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インド。ど田舎。日々の暮らし

この記事を書いた後、3回目のインドに行ってきた。
大好きなChandraと、彼女の家族に会うための里帰り。

旅行自体はもう3か月も前になる。帰国した次の日から体験をまとめたい、書きたいと思っていたのだけどずっと書けなかった。
インドが持つ強烈なエネルギーにあてられて、疲れていたんだと思う。

1回目、2回目の訪問に比べて観光気分のワクワク感、真新しさは減ってしまった。それがちょっと寂しかったりもするけれど、今回はもっと「暮らし」に触れられた訪問になったと思う。

Chandraの家へ向かう道

私は予定を立てるのが好きじゃない。
だから今回も航空券をぎりぎりで取り、Chandraには半年ぶりの電話で言った。「明後日、家に行っても良い?」
急で申し訳ないな、という罪悪感はChandraの明るい声ですぐにかき消された。「明日、ダヴァサイの誕生日なのよ!」

ダヴァサイはChandraの次男。13歳のいたずらっ子ボーイだ。電話を代わった彼は「出来るだけ早く来て!」と私に言う。かわいい!!私はダッシュでChandraの家に向かうことを決めた。

成田空港に到着してからバンコクを経由して、インドまで。自分の気分が高揚していくのを感じていた。
人前でゴロゴロして良くて、濡れた手を服で拭くのが常識で、みんなが裸足で歩いている世界に、もう少しで着くんだ!そう感じるだけで日常の窮屈感から解放されて、自由になれる気がする。


奇しくも「人前でゴロゴロする」機会はすぐに訪れた。真夜中、チェンナイ空港からタクシーで着いたチェンナイ中央駅。大量の椅子と、その横で寝るインド人。中には椅子の下に入り込んで寝ている人までいた。

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もうここで寝るしかない!インドを象徴するような光景に、私のテンションは上がりっぱなしだった。
ホテルとか泊まってる場合じゃない。
インド人とハエと犬に紛れてここで朝を待ちたい。どうしても。

結局女の人の多めなエリアを探し、バックパックを枕に寝ることに成功。始発のベルに叩き起こされるまで爆睡したのだった。

翌朝は死ぬほど暑くて、5kgしかないはずのバックパックがひどく重い!10時からしか開かない外国人用鉄道オフィスにしびれを切らした私は、タクシーを使うことにした。だって誕生日のダヴァサイが待ってるから!
結局2時間半の道のりで1万円弱?つまり倍以上ぼったくられたのだけど、その時点ではどうでも良かった。(あとでChandraに怒られたけど)両替したインドルピー全部と日本円までも取られて、どうやって帰るつもりだったんだろうと今になって不思議に思うほど。頭の中はChandraでいっぱいだった。

1年半ぶりのインドだったのだけど、村の人がハル!と手を振ってくれて、Chandraの家にいた初対面のおじいさんが入れ、と言ってくれた。
暑さにやられていた私は中で横になって…どうやら眠っていたらしい。
起きた時には、会いたくてたまらなかったChandraが目の前にいた。ハル!とハグしてくれて、それだけで私の旅の疲れは吹っ飛んだ。

ただいま、インド!!

インドの空気

空気感を思い出す、という感覚がある。
長く離れていた友人でも、久しぶりに会うと昔のように話が進む、みたいな。
そんな感じで、Chandraの家に着いたその日、私はインドでの感覚をどんどん取り戻していった。

カレーを手で食べる感じとか。
英語じゃないのに言葉が通じるとか。
牛糞を踏みながらトイレに向かうとか。
食事をしている間ずっと、Chandraが静かに横にいてくれるとか。
全部が全部、当たり前になる感覚。

それは帰国した今はもう思い出せなくて、でも次インドに行ったら絶対に思い出す感覚たちで。私はそれらをとてつもなく愛している。

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左、中央の2人がChandraの息子たち。
シャイなお兄ちゃんといたずらっ子の弟くんで、13歳と14歳だ。
会わない間に大人になっていたらどうしよう、と心配していたのだけど、そこはまだまだかわいいお年頃。Chandraに飛びついてほっぺにチュッ!とかやっていて…本当に中学生?ってなるくらい。

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学校から帰った子供たちは、玄関先で宿題をする。英語、タミル語、社会、理科…
「ヨガの授業中騒いだから、書き取りを50回しなきゃいけないんだ。」彼らの話を聞きながら、のんびりするこの時が、今回の訪問中一番平和だった。

しばらくすると、パパが牛とともに帰ってくる。Cow,cow!どいてー!と子供たちがはしゃぐ。

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あの子は、結婚したよ

変わっていないこともあれば、変わったこともたくさんあった。

今回は、会えなかった人が2人いた。1人はおばあさん(Chandraのお姑さん)で、彼女は私が着く前日に北インドのお寺へお参りの旅に出てしまったらしい。結局私の滞在中帰ってくることは無かった。

もう1人。「ハーティが10日前に結婚したよ」と子供たちが口々に教えてくれた。ハーティは3年前私が初めてインドに来た当時大学生で、村の周りを案内してくれた女の子。大学でエンジニアリングを学んでいた彼女は、おそらく村で1番英語が上手だった。

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ハーティが描いてくれたヘナタトゥー。「爪の周りが赤いほど良い夫が見つかるのよ」と言っていた彼女が幸せな結婚をしていればいいな、と思う。

彼女は24歳で結婚したけど、それは村では遅い方らしい。
みんな何歳で結婚するの?と聞くと、「女は18歳、男は28歳」という答えが返ってきた。Chandraは17歳で結婚し、18歳、19歳で子供を産んだという。

「ほとんどがお見合いで、離婚は無い。」
「夫の方が立場が上で、女の子が大学に行くかどうかは彼女の夫が決めるの」

Chandraの言葉を聞いて、今更ながら違う国に生きているのだと実感する。

私がこの村の女の子だったら。
両親の決めた男性と数年以内に結婚し、子供は2人くらい。
この村に家を建てて、家事をして暮らす。老いたら子供の家に住むところまで、既にほとんど決まっている。

対して日本人の私は?
結婚するかはわからない。子供ができるかもわからない。将来何をして過ごすのかも、どこに住むのかも分からない。
自分に選択肢があること、「日本人だから」選択肢があることを、痛感させられた瞬間だった。

パパさんの職業が判明した

インドでは夫の方が立場が強い。そう聞いたけれど、Chandraの家はちょっと事情が違うように見えた。

「インドでは夫が強いっていうけど、Chandraは旦那さんより強いよね」
私はChandraにそう聞いてみた。だって昨日も、鍋でパパさんのお尻をひっぱたいていたじゃない。

強い母。そして静かな父。
そんなイメージを私は何となくつかみ始めていた。
パパさんはつぶらな瞳をしていて、母とじゃれる息子たちを、いつも静かに見ているシャイな人だった。久しぶりに会ったとき「ハロー、ハル」と言っただけで私を有頂天にさせるほど、普段喋らない人。私はそんなパパさんが好きだった。

ところが、ところが!!!
「なんで旦那さんより強いの?」と聞かれたChandraはこう答えた。
「あの人は何も考えてないの。働かないし。」

ん…?働かない??
でも、私は毎朝牛を連れて出かけていくパパさんを見ている。
お昼ご飯を食べに帰ってくることもあるけど、大体は夕方牛を連れて帰ってくるまで、家を空けているのが常だ。
牛を連れて行って何をしてるの?仕事してるんじゃないの?

「寝てるのよ」

ヒモじゃん!!
そうだったのかパパさん。Chandraの作ってくれたご飯を食べて、牛を連れて草原に行き、日がな一日寝ているのか。そしてChandraの作ってくれた夕飯を食べて、夜も寝るのか。

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今まで「仕事から疲れて帰ってきたパパ」に見えていたこの光景が、
「働かないくせに家事もしないでテレビ見てるパパ」に見えてきてしまった。ちなみに床の右にあるのはChandraが料理している途中の野菜たち。「あの人が働いてくれれば、家計の問題も解決するのに」とChandraの嘆く声が思い出される。

日本で行き詰まったらインドきて結婚して住む!と言う私の野望はちょっと萎んでしまった。

牛が死んだ

夕方外に出ると、村が静かだった。私の知る限り、こんなにも静寂に包まれた村は初めてだ。

いつもハル、ハル!と私の手を引っ張る女の子が静かに私の隣に座って、言った。

「牛 死んだ」

お向かいの家の牛が、2頭同時に死んでしまったらしい。1匹は子供を産んですぐ。もう1匹は暑さにやられてしまったらしい。

だから今日、その家に3頭帰って来るはずだった牛は、1頭しか帰ってこなかった。その家のお姉さんはサリーで涙をぬぐっていた。お母さんは頭を抱えて座り込んでいた。

「悲しい。とても悲しい」

女の子は小声で繰り返した。

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牛が村の人々にとってどんな存在なのか、私は想像することしかできない。ペットのように愛玩する動物ではなくて、でもただの家畜よりは愛着を覚えているように見えて。

私は彼らと悲しみを共有することはできないけど、この瞬間を忘れたくはない。

そう思いながら、私は村の静寂をただ感じていた。


帰る家、インド

書きたいことがまだまだあるのだけど、どうにも書ききれそうにない。この続きはまた今度にして、今回はここで締め括ろうと思う。

NGOのスタディツアーがきっかけだったインド。最初は文化や国や政治に関心を持っていたのだけど、Chandraと出会ったことで個人的な関わりが増えてきた。

「ハル、結婚したら旦那さんとインドに来て、ヒンドゥーの寺で結婚式をするのよ」「そうじゃなかったら村人全員で日本の結婚式に行くからね。飛行機が一台は必要よ」とChandraはいう。

それがいつになるかは分からないけど、いつかきっと実現したい。まずは教わったテリグー語を復習しなくちゃ。









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