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世界一周に行きたい理由

最初に世界を意識したのは、大学入学前に行ったインドでのこと。
鳴りやまないクラクションと、どこに行っても辛い食べ物、家の中にいる水牛や凹凸の多い道路を走るバイク。すべてが日本と違う、その環境で沸き上がったのは強烈な解放感だった。

ホストファミリーに倣って食べたメロンの種を家の床に吐くとき、常に笑顔を作っているのが日本人の私だけだと気づいたとき、自分が日本でいかに多くの「常識」に縛られていたのかに気づかされた。

私が必死にすがっていた「常識」も「対面」もすべてちっぽけなものだったし、対して世界は可能性にあふれていた。私が知らない文化、人々、空気に触れ、「私はまだ全然世界を知らない」「世界を知らずに将来なんか決められない!」と強く思った。


とはいえ。大学に入ってしまうと日々の課題やらバイトやらに追われて毎日が一瞬だった。気づいたときには半年が過ぎていて、しかも旅に出られない理由は山ほど転がっていた。バイトがやめられない、寮が抜けられない、大学を休学できない、部活の仕事が忙しい…。「やるべきこと」をこなすのに忙しく、「やりたいこと」を模索する時間はなかった。 


状況が変わったのは1年生の秋。きっかけとなる2つの出来事があった。

1つ目は世界一周コンテストに参加したこと。コンテストの内容は覚えていないけれど参加者が個性豊かで、自分の夢を追っている人ばかりだった。まさに「好きなことをして生きている」人たちに囲まれたことで、こんなに自由に生きていいんだ!という発見になった。

2つ目は大学で先輩から聞いた言葉。「大学の勉強なんて、試験2週間前からすれば間に合うし、試験が終わったら忘れるもの。」大学でも試験のための勉強が続くなんて!それだけでも衝撃だったけど、もっとショックだったのはそう考えている学生がかなり多かったこと。「試験のために勉強して、就活はとりあえず公務員」それは法学部内主流の考え方のように感じられた。

対照的な2つの出来事は、どっちの生き方がしたいのか?と私に問いかけているようだった。このまま大学の皆と同じ様に試験勉強して、皆と同じ様に行けそうなところに就職するんだろうか?それは嫌だ、とは思ったけど他にどうすれば良いのかわからなかった。そして、いつのまにか大学に行けなくなっていた。


行けないものは仕方がないので、今は休学して自分と、自分のやりたいことと向き合っている。やりたいことを探すうちに、ふと頭に浮かんだのが世界一周。そして、「世界も知らないのに、将来なんか決められない!」という気持ちを思い出した。考えてみれば、休学したことで旅に出る障害は全部消えている。…今しかないのでは??

世界一周することで人生が全て良くなるとか、思っているわけじゃない。ただ、キャリアプランとか安定する将来とかから一度離れて、まだ見ぬ世界に飛び込む時があっても良いんじゃないか、と思う。

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