ホリック×ホイップ──消えないための関係

 ※ケーキバースアンソロジー寄稿作品3部作です。一部変更あります。寄稿名:導月槐樹。

 エブリスタから転載しています。

 ◇◆◇
 

 ──痣を持つのは〝喰われる者(ケーキ)〟、痣をつけるのは〝喰らう者(フォーク)〟。 お前は痣をつけられたら駄目だぞ──

  幸せな同性婚をした兄から言われた、いつかの言葉が残響した。

 現在、呆然自失している義兄・十日町燕(とおかまちつばめ)から、葉桐俊哉(はぎりしゅんや)が呼び出されたのは、夜十時少し前。

 深夜でもないが、普段家から出ない時間の呼び出しに驚きながら同じマンションの一階下にある兄の部屋に来たのは、恐らく十五分前。

 真夏のうだるような暑さの夜なのに、兄の部屋のドアを開けると、冬のように冷たい風が部屋から吹き抜ける。

 驚きながらシャワー音のする風呂場へ向かうと、濡れたクッションフロアの床に座り込み、

 呆然として──なんで、と呟いている義兄を見つけた。

 何に驚いているのかと思いながら、義兄に声を掛けようとした瞬間、俊哉の視界に目を疑う光景があった。

「……にぃさん?」

 浴室の浴槽一面に浮かんだ、薔薇の花のなかにあるモノが、男の首と、義兄との契約紋印が刻まれている二の腕だと、脳は理解するが心が追い付かず現実を拒絶する。

「どんな格好で、寝てるの……? 風呂で寝たら危ないって、燕さんもいってるじゃん……っ」

 眠っているような表情で、二度と目を覚まさない兄・十日町颯人(とおかまちはやと)の首が浮かんでいた。


 ◆◇◆


 この世界には、性別の他にスピーシーズと呼ばれるものがある。

 殺人鬼予備軍と言われる〝フォーク〟

 〝フォーク〟の好物である〝ケーキ〟

 上記以外の、バースを持たない〝一般人〟


 〝ケーキ〟や〝フォーク〟と呼ばれるスピーシーズは、世界各国で出現を確認されてから研究が進んでいるが、未だ謎は多い存在だ。

 事件は苛烈でセンセーショナルに、ニュースやワイドショーが取り上げる。

 犯人の考察で躍起になるメディアも、遠巻きに腫れ物のように噂をするマンションの住人も、なにも知らないネットの住人たちも、こぞって義兄である十日町燕を犯人だと謂う声から逃れるためにホテルを借り暮らしている状態だ。

「燕さん、大丈夫?すこしでも寝てくれよ」

「ごめんね、大丈夫だよ。颯人がいないから、味がわからなくて食事が喉を通らないんだ」

 泣き腫らした目元が痛々しい。

 第一発見者であり、容疑者の一人として警察からも取り調べをされ、心も体も疲れきっている義兄は笑えていない笑顔で左手の薬指を撫でながら──ごめん、と再度謝った。

「今日のごはん、俺の血を混ぜたんだ。契約紋印の内容上、本当はダメだと思うけど、燕さんがやつれていくのは兄さんも嫌だと思って……」

 紋印とは、〝ケーキ〟と〝フォーク〟が恋人という関係になる時、〝ケーキ〟の肉体を〝フォーク〟が噛むことによって浮かび上がる印であり、約束を違えないという誓いだ。

 拘束力はないが、他の〝フォーク〟から襲われる確率が下がり、契約した〝フォーク〟の特定手段としても利用される。

「心遣いありがとう。颯人との契約では、もしもの時には、他の〝ケーキ〟から血や体液を分けてもらうのは許可されてるから、ありがたいよ」

「……そっか。兄さんらしいな」

 優しくて、頭のいい兄だった。

 いつも誰かのためを考えて動くのが当たり前で、作業療法士として働く姿はかっこよかった。そんな兄の死を、両親は受け入れきれず、お通夜も葬式も手配した俊哉でさえ、現実を受け止めきれていない。

「……僕の家族はもう居なくてね。僕が大学卒業して、働き出した頃には、みんな病気や事故で亡くなってしまったんだ。やっと、幸せな家族ができたと思ったのに……なんで、こんなことになるんだろうね」

 本当に、迷惑をかけてごめんね。と燕の漆紺色の瞳が揺らぎ、感情が漏れるような吐息と共に言葉が消えていく。悲しんでいられない現状の辛さと疲弊で、大柄な燕の背中が小さく見える。

「今は、俺らが家族なんですから気にしないでください。……まずは、腹ごしらえです。ごはん食べましょ。スープ温めますから、まずはサンドイッチをどうぞ」

「……ありがとう、いただきます」

 微かに微笑んだ燕に、体力を補って貰おうと腕を振るうことしかできないのは、もどかしかった。


 ◆◇◆


 自宅に帰れば恋人で、同居をしている蒜山朋樹(ひるぜんともき)が、カフェオレを作って待っていてくれた。

「お義兄さん、様子どうだった?」

「ん、やっぱ疲れてたし、しんどそうだった」

「そっか」

 世界が敵に見えるだろう状況で、当事者ではない俊哉はどんな言葉をかければいいのか判らず、食事を用意するしかできないもどかしさで上手く笑うこともできない。

「……さ、仕事もしなきゃな」

「無理はするなよ」

「うん、ありがと」

 俊哉は探偵社に勤め、朋樹は夜勤介護をしているため、思ったよりプライベートの時間が合わず、同居をしているが顔を合わせるのは久しぶりだった。

「俊哉、夕飯どうする?」

「んぁ、俺作るよ。久しぶりの休みじゃん、一緒に食べたいしさ」

「じゃあ、一緒に作ろう」

「いいね、楽しみ!」

 朋樹が心配していることは、俊哉も理解している。

 一般人である朋樹は、〝ケーキ〟である俊哉に紋印を残せない。

 そんな状態の恋人を〝フォーク〟の元へ送り出すのは賛成できないと言われたが、俊哉は〝フォーク〟よりも恐ろしいと思う存在がいる。

 〝一般人〟の中にいると噂されている、快楽殺人者であり救済者、研究者、異常者と呼ばれる存在の方が、恐ろしいと思うのだ。

 

 一緒に夕食を食べ、一緒に映画を観たりして楽しんだ。深夜になり、就寝した朋樹にキスをしたが、俊哉はまだ寝る気にならない。どこか落ち着かない気分で悶々とするよりは、仕事を進めようと自室に戻った。

「……【肉屋】」

 自室に入りパソコンの電源をいれて、数秒とはいえ起動を待つ間に紙資料に目を通す。

 【肉屋】と呼ばれる存在は、個人なのか、グループなのかすら判らず、情報の糸口もない。

「っぁー、わかんないことばっかりで頭痛い」

 自分で淹れたカフェオレを啜りながら、SNSを漁っていると──〝スプーン〟という単語が目にはいった。

「〝ケーキ〟、〝フォーク〟に続いて〝スプーン〟って……。安直だなぁ」

 さらりと投稿内容を確認する俊哉が求める内容ではなさそうだが、好奇心には勝てず内容を読むことにした。

「……救う者で、死にたかったら殺してくれるのか……」

 死にたいのなら殺してあげる。なんて言われてついていくのか? その言葉の八割は嘘だと思うが、本当にそんなことを言う人がいるのなら会ってみたいと思う。

「いや、それより【肉屋】だ」

 探偵社に「【肉屋】を調べて欲しい」と依頼があったのは夏前だった。

 詳しい話は社長の久遠勝一(くおんしょういち)が依頼人と確認し、依頼内容だけが俊哉へ下りてきた。

 ──依頼内容は、【肉屋】という存在を調べること。

 【肉屋】とは、普通の精肉店と同じように「肉」を売買しているが、その実態は謎に包まれている。

 依頼者は【肉屋】がどのような形態で、何を売買をしているのかが知りたい、ということだった。

 これ以上の情報は下りてこなかったため、俊哉は頭を抱えている。

「わっかんない。全然ヒットしない。微塵もわかんない……」

 情報納品する期日は明確にはないが、依頼から一ヶ月余り経つ。

 あまりにも情報がなく、ストレスで胃が荒れそうなところに兄の不幸と、その事件の容疑者になった義兄のケアが重なり、俊哉は精神的ストレスと心労で円形脱毛症になりそうだ。

「……違法な肉を取り扱っている、とか?」

 違法な肉ってなんだよ、と自分でツッコミをいれてしまうが、あながち間違いでもないかもしれない、と気持ちを切り替える。

「違法、違法……。期限切れの肉、原産地詐称……人の肉を卸している……?」

 自分の口から出た言葉で、身体中の血液が凍り、鼓動が跳ね上がる感覚がした。口が渇き、猛スピードで、たらればが溢れだす。

「もしも、この世界で売れる肉があるなら、〝ケーキ〟の肉、だよな」

 希少種である〝ケーキ〟の肉は、〝フォーク〟に高値で売れるだろう。

 でも、〝ケーキ〟の肉をどこで調達するのか? というところで行き詰まった。

「とりあえずメモっとこ」

 鮮度のいい〝ケーキ〟の死体が手に入る場所なんてそうそうないのだから──。


◆◇◆


 俊哉が久しぶりに出社できた日に限って、社長兼所長の久遠勝一と社員の面屋こおり(おもやこおり)は不在だった。

「おはようございます! 葉桐先輩」

「おはよ、朱月(しゅづき)。久しぶりに顔みるわ……」

「ほんとですね。葉桐先輩も落ち着かないですからね」

 後輩にあたる朱月穂希(しゅづきほまれ)もまた、色々と事情を抱えている。お互い大変だな、と笑い、デスクトップを起動しながら声をかけた。

「朱月、最近どうよ」

「どれの話ですかぁ」

「色々」

「面白いくらい抽象的ですね。色々、色々ですか。なんにも変わらないですよ。今、請け負ってる案件はまぁ、なんともですけど」

 他愛ない会話ができる弟のような後輩が、唇をつき出すのは悩んでいる時の癖だ。

「なに、なんか問題?」

「んー、なんていうか……。俺、詳しくないんですけど、今回の依頼人が有名なアーティスト?絵画とかの有名な人のマネージャーみたいな人らしくて……。先輩、〝スプーン〟て知りません?」

「〝スプーン〟……」

 昨日見かけたツイートを、スクリーンショットしていたはずだと思い出してスマホの画像ファイルを開き、画面を朱月に見せる。

「この〝スプーン〟?」

 スクリーンショットの画面を見て、それです、と朱月は頷いた。

「そう、その〝スプーン〟です。情報が早いですね。俺もこの間見かけたんですけど」

「いや、自分の捜査の情報を集めてた気になったんだよ。この店、探偵社から近いがするなと思ってさ」

 画像は、見覚えのある公園から程近くにある、飲み屋街や喫茶店の通りに似ている。

 一度その辺りで聞き込めば、なにかわかるのではないかと思ったのだ。

「あ、こおりさんがそのお店かもしれないところを知ってたんですけど、深夜にしか開いてないんですよ」

「そうなんだ、今度一緒に行く? 夕食にって時間でもないけど」

 店が深夜からの開店となると終電に間に合う気がしない。後輩を誘ってコンプライアンス的にいいものか? と考えたが杞憂に終わった。

「俺、お酒飲めないんで出来たら一緒に行って貰えると嬉しいですけど……お家のこと大丈夫ですか?」

 まだ落ち着いてませんよね、と気遣う視線に苦笑する。本音を言えば、一夜でもいいからあの環境から逃げたかった。

 両親のケアと、義兄ケアと、仕事のルーティンで、パートナーの朋樹と折り合いが悪くなって、仕事に逃げている自覚はある。

 一番の問題は義兄への差し入れだと思うが、今ケアを止めると、兄の後を追ってしまう気がするため目を離せないのも事実だ。

「……うーん、どうにもできないから」

 俊哉としては、兄を悼む両親の気持ちも解るが共感しきれず、義兄については〝フォーク〟だから疑われるのは致し方ない所はあると思っているが、同時に様々なケアをする都合で“フォーク”に近づくことを厭う朋樹の気持ちも、わからなくはない。

「あの、俺、話聞くだけはできますよ!」

「やさしー、朱月ちゃん。ありがと。でもお前の事情もあるから大丈夫」

 朱月が探偵社に入った理由を聞いたことはないが、なんとなく察しはついている。

「んで、いつ行く?朱月の調査は期限あるだろ」

「あ、はい。そうなんですけど気になるので、次の休暇前にしませんか……」

 頭を抱える調査内容も、どうにもならない現実も、全部呑みこんでしまえるようにと願いながら朱月と俊哉は笑った。


 ◆◇◆


 今年一番の猛暑日が、日々更新されていく夏日の夜。

 俊哉は、朱月と約束していた深夜にしか営業をしていないカフェバーへと足を運んだ。

 飲み屋街に近い場所にあったが、その趣はジャズバーのように落ち着いていて、一歩入れば居心地のいい場所だった。

 深夜の仕事や残業続きで帰れない人たちのために、夜は十時から早朝五時まで営業しているという。

 穏やかなマスターは人柄もよく、食事も酒も美味しい。常連客も多く、奥には個室もあるらしく、どこか隠れ家のような店の雰囲気も相まってとても居心地がよかった。

「結局、あの店がツイートの店か判らなかったですけど、機会があったらまた行きたいですね」

「そうだな。看板なくて判りづらいけど、いい店だったな」

 ギリギリ公共交通機関が動いている内に地下鉄で帰ろうと決めていたが、気づけば早歩きで間に合うかどうかという時間だ。

「そういえば、朱月は家どっちの方向?」

「あー、俺はここから二駅先ですね」

「え、同じ最寄り駅だわ」

 今まで一緒に帰る機会がなく知らなかったが、家の最寄り駅が同じだった。

「マジっすか」

「マジだわ。まさか同じ最寄り駅とは思わなかったな」

 店の明かりも少ない時間。街灯が明るく星が遠い深夜に二人で笑う、そんな些細なことなのに、俊哉は少し呼吸がしやすい気がする。

「あの、葉桐さん。本気で、どうにもならなくなる前に声かけてくださいよ」

 朱月の真摯な声に、心臓の柔らかい所を撫でられたような気がして泣きたくなった。朱月の蜂蜜色の瞳に映る優しさと、度量の深さは年下とは思えない時があるのだ。

「……そうだな、でもお前も同じだぞ。何かあったら、何もなくても俺にも声をかけろ。今日みたいに飯食って、笑えるように」

 泣かない。

 泣けない。

 お互い話せない事情も、過去も、すべて承知の上で馬鹿話ができる相手だ。

「そうですね、約束ですよ」

 笑った朱月の髪をかき混ぜるように頭を撫で、じわりと溢れた涙を隠した──。


  ──翌日。

 休日の俊哉は、日課のランニングをして汗をながした後、部屋の掃除をすませて、義兄である十日町燕が仮住まいしているホテルへと赴くのが、最近の日課だ。

「燕さーん、おはようございます。起きてますか?」

 何度目かの事情聴取は終わり、部屋にいるはずだが返事がない。

 ラウンジか、気晴らしに散歩にでも行っているのだろうか。と再度連絡をしようとした瞬間ドアが開き引き摺りこまれ──

「あぶなっ」

 ──勢いをそのままに、壁へ縫い付けられた反動で、持っていた弁当が床に落ちる音がした。

「あの、燕さん?」

 なるべく冷静に、自分よりも身長がある相手を刺激しないようにと呼吸を意識して深くする。カーテンなどを締め切っているのか薄暗いが、押さえつけてくる相手が、義兄の十日町だということは、彼が使用している香水で判断できた。

 肩口にかかる荒く熱い吐息と、獣のように鳴る喉に危機感を感じて、本能的に身体がすくんでしまう。すぐにバレそうだがなるべく冷静を装う。

「あの……」

「……〝ケーキ〟の味を知ってしまった〝フォーク〟は、極上の味を求めてしまうんだ」

 突然話し出した燕の言葉に耳を傾ける。荒い呼吸は変わりなく、命の危険も考えられるが、俊哉が大声を出して助けを呼べる隙はないと燕は思っているのだろう。

「颯人も、美味しい〝ケーキ〟だった。俊哉くんは〝ケーキ〟がより美味しくなるサプリメントを知ってる? 〝GZ〟という、本来は〝フォーク〟の味覚障害を軽減させる目的なんだが、それを〝ケーキ〟に飲ませるとより、美味しくなるんだ。せっかく颯人に飲ませていたのに、熟す前に美味しい所を誰かにすべて持っていかれたのは、すごく悔しい。悔しいけどさ、僕には幸いにも、もう一人〝ケーキ〟がいるから……」

 訥々と語られた内容に、俊哉の思考が冷水を掛けられたように停止した。

 何を言っているのか判らない。

 丁度良い室温のはずなのに、寒い。

 〝ケーキ〟を、兄を、家畜を品種改良するようにサプリメントを与え、より美味しくする対象者として契約し、結婚したという事か?と、思考が追いついた瞬間。怒りが灼熱の業火となり、腸が煮えくり返り、脳が沸騰する感覚で、目の前が真っ赤に染まった。

「ほら、俊哉くんによく差し入れをしていただろ?食べてくれたかな?」

 底なし沼のように濁った瞳で、訥々と話をする燕の声。耳障りな害音が、俊哉の耳を侵し、拘束されたまま、服の中をまさぐる燕の手が触れた場所から腐り落ちてしまいそうだと思う。

 この時、兄の颯人が生前、口癖のように言っていた言葉の意味が判った。──いいかい。燕から貰ったものは手作りでも既製品でも食べるんじゃないよ。

 あまりにも真剣な眼差しに、なぜかと問うことは最期までできなかったが、颯人はいつも俊哉を助けてくれる。

「……話、そんだけ?」

 自分が思っている以上に冷たく重い声が出た。怒りも過ぎれば冷静になる、とは誰かが言ったものだ。

「え?」

 燕の愉悦のような笑みが、一瞬で苦痛に染まる。男なら誰しもが急所となる場所を、思いっきり蹴りあげ、拘束が緩んだのを見計らって、床に崩れ落ちた男の胸部を踏みしめた。

「もうすぐ警察が来ます。今話した内容はすべて録音されてるし、この状況は録画されています。意味、判りますよね?」

 なんの対策もなしに重要参考人である〝フォーク〟の元へ出向く〝ケーキ〟などいない。

「たとえ、アンタが兄を殺していなかったとしても、今回の言動と、俺への暴行は逮捕理由になります」

 バタバタと走る足音と共にドアが開かれ、警察が燕を確保した。

「胸くそ悪い講釈は、警察の皆さんへどうぞ」

 引き摺られるように連行される燕を見送った俊哉は足元から崩れるように座りこんだ。全身の毛穴から冷や汗があふれて、手足は真冬に触る金属のように冷たく、微かだったはずの震えはどんどん酷くなり、声も出せなくなっていて、触られた所から毒が蝕むように俊哉の熱を奪っている。

「ぉわった……」

 俊哉に異変があるとスマホに通知が届いた朋樹が警察へ連絡してくれたことで、事なきを得た。

 一応無事に終わった事を連絡すれば──すぐ迎えにいく。と返信があり、五分後には迎えにきてくれた。職場からは車で十五分以上あるはずなのに。

「ぇ?」

「警察の人から一緒にきてくれってことでホテルに来てたんだけど、現場にすぐに入れなくて、ごめん」

 俊哉は、朋樹の温かい腕に抱かれた。外は炎天下のはずだから、本当は熱いくらいの体温が今は丁度いい。


「ぁりがと、遅いよ、ばか」

「ごめん」

 ようやく、俊哉は兄・十日町颯人の死と、向き合える気がした。


 ◆◇◆


 義兄・十日町燕が逮捕できたのはいいが、仕事は一向に進まない。

「【肉屋】……夢でも魘されそうだ……」

 鮮度のいい死体が手に入る事を第一に考えれば、海外の流通が主になるだろうが、調べるには探偵事務所の人間では、いささか難しい。結局、最初に戻って延々と思考がループする。

 ひとまずは現状の未確定も含めた資料を成して社長へ提出はした。いい顔はされないだろうが、定期報告は必要だ。うんうんと頭を悩ましている俊哉に、朱月が声をかける。

「葉桐先輩、少し伺いたい事があるのでお時間頂けますか?」

 珍しく神妙な面持ちの朱月に、今の案件で何かあったのだろうかと考えながら二人は休憩がてら屋上へと上がった。

「いい空だな」

「今日も暑いですね」

 日射しを遮るものがない屋上は、一応柵があるくらいの簡素な場所で、人が隠れられる場所もないため秘密の話には丁度いい。

「それで、どうした?」

 屋上にポツンとある自販機で、自分用と、朱月用の飲み物を購入し、手渡しながら聞いた。

 朱月はいつも真っ直ぐ目を見て話をするのに、今日はどことなく視線が外れている事から、先日逮捕された義兄の事で話しづらいのかと思ったが、朱月が覚悟を決める方が早かった。

「不躾ですが、先日逮捕された十日町燕の証言で、気になる記事を見かけました。先輩は、ご存じかもしれないと思って、伺います。──〝GZ〟というドラッグをご存じないですか」

 案の定、笑えない質問だ。

 俊哉は、血が凍るようなあの日の怒りや、憎悪の炎が、身体のどこかでゆらりと揺らめいた気がした。

「なんでそれを知ってるんだ」

 なるべく冷静な声を出す。照りつける太陽の日射しと、熱風からではない冷たい汗が溢れだし、鼓動が速く、重くなっていく。

「俺が追いかけてる件の情報で、引っ掛かったんです。それがかという情報を、昨日仕入れてきました」

 朱月の顔色が悪くなり、微かに震える肩に気付き、熱中症かと声を掛けようとした瞬間──

「〝ケーキ〟を中毒死させると〝極上のケーキ〟になるドラッグで、誰が〝ケーキ〟か判らない場合は、依存させたい相手に飲ませる人もいると聞きました。俊哉さんは飲んでないですよね? あのドラッグは依存性が確認されていて、〝フォーク〟が飲むより〝ケーキ〟の方が依存率が高いそうなんです。成分は、医学的には合法の範囲内と言われてるですが……」

 朱月からもたらされた情報は、最悪だった。

 ──依存する?

 ──サプリメントではなく、ドラッグだった?

 ──医学的には合法だから、サプリメントと言っていた?

 ──兄は、なにを飲まされていた?

 ──兄は、なんで死を選んだ?

 クエスチョンが脳内を飛び回って、吐き気がする。

「嘘、だろ……」

「残念ながら本当だと思います。今、裏取りをしています」

「いや、でもこれは、朱月の案件には関わり無いだろ」

「俊哉さんの、ご家族が関わった事件に関わりがあるのでつい。それに、俺の案件の被害者も〝ケーキ〟なんです。もしかしたら関わりがあるんじゃないかと思って調べています。新聞記者だったのなら、なにかしら掴んでいたか、関わってしまった可能性もありますから。ただ、葉桐先輩には情報の一端だとしてもお伝えしておきたくて」

 清濁呑み込んだ蜂蜜色の瞳は、真夏の青空には似合わない朱月のほの暗い視線が、その意志の強さを察する。

「……死ぬなよ」

「縁起でもないから止めてくださいよ、俺はまだ死ねないんですから」

 ケラケラと笑う朱月に、言い様のない不安を感じたが、調査の中断を提案できるほどの明確な確信は持てなかった。


 ◆◇◆


 探偵社の後輩である朱月穂希から、〝GZ〟というドラッグの詳細の一端を聞いた時。

 自分の抱えている──【肉屋】も関わっているのではないか?

 〝ケーキ〟をドラッグ中毒で殺せば上質な肉が手に入り、それを売りさばくことができたら商売として成立するのではないか?とまで考えて、胃のあたりに軋むような痛みの波が押し寄せてきた。不定期で、気まぐれに、大きくなる胃の痛みは精神的にも良くな

い。

「……ストレス性の胃炎つっても、休んでも休まらないから仕事してた方がいいんだよな」

 じりじりと精神を焼くような痛みを薬で誤魔化しながら、騙しながら、仕事を進めていくが、どうにも痛い。痛みから吐き気がして、頭が爆発しそうで、些細なことが気に障ってしまう。

 そんな日だからこそ、軽く食事をしてさっさと風呂に入って、寝ようと思っていた。


「なぁ、俊哉はさ〝ケーキ〟だから〝フォーク〟の十日町さんにすぐに反撃できなかったの?」

 出勤準備をしていた恋人で、同居人の蒜山朋樹の純粋な疑問だとわかる声での質問に、自分も初めて聞くほど冷たい声が出た。

「は?」

「いや、だって普段だったら体格差も関係なく取り押さえるのになって思って」

 その一言で、嫌でも朋樹が〝一般人〟なのだと痛感した。

 〝ケーキ〟は本能的に〝フォーク〟が畏怖の対象であり、老若男女問わず捕食本能を剥き出しにした〝フォーク〟の前では、身体が竦んでしまう感覚が判らないのだと理解する。

「……そう、だな。気が狂った殺人鬼と出くわした時みたいな感覚、判んないだろうな」

 根源的な恐怖を言葉にして相手に伝えることは難しい。

 多くの人間が感じることのできる痛みでも感じ方が異なり、共感はできるが、あくまでも自分の経験から推測した痛みや、尺度であることと同様であると、突きつけられた気がした。


 俊哉は、気がつくと自宅から少し離れた公園まで来ていた。

 深夜に近い時間だが、灼熱の熱気はまだまだ冷めない。

 夜風にあたって頭を冷やそうと思ったのに、逆にのぼせそうだと思いながら、公園のベンチに腰かければ、様々な感情が入り乱れて涙が溢れてくる。

「……ばっかみてぇ」

 ただ純粋な疑問であることは明確なのに、傷ついた自分と、〝ケーキ〟じゃない人間だから仕方がないという理性がせめぎ合う。

「結局俺がやったことは、なんだったんだ」

 義兄の十日町燕は、実兄の十日町颯人の直接的な死には関係していなかった。

 殺していないというだけで、薬物を飲ませていた事に変わりはなく、今も警察の厄介になっている。

「誰が、駒鳥を殺したの……」

「……それは私と、雀が言いました」

 独り言で呟いたマザーグースへの応えと、突然目の前に現れた男に驚いて変な声が出たが、相手は興味なさそうに小首をかしげた。

「……ん。君が、十日町くんのおとーとさんだね? えーと、葉桐俊哉くん。あってる?」

 第一印象は、黒くてデカイ。

 聞こえる声は、穏やかでどこか間延びしている。次に判ったのは、おしゃれパーマを失敗したような髪型は目元を隠していて、オーバーサイズのTシャツに細身のパンツスタイルで烏や蝙蝠のような印象だ。

「なんで、兄の名前を知ってる」

「君の……おにーさんから手紙を届けて欲しいっていわれてたんだけど、俺が方向音痴でーめっちゃくちゃ時間かかった。ごめんねー?」

 どこにもっていたのかわからないクラッチバッグから取り出した、真っ白な封筒を手渡された。

 ──愛する弟へ。と書かれた文字はたしかに颯人の文字だ。

 いつも丁寧ですこし角ばった読みやすい文字に涙が滲む。

「んーと、あ、俺の名前は、音無流榎(おななしるか)。怪しいけど、怪しい人じゃないよ」

「なんで、兄からの手紙を音無さんが持ってるんですか」

「そーね、でも最後に会ったのが俺だからじゃないかな」

「は!?」

 昨日の晩御飯の内容を話すような口調で、俊哉に驚きをもたらした、全身が怪しい男・音無流榎は、よっこいしょと掛け声をかけて目線が合うように、俊哉の前にしゃがみこんだ。

「んん、詳しくはーその手紙読んでよ。俺もよく知らないから」

「は?」

「んー、そうね。そう。君のおにーさんは僕に依頼して死んだって言ったら判りやすい?」

 こてり、と小首を傾げた音無の応えに俊哉の思考が追い付かない。

 人を依頼で殺すのも、その被害者の家族に会いに来て──自分が殺した。と自白するのも、意味が解らなくて吐きそうだ。

「依頼……?」

「そう、依頼。えーと、自殺幇助?になるんだっけ?嘱託殺人?そんな感じの依頼」

 颯人が、自殺の為の殺人を他人に依頼したという事実を受け入れられないまま、俊哉は手紙を受け取った。

「そんな……」

「あ、その理由とかは、その手紙に書いたって云ってたから読んで。身体、ふやける前につけてくれた? おにーさんがさ、喰われるのも嫌だけど家族の元に帰れないのも嫌だってことでー、とりあえず水のなかに入れたんだけど」

 しゃがんだままのんびり話す音無の言葉に、あの日の──浴室の浴槽一面を彩る薔薇の花と、兄・颯人の首、義兄との契約紋印が刻まれている二の腕が浮かんでいた──記憶がフラッシュバックした。

「は? 兄は風呂場で見つけた時、腕と頭以外の身体は無かった……」

「あー、そっか……【肉屋】に回収されたのか……」

 ごめんね。と謝る男の倫理観が理解できない。常人では理解できないルールのなかで生きている、目の前の男に鳥肌が立ち、本能的な恐怖と共に、探し求めている言葉に意識が切り替わった。

「【肉屋】を知ってるのか?」

「ん?俺も【肉屋】のことはあんま知らないけど、なんかヤバい薬売りながら〝肉〟を売ってるから【肉屋】って呼ばれてるって聞いたくらいかな」

 関係者に会うことはないけどねー。と興味薄そうに云う音無は、やはりどこか狂っているのだろう。

「実在、するのか」

「んふふ、面白いこと言うね。実在しなかったら、君のおにーさんのご遺体は五体満足だったはずだし、俺も確認なんてしに来ない。アイツらはどんなところでも回収しにくるから怖いんだよなってことくらいかな。おにーさんも気をつけて帰りなよ。そんな死にたそうな顔してたら、殺されちゃうかもね」

 ニヤリと笑い、不穏な言葉を残して立ち去る音無を追いかける事はできなかった。


 兄の遺書の内容は、読むのが辛いものだった。

 まず家族への謝罪。パートナーから勧められた〝サプリメント〟を飲んでいるうちに痛覚が鈍くなり、段々痛みを感じなくなっていく恐怖。そのことをパートナーへ話した時に感じた違和感と、疑惑の確信。

 そして、〝スプーン〟と呼ばれる人に出会い、死ぬのが怖くなくなった事。誰かに食べられる為に、飼育される事への拒絶と嫌悪が綴られ、最後の一通は、俊哉宛だった──

 俊哉へ

この手紙を読んでるということは、僕はこの世にいないでしょう。

やっと恐怖から解放された喜びを噛み締めていると思います。

俊哉に伝えたいことは、正方形で山型を象ったロゴに気をつけること。

それから絶対、〝GZ〟を飲むんじゃない。

愛する弟の未来に幸せが満ち溢れていますように。

 ──と締め括られていた。

 溢れる涙を拭いながら、俊哉は生前言っていた兄の忠告めいた言葉の意味を噛み締めた。

「……まずは、〝スプーン〟に接触したことを朱月に伝えよう」

 ひとまずはLOINで朱月に連絡をする。

 最近出社が重ならないため顔を見ていないが、この情報は会って話をした方がいいだろうから。と付け加えて送信し、すぐにメモ機能を立ち上げ、今聞いた事を記録していく。ひとまず【肉屋】の情報を得た事を久遠に連絡して、帰路についた。いつもならすぐに付く朱月からの既読が付かなかった。


 ◆◇◆


 ──翌日、いつもどおりパートナーの朋樹と顔を合わせずに出勤した。勝手に気まずくなっているだけだと理していても、自分の気持ちを持て余している自覚はあるが、仕事上すれ違う事は仕方ないと思うことにしている。

「とりあえず昨日の情報を社長に送ったから、今日は朱月に昨日のことを話して……」

 今日の予定を確認しながら時計を見れば始業五分前だった。まだ出社しない朱月に珍しいと思いながらLOINを確認すれば、昨日送ったメッセージは既読になっている。

「あー、始業前に悪いがひとつ聞いてくれ」

 探偵社社長兼所長の久遠勝一(くおんしょういち)が多くはない社員に声をかけた。

「実は朱月からの連絡が途絶えて約二週間、この中に誰か朱月と連絡を取れてる奴がいたらいつでもいいから教えてれ」

 始業前に悪かったな。という声が耳を通り抜けていく。LINEの個人メッセージの中の朱月からの返信を確認すると、確かに返信は約二週間前からないが、既読にはなっている。

「……あの、社長」

 喉がひりつく。

 嫌な焦燥感を感じながら俊哉は確認した事実を久遠に伝えた。

 他には誰も朱月と連絡を取っていなかったようだった。

 俊哉から話を聞いた久遠は、深く皺の寄った眉間を親指で揉みながら、仕方ない。と呟く。

「わかった。葉桐、お前は俺と一緒に来てくれ。昨日送って貰った情報についても確認をしたい」

 車を回すから待っていろ、と言い残し久遠は駐車場へと向かった。

 炎天下の日差しの下、立っているのにも関わらず、指先は冷えきって冷たい。

 この感覚は、恐怖だ。

「悪い、待たせた。暑くないか?」

「いえ、平気です」

 微かに掠れた俊哉の声は、緊張していた。

 

 ◆◇◆


 朱月穂希が住んでいる、古すぎないが新しくもないマンションは木々に囲まれ閑静で、穏やかな空気が流れている。

 久遠からマンションのオーナーへ理由を話して鍵を開けてもらい、入室した。

「……なんもない、ですね」

 男一人暮らし、といっても几帳面に片付けをしている綺麗さではなく、最低限の物しかない。朱月はミニマリストだったのだろうか。

「風呂、トイレ、キッチン、ダイニング、と個室か?」

 ダイニングには机とカウチソファー、テレビ、飾り棚。物が少ないのは掃除がしやすそうだという感想がでてきた。

「俺もミニマリストになろうかな……」

「物を溜め込みやすいお前には難しいんじゃねぇか?」

 最後のドアを開けた先の部屋。

 寝室として使っていたのだろう。中央にはベッドと小さな机があり、左側には衣装ケースとオープンクローゼットに何着か上着が掛けられている。

 本当に、最低限しかない殺風景な部屋だ。

「おいおいおい……こりゃあすげぇな」

 入って右側、ドアで隠れていた壁には数多のメモと写真が貼りつけられている。

「ぇ、なんですかこれ」

「……事件資料だ。記事はもちろん、自分で調べたことも全て貼ってあるみたいだが、これは依頼の資料じゃなさそうだな」

 複数の写真と共に貼られていた新聞の切り抜きを見た久遠が呟いた。

「お前、朱月と仲良かったよな。アイツがなんでこの会社に入ったか知ってるか」

「え、いえ?」

「……アイツはな、自分の姉がなんで殺されたのかを知りたがっていた。この資料は全て朱月の事件資料だ。思えば、お前のお兄さんの事件ともよく似ている」

「一度も聞いてないですけど、本当ですね」

 聞いたことはないが、何となく判っていた。この事件の記事に書かれている被害者女性の名字と一緒だったから。なにより、事件内容に既視感を持っていたから。

「そういや、お前〝スプーン〟って呼ばれる奴ら知ってるか? 〝フォーク〟よりもヤバい奴らだ。できたら知らない方がいいが、今後のために教えておく。奴らは自殺希望者、希死念慮をもった人間を見分け、さらに篩にかける。そんで、本当に死にたい奴だけをこっそりと、希望通りに殺してくれるヤサシー奴らだ」

 知っていると応えてはいけない気がした。

 久遠の説明の間、朱月は蛇に睨まれた蛙のように呼吸が苦しくなっていくのを感じ、距離を取ろうとするが、狭い部屋では難しい。

「……昨日貰った【肉屋】についての資料読んだ。いい出来だったからアレを依頼主に渡すことにした。よく調べたな」

「……、そうですか、ありがとうございます。まだ、どうやって売買してるかは判らないのでもう少し時間がかかりますが……」

 なるべく違和感がないように応えられたと思う。顔はあげられない。

 今の久遠の顔を見たらダメな気がした。

 普段と変わらない声と雰囲気のなかに隠されたトゲのような害意が肌を撫でるように刺激する。一刻も早くこの場を離れたいと強く願う。

「朱月は間に合わなかったようだが、お前は上手く逃げろよ」

「え?」

「え?じゃねぇよ。お前、〝スプーン〟はいいとしても、【肉屋】に目をつけられてみろ。簡単にバラされてバイバイだわ」

 深いため息と共に、後頭部を叩かれた俊哉は衝撃を感じたが、痛みがない事に気がついた。

 そういえば、最近気づかない間に怪我をすることが増えた気がする。

「バイバイって……」

 先ほどまでの緊迫した空気は霧散したが、どうにも雲行きが怪しい。

「っていうか、社長、【肉屋】について知ってたんですか」

「噂は耳に入ってたさ。これでも探偵だからな」

 ニヒルに笑う久遠がグシャグシャと俊哉の頭を撫でる。

「お前、たしか同居人いたよな」

「え、はい」

「家で角砂糖使うか?」

「最近使いますね。同居人が用意してくれるので……」

 少し間があり、そうか。と重い声で苦い顔になった久遠を不思議に思う。

「……立ち入った話になるが、〝GZ〟を知っているよな? お前のお兄さんの事件で発覚したドラッグが一番流通している形状は角砂糖だ」

「……え、あの、朋樹が、〝GZ〟を俺に飲ませているとでもいうんですか?ていうか、なんでそんなことを社長が知ってるんですか……」

 嘘だ。という感情と、なぜ俊哉が〝ケーキ〟だと知っているのか。という疑問が沸き上がり、ひとつの仮説を導きだした。

 ──久遠社長も〝フォーク〟だとしたら。 冗談だと笑い飛ばせない。

 それに、なぜ〝GZ〟の流通形状を知っているのか。という疑念が、恐怖を助長する。

「可能性があると思った。なんで断言できるかと言うと、今まで言っていなかったが。俺は〝フォーク〟だ。パートナーがいて、パートナー以外から食事をしようとは思っていない。気休めだとしても安心してくれ」

 昨日から色々と情報が多くて熱を出しそうだし、久遠が俊哉の首筋に顔を寄せて匂いを嗅ぐ仕草が、男同士でも嫌悪感を持たせないことに少し腹をたてながらも、特に〝フォーク〟が自分の急所に口が近づくことは何よりも恐ろしい。

「〝GZ〟を服用している〝ケーキ〟の香りは、通常の〝ケーキ〟よりも濃厚で芳しくなるんだ。お前の香りが変化し始めた時に気づけたらよかったんだがな……。気づいたのは住居変更をした頃から少づつ香り変化していた時だ」

 曰く、〝ケーキ〟の俊哉と〝一般人〟の蒜山朋樹と同居を始めるため転居して少しした頃から、〝ケーキ〟の香りが変化していたという。

 最初は〝フォーク〟のパートナーができたのかと気にしてはいなかったが、今回の実兄の事件から注意深く香りを確認したところ違和感に気がついた。ということだった。

「医者に行ってみないとわからないが、恐らくは……。一応俺だって部下を見殺しにしたくはないんだ」

 苦虫をみ潰した顔をした久遠がどこかに連絡を入れはじめた。

 一連の話を聞いた限り、引っ越しは勿論、パートナーとして同居している蒜山朋樹とも別れて姿を消すことが重要になるということだろう。

 何よりも、可及的速やかにこの部屋から出て久遠と二人きりの状況から離れたい。

「うそだろ……」

 ここへきて情報が多すぎる。

 出来の悪い頭はオーバーヒートしそうだ。

 特定の〝フォーク〟と親密にした記憶はないのに匂いが変わるということは〝GZ〟を服用している可能性が高い。

「なんか、なさけねぇな」

 自分のことも、朱月のことも、気づかなかった。部屋の前で通話をする久遠から気づかれず、なおかつ自然に外に出る方法を考えるがそう簡単に打開策は思い付かない。

「郵便受けを見た感じだと、一週間は帰ってなさそうだったから、朱月の件は警察にも協力を仰いだ。これで見つからなかったら失踪になる。それから、お前の件も色々調べることになったから家で使ってるものを警察に提出することになった」

 久遠の言葉に頷き、なるべく違和感のないように努める。

 スマホに届いた通知バイブに驚き、一言詫びて確認したメッセージ──朱月穂希:社長に、気をつけて──という一文に、俊哉の一瞬で心臓と血が凍りついた。

「うん? どうした」

 呼吸が浅くなり、指先から冷たくなって感覚が遠くなっていく。視界がどんどん狭くなり恐怖が身体の動きを鈍くする。

 ゴゴンッと何かが倒れる音が反響した。

「……あの、社長。音、風呂場、ですかね」

「あぁ、なんだろうな」

 音を気にすることもなく、久遠は俊哉に詰め寄ってくる。

「……っ、パートナーからの私用メッセージだったので、あとで返信します」

「そうか。朱月からのメッセージかと思ったんだが、違ったか」

 ゆるりと嗤う久遠にゾッとした。

「俺、風呂場、見てきます」

 一刻も早く久遠と二人きりの個室から逃れたい。と思い風呂場へと向かうふりをした瞬間、久遠がニタリと嗤った。

「あぁ、その必要はない」

「え?」

 バチンッと音がして、衝撃が身体を駆け巡り熱さと痛みを感じ、俊哉の意識は闇へと呑まれた。


 ◆◇◆ 


 ──痣を持つのは〝喰われる者(ケーキ)〟、痣をつけるのは〝喰らう者(フォーク)〟。 

お前は痣をつけられたら駄目だぞ── 


 夢を、見た気がした。

「〝シュガー〟はまだ?」

「はやく、〝シュガー〟ほしいよぉ」

 あどけない声が〝シュガー〟を求めている。

 目が開かない。身体が重い。動けない。思考ができない。

「〝Glueckszucker(グリュックスツッカー)〟よ。あら、あんたも来ちゃったのね」

 聞き覚えのある女口調の男の声。

「まったく、音無が忠告したでしょう。早く逃げなさいって。まぁ、もう動けないでしょうし、仮に逃げられてもすぐバレるでしょうけどね」

 ──私たちは殺さないけど、その気になったら殺してあげるわ。

「まったく、〝フォーク〟の連中はマーキングするから困るわよねぇ」

 恐ろしい言葉の詳細を確認する事もできず、女口調の男がゆるゆると言い含めるように話す内容を聞くしかない。

「あし、ないの?」

「うでも、ないの?」

「そうね。あなた達はまだあるから大事になさいね」

 舌足らずな声の問いかけに応える声は優しかった。

「えぇと、葉桐俊哉くん。本当に残念だけど、もう戻れないわねぇ」

 ネームプレートの掛けられた、手足の無い身体は大切に、出来るだけ負荷の掛からないクッションに横たえられ、最低限生かす為の管に繋がれた男は何も判らないままショーウィンドウのなかで狂っていく……。 


――了――


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