です。子どもが出て来る穴を広げるために少し切るわけで、初産の人はほぼ100パーセントやりますって事前に言われていたけど、身体切られるのは怖い。ぱちんって切られる感覚で思わず「痛い!」って身体を引こうとして「動かないで!危ない!」とお医者さんにまたも怒られる。(懲りない私)

そしてとうとう7月28日5時18分。分娩室に産声が響き渡り、息子が誕生。生まれてすぐ処置台に寝かされた息子の姿を見た瞬間、やっと会えたねという気持ちと、あまりの可愛さにやられ、涙ぐんでしまいました。その後写真を撮り、夫は帰宅、息子も別室へ。そして私は後処理を終えて、点滴しながら1時間の安静タイム。これまで感じていたあちこちの痛みが、産んだ瞬間ほぼすべて消えて、幸せな気持ちのままそこで爆睡します。次に目を覚ましたら朝食が運ばれてきて、左手を点滴、右手をバイタルに繋がれたまま分娩台の上で朝ご飯を食べることになりましたが、両腕が自由にならない状態なのでろくに食べられませんでした…。

そんなこんなで、私の52時間53分の戦いが無事に終わったわけです。分娩時間は初めに陣痛が来てから産むまでの時間なので、実際に分娩台の上で過ごした時間ではないそうで。したがって、微弱陣痛で入院した時から数えて52時間53分。とんでもない数字ですね。今までの人生の中で一番痛みと戦った52時間53分でした。これを公衆トイレとかでできる人ほんとすごいと思う(もちろんその行為そのものを褒めるつもりはないのですが)

ということで、やっと書けました…。出産の記録。

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