ビター×ホイップ──苦いだけじゃない関係

 ※ケーキバースアンソロジー寄稿作品3部作です。一部変更あります。寄稿名:導月槐樹
 エブリスタから転載しています。
 ◇◆◇
 ──都市伝説みたいな話だけど、〝スプーン〟って知ってる?

 本当に死にたい人を殺してくれるって噂。でもね、どこまで調べても〝スプーン〟と呼ばれているらしいってことまでしか判らなくて……。サイトとかもないのよね。自殺、他殺希望者なんてどこから探して殺すのかしらね。


 朗らかに笑う姉は記者だった。

 事件を追いかけるのではなく、ちょっと心温まる記事を書く記者で、地元で愛されていたが東京へ異動が決まり、今年の春上京してきた。

 ──ひさしぶり。

 笑う姉に、なんと返事をしたか思い出せない。

 姉は、今年最高の酷暑と報道された今日、急死した。


 原因は不明。

 診断は心不全。

 突然心臓がとまったらしく、警察と一緒に一人暮らしする姉のマンションの一室へ立ち入った。

 以前一度だけ入った時と変わりなく整頓され綺麗な部屋で、夕方になったら「ただいま」と帰ってきそうなほど、そのままで亡くなったという事実を飲み込みきれない俺は涙も流せない。

 ゲイで、一応芸術家として生計を立てているが、実家の両親とは折り合いが悪く、ほぼ音信不通の自分が生きているのが不思議だった。

「あの、こんな時に申し訳ないんですが、弟の香山音弥(かやまおとや)さんから見て部屋に異常はありませんか?」

 自分と同じくらいに見える(二十代後半くらい)刑事の言葉に、首肯する。ストレスがかかりすぎると一時的に声が出にくくなる症状が生じているため、声にて応えられないのは少し不便だ。

 鑑識も、刑事も入り乱れて、取り敢えずの現場検証を行うのを見つめるしかできない。

「あの、お姉さんは記者さんだったんですよね。どのような記事を書かれていたんですか?」

 刑事というのは、恫喝的というかちょっと怖いイメージがあったが、訂正しなければいけないなと思うほど若手刑事の物腰は柔らかく丁寧で、スマホで姉の記事を検索して手渡した。

「わぁ、素敵な文章ですね。やわらかくて温かくなる文章だ」

 心からの賛辞だとわかる。

 姉はなぜ死んだのか。

 謎ばかりが残り、遺族の心は取り残されたまま事件性はないと結論づけられた。


 ◆◇◆


 姉の葬儀が終わり、落ち着いた頃には声も出るようになり、遺品の整理をしにマンションへ来ている。

 事件性はないと決まり実家へ送る荷物と、処分するものを分けながら片付けをしていた時、使い込まれた手帳がでてきた。

 何気なく日記なのかと思いパラパラと中を見た時、大きく書かれたスプーンの文字を強調させる為か、周りを何度も丸く囲ってあるページに目がとまる。

 上京してすぐにあった日。

 ──都市伝説みたいな話だけど〝スプーン〟って知ってる?と聞かれたのを思い出した。

「〝スプーン〟かって、なんだ」

 スマホで調べると、〝殺すモノ、救う者、掬うモノ〟というツイートが出てきたので表示する

 ──死にたいほど絶望してたとき、声を掛けてくれた人がいたんだけど。その人が「本気で死にたいなら殺してあげるわよ」って深夜にやってる喫茶店?に連れてってくれて、色々話を聞いて貰ったらなんか元気でた。

 また会いたいけど、その喫茶店が判んない!誰か知ってたら教えて欲しい

#自殺#自殺未遂#スプーン!!#救う人だった!#殺すモノ#掬うモノ#救う者──

 初夏頃に書かれたツイートを読んでいくと、〝スプーン〟という呼称は店の看板が由来、喫茶店というか酒も、ご飯も、お茶も、できて深夜に開店している店。らしい。

 現役大学生くらいだろうか。

 受験の不安で押し潰されそうになり深夜の散歩で声を掛けられたと書かれ、声を掛けられた住所も大まかにわかる。

「……姉さんは、このツイートから〝スプーン〟を探そうとしてい

た?」

 ひとつの可能性に心がざわめいて落ち着かない。

 もしかしたら、その〝スプーン〟という人物に姉がなにか関わってるかもしれない。

 死を招いたかもしれない。

 思考が飛躍しすぎるのは悪い癖だがそれを指摘する人はいなかった。


 この世界には性別の他にスピーシーズと呼ばれるものがある。

 殺人鬼予備軍と言われる〝フォーク〟

 〝フォーク〟の好物である〝ケーキ〟

 上記以外の、バースを持たない〝一般人〟

 〝ケーキ〟や〝フォーク〟と呼ばれるスピーシーズは、世界各国で出現を確認されてから研究が進んでいるが、未だ謎は多い存在である。


 芸術家、アート作家などと肩書きをつけられるようになって思ったことは肩書きは有る分だけ重くなるということだ。

「音弥先生」

「せんせい、じゃないよ」

 大きな油絵のキャンバスの前に座り込んで動かない音弥が空虚な声で応える。

「……音弥、なにを考えてる?」

「姉さんのこと、〝スプーン〟のこと、お前のこと」

 背中から抱き込まれた温かさと甘い香りに空腹を遠くに感じた。

 どうも生きている人間は、腹がへるようにできているようだ。誰が死んでも、時間は過ぎて、死者の周りの人間以外は日常を過ごしていく。

「ご飯、食べよう?」

 香山音弥を含む作品を国内外に売り込み商談をする専属のエージェントであり、恋人であり、パートナーである朝霧光鶴は、〝ケーキ〟であり、〝フォーク〟の音弥の給餌者として契約している。

 契約といっても、簡単にいえば〝フォーク〟のマーキング。対象の〝ケーキ〟の身体を噛んだ場所に浮かび上がり、個人識別としても利用されるのが紋印だ。

「いいよ、なにを食べる」

 カシリと光鶴の指を噛んで飴のように舐めながら考える。光鶴を食べたいと思うが、

肉を食べる気にはならない。

 できれば美味しいものを一緒に食べたいと思うが、この世界で、何よりも美味しいものは目の前に居る。この幸せを少しでも多く、長く、味わいたい。

 指先から舌を這わせて手の甲を少し噛み、与えた快楽の残滓を汲み取って自ら甘く熟れていく、〝ケーキ〟を見つめながら舌を絡めて蜂蜜みたいに甘い唾液を貪る。

 震える腰を抱いて膝の上に乗せれば、琥珀色の瞳が甘く甘く蕩けて美味しそうで、情欲だけじゃない欲が顔を出してくるのを感じて意識を逸らす。

「うん、サンドイッチ作ろっか。たしか頂き物のコンビーフがあるから、マッシュポテトとコンビーフのサンドイッチね」

 光鶴の溶けそうな舌を、少し強めに噛んで唇を離して、唾液の糸を絶ちきるように濡れた唇を脱ぐった親指を舐めてほんのり笑う。

 この仕草が前に好きだと言っていた気がする。

 あぁ、苺みたいに色付いた頬も美味しそうだ。

「……先にベッド行きたいんだけど」

「食い殺しちゃうからダメ」

 きっと、確実に濡れているだろう場所は、まだ触らない。

 ──先になにか腹にいれないと、本当に食殺してしまうから。と微笑めば、赤く熟れた苺のような男の口元が綻んだ。


 ◆◇◆


 アトリエの完璧な空調設備は、テレピン油の臭いも、他の画材の臭いも限りなく消してくれる。

 描いていると、世界から切り離され、自分の世界に入り込む音弥にしてみれば些事な事だが、普段から画材の臭いに慣れていない人間からすると空調設備が稼働しているか否かは、大きな違いだ。

「前に言ってた〝スプーン〟ですけど、都市伝説みたいな話しか出てきませんでした」

 光鶴の声で、どこかへ飛んでいた思考が現実に戻って来るのを感じ取りながら、視線で話を促せば心得ているように話を進めていく。音弥はこちらを見ていなくてもどこかで聞いているから問題ないと、光鶴は知っている。

「〝スプーン〟とは、ひとつのツイートから発信されたものでした。とある青年が、家から距離のある公園に深夜の散歩に行く。そこでぼんやり夜空を眺めていると、知らない男に声を掛けられ『本当に死にたいなら殺してあげる』という言葉に惹かれて深夜の喫茶店に入る。だが青年はその男性と話をしている間に死にたいという感情は消えたため、早朝家に帰宅した。そして、〝スプーン〟という名前の由来はそのカフェの看板にクロスしたスプーンが描かれていたのが印象的だったから。ということでした」

 入室時に持ち込んでいたコーヒーを音弥にも手渡し、取り敢えず一息入れた。

「昨日、ツイートから推測される住所へ行ってみましたが、やはりクロスしたスプーンの看板の店はありませんでした。居酒屋などが多い地区で聞き込みをしてみましたが、そんな店は知らないと口々にいわれてしまい、これ以上の情報はありません。音弥、なぜこの情報を求めたのか伺ってもいいですか?」

 乞い願うような言葉を選ぶのは光鶴の癖だ。

「……姉さんが、この間く亡くなっただろ。遺品整理をしていた時に見つけた手帳に〝スプーン〟と書かれたページがあった。俺みたいに生活能力がないわけでも、誰かに恨みを買うわけでもない。持病もないのに突然死んだのが納得できなかった」

 毎日使う画材の色が染み付いた手が、光鶴に差し出されれば素直に膝をついて手を取り、話を聞く。アトリエには光鶴のためにと、クッションがあるがそれを使うことは少ない。

「でも、その〝スプーン〟というのが死の原因とは言えないのも判っている。姉が唯一俺に知らないかと聞いていたのを思い出した、それだけだ」

 感情の起伏が分かりにくく、言葉を選ぶのが下手で、どう頑張っても寝食を忘れて作業する〝フォーク〟であり、パートナーであり、光鶴の生き甲斐でもある男の瞳が哀しみの色を宿している。メンタルの不調は、仕事にも差し障りが出るのも事実。できる限り排除したいとは思うが探偵でもない光鶴ではどうにもならない。

「警察は事件性なしと決定してる」

「それでも気になるのなら、探偵を雇うなり対処しますが」

「いや、いい。そこまでじゃないから」

 空虚を見つめる灰銀色の瞳に、創作の意欲の炎がない。

「……音弥」

「大丈夫。ちょっとだけ、ナーバスなのかも」

 親類のなかで、唯一信用していた姉の急死は、とてもストレスが掛かるだろう。

 特に、感受性豊かな男だ。

 他人の感情を肌で感じても、空気の淀みでもストレスになり、体調や創作に差し障りがでることがある。そして現在の状況はそれに当たる。

「音弥、お願いだから俺の知らないところにいかないで」

 乞い願うだけで叶うのなら、きっと光鶴は〝フォーク〟に恋をしなかった。

「……いかないよ?自分の〝ケーキ〟を置いてどこに行くの。もしも、どこかへ行く時にお前を連れていけないならちゃんとパートナー契約したとおり、食べてから行くから大丈夫だよ」

 パートナー契約。

 それは〝フォーク〟と〝ケーキ〟の間で執り行われる契約であり、恋人としての誓いとなる。ほぼ拘束力はないが、〝フォーク〟がパートナーの〝ケーキ〟の肉を噛むことによって紋印が出現する。その紋印がある〝ケーキ〟は契約以外の〝フォーク〟から襲われることが少なくなる。マーキングと呼ぶ人もいるが、基本的に一般人には見えないため支障に障りはない。

「絶対ですからね」

 音弥の大きな手が、首筋の紋印を撫でて微笑む。甘い瞳に絆されそうになるが、気を引き締めて立ち上がった。

「〝スプーン〟の件は再度調べてみます。創作は出来る範囲で構いませんので進めてください」

 次の個展まで余裕はあれど、できるだけ余裕のある仕事をお願いしたいのも事実だ。

「はぁい」

 間延びした返事を聞き、揃いのマグカップを回収してアトリエをあとにした。やはりアトリエは多少匂いが籠っているようで、廊下とはいえ息がしやすい。

 他人より優しく、気を遣ってくれるが、きっと音弥の中で一番ではないことを自覚している。それは、〝ケーキ〟として食べられたいという被虐欲からか、恋人としての独占欲かわからないが光鶴の心を重く蝕むものだった。


◆◇◆


 香山音弥は、気がつけば件のツイートに書かれていた公園へ来ていた。十月とはいえ残暑が厳しい夜の空気は、まだまだじっとりと汗をかく。除湿の利いたアトリエではなかなか感じない感覚に驚いた。

 この男、時折ではあるが無意識の間に外出し、毎回光鶴が探し回収して叱られる。

 一番近い症例は夢遊病だ。

 記憶のなかではさっきまで創作をしていたはずだ。手のひらをみれば描いてた絵の具が手首までついている。

「困ったな……」

 何時間この公園にいたのかわからない。ひとまず公園の蛇口で手を洗ってスマホで時間を確認しようと常に入れているジーンズのポケットを探るが見あたらない。他のポケットや公園内を探したが見あたらない。

「……これ、確実に怒られる」

 なんなら泣かれる。

 音弥は光鶴の涙が苦手だ。

 快楽に酔って生理的な涙を流すのはいいが、怒りや哀しみで流す涙は塩気が強いから好きではないのだ。

「あぁ、でももしかしたら会えるかな……」

「お困りごとかしら?」

 柔らかい男の声に顔をあげると、中性的な美人がいた。

 スケッチをしたいと思うが画材がないため、脳内にできるだけ子細を記憶しておくことにした。

「あ、の、スマホを忘れたまま来てしまったようで」

「あら、大変じゃない!ついでに食事もいかが?近くにいい店があるの。私は知花夏葉(ちばなかよう)、男よ」

 普通なら着いていくことはしないが、知花の容姿と物腰が琴線に触れた。面白くてもう少し観察していたい。

「……音弥。香山音弥、見た目のまま男です」

「ふふ、ノリがいいのね。誰かに連絡しなきゃいけないなら早くいきましょう。今深夜の十二時回ってるから、心配させているんじゃない?」

「そうですね、ありがとうございます」

 高架下にある、居酒屋の程近く。

 連れてきてもらったのは、深夜に開店するカフェバー。アンティークな店内にマッチする年配のマスターが出迎えた。

「いらっしゃいませ。夏葉さんがお連れさまと一緒なのは珍しいですね」

 お酒も飲めるが多くの客は料理目当てに来店するらしく、メニューも食事のメニューの方が多いと説明された。

「途中の公園で迷子ちゃんを拾ったのよ

。マスター、電話貸してもらえるかしら、香山くんていうんだけど、スマホもみーんな忘れて出てきちゃったんですって」

「それはそれは、なにか考え事でしたかな。ひとまずはご連絡をどうぞ」

 促されるままカウンター横に設置されたアンティーク風の子機を手渡され、自身のエージェントであり、恋人の朝霧光鶴に連絡をいれた。

「しっかり叱られたみたいね」

 クスクスと笑う知花へ苦笑いしてカウンターの隣の席に座れば、差し出されたのはミルクティーとパウンドケーキ。

「簡単につまめるものをご用意しました」

「あの、僕は……」

〝フォーク〟は〝ケーキ〟以外の味が解らないため、ご厚意でいただいても感想を伝えることができない。と固辞しようとしたが、知花が一口に切ったパウンドケーキを音弥の口に押し込んだ。

「おいしいわよ、それに顔色悪いからとりあえず食べなさいな」

 見た目から、甘いものだろうなと思いながら咀嚼すると、ベーコンや野菜の味がする甘くないパウンドケーキだと驚いた。

「おいしい。しょっぱいケーキなんてあるんですね」

「ケークサレというお惣菜ケーキのようなものです」

 ミルクティーも癖がなく飲みやすい。ケークサレとの相性もよく、──とても美味しい。

「え……?」

 〝フォーク〟の味覚は〝ケーキ〟以外の味を判別できない。とすればこのパウンドケーキとミルクティーにはナニが入っているのか、〝ケーキ〟の一部が入っている?誰とも判らない人間の肉や体液を摂取したのか?と、思考がたどり着いた瞬間猛烈な吐き気がした。

 胃が捩れ、喉が狭窄し体内がぐちゃぐちゃになって吐くことすらままならない。

「あら、あなた〝フォーク〟だったの」

 音弥の驚いた表情で事情を察したらしい知花が声を潜めて驚いた。

「そちらに入っているのは、ただのサプリメントですよ。最近発売されたんですが、ご存じないですか?」

 マスターの説明に、ゆるりと首を左右に振った。──知らない。

 メディアを見ることもないから知らないのかもしれないが、そんなものが発売されていたらもっと世間は騒ぐのではないのか?

 〝フォーク〟限定のためそこまでのメディア影響力はないのだろうか。

 それにしても──おぞましい。と思った。


 ドアベルと共に待っていた男の声がした。

 左側はショートヘア、右側はボブというアシンメトリーな髪型で、いつも通りの仕立てのいいスーツで魅力的な肉体を引き立てている。

 音弥は、待ち人の来訪に僅かに力が抜けた。

「香山先生、見つけましたよ。すみません、ご迷惑をお掛けしました」

「いいえ、袖振りあったご縁ですから」

 にこやかに会話をする光鶴の袖を掴んで、──早く帰ろう、と囁いた。なにかを察した光鶴はマスターと知花へお礼と贈答品を手渡し、ミルクティーとケークサレ代には多い金額をカウンターへ置き、その場を辞した。

 深夜の空気とはいえ、まだまだ蒸し暑い。お互いに無言のまま光鶴の運転する車で帰宅した。


 ◆◇◆


 うだるような暑さの深夜。

 自宅兼アトリエとなっている音弥の自宅のリビングはとても重い空気で満ちていた。

「お願いですから、散歩でもどこかへ行くときはスマホを持っていってください……」

 俯いて微かに震える光鶴の冷えきった手をとり、自分があまり変わらない体温だと苦笑したくなった。

「ごめん、丁度充電してたみたいで、今日は本当になにも記憶にないんだ」

 なぜあの公園に行ったのかすら判らない。

 サプリメントだと言っていた味の分かる食事も、あの店がクロスしたスプーンの看板の店なのかも判らない。

 判らないことばかりだ。

「今度は常に身に付けれるものにGPSを仕込みます」

「うん、わかった」

 事前に伝えてくれるのだからいい。

 迎えにきてもらう立場で、迷惑をかけている自覚もある。

「なぁ、光鶴。今日はボトムがいい」

「……なにがあったか、教えてもらいますからね」

 しっとり熱を含んだ声で誘えば、まだ少し不服そうながらネクタイを緩めて応えてくれる甘い甘い自分だけの〝ケーキ〟。

「教える、けど……酷くしてくれよ」

 胃のなかが、口から喉のなかが、侵されたような感覚で気持ち悪かった。


 優しく優しく、舌を絡めて唾液を音弥が飲むようにキスをしながらお互いの衣服を脱ぎ捨てていく。

 明日の片付けなんて気にしていられない。

 いつもお互いを貪るようにセックスをする準備はしていると知っているからこそ、気が急く。キスで飲みきれなかった、どちらのものかわからない唾液が顎を伝って喉を濡らし、胸元まで垂れているものを、ゆっくり舌で舐めあげながら尾骨を擽られる。

 もどかしさで身をよじれば、胸を弄られて更に焦らされてしまう。

「音弥、音弥、俺の愛しい〝フォーク〟。なんでそんな顔をするんですか?」

 悲しい、苦しい、気持ち悪い。

 そんな感情を打ち消すよにキスを求めて、不快感を甘い快楽で上書きしてほしいと伝たいが、光鶴の長い指が喉まで犯して声が出せないため、視線で懇願しても微笑んで無視され、とりあえずと一回射精させられた身体は早く挿れてほしくて切なくて涙が溢れる。

「焦らないで、大丈夫。俺はここにいます。ねぇ、音弥」

 どろどろに溶けたチョコレートのような甘い声で耳を犯され、キャンディのように甘い指が喉、上顎を擽り、舌を揉みしだかれて息苦しさを快楽で思考ができない。

「んん……っ、はやく、挿れてくれよ」

 生理的な涙が頬を濡らして全身が性感帯になるまで虐められ、半勃起状態で体液を垂れ流しながら懇願して、ようやく挿入してもらえる。

 昂りすぎて辛い。落ちてくる汗にさえ快感を覚えるのに、まだ挿れてくれないのかと睨めば、今まで熱い口のなかを蹂躙して濡れそぼった指を舐める光鶴の獰猛な野獣のような眼光に軽く達してしまう。

「ぃぁっ……」

「ん?音弥、今軽くイった?かわいい。かわいい。いつも格好いいのに、僕のをはやく欲しいのに我慢して真っ赤になった顔も、期待でヒクつくお尻も全部かわいい。なんで俺が〝フォーク〟じゃないんだろうって思うくらいにかわいいよ」

 内腿を撫でて、腰を掴んだと思った瞬間、奥まではいっていた。

 呼吸が一瞬止まるほどの快感に喘ぎながら長い足を光鶴の腰に絡め、腰を掴んでいる手を自分の喉へと誘い、期待で収縮する声帯で懇願する。

「……、……ぁ、絞めてぇ……っ」

 光鶴の表情が一瞬固まって、ゆっくりと嗤う。嗜虐心は誰にでもあり、被虐心の重さは嗜虐心の重さだと感じる瞬間だ。

「わかりました、よっ!」

 奥を貫くタイミングに合わせて首を絞められると、男を受けいれている粘膜が締まって男の形がよく判り勝手に足に力がはいって尻でペニスを追いかける。

「っ、カヒュッ……ぅあぁ……」

 ──気持ちがいい。

 首を絞められることで呼吸管理をされ、視界が白くハレーションする。脳ミソがバグを起こしそうだ。男は命の危機を感じた時、子孫を残そうと発情しやすくなる感覚に似ているのかもしれない。

 片手で首を絞められ、内腿を支えられながら腹の奥まできそうな深い突き上げでまた達した。

「音弥、おとや、俺だけを見て、感じて、俺を食べて……」

 首を絞めていた掌が音弥の頬に触れて唇をくすぐる。甘えたいという仕草だ。

「ん、ぃいよ」

 光鶴の首に腕を回し、下唇を甘噛みして舌を絡めて吸い上げ、上顎をなぞって煽れば甘い声を出す。本来ボトムの光鶴はお尻でしか達せない。音弥を犯せば犯すほど自分も切なくなるのだ。

「ん……っ、ぅあ……」

「光鶴も、俺のナカかき混ぜてたら感じちゃった?」

 ──かぁわいい。

 耳元でギリギリまで絞った声で囁くと、ドライオーガズムで達したらしく、舌をつきだして痙攣している身体を組み敷いて愛撫するたびに軽く達しているのか、もうずっとドライで達しているのかわからないくらいどろどろになっている。

「……ひぅっ……ぁっ……」

「あー、みつのお尻トロトロ。いれるよ」

 ゆっくりゆっくり、熱く熟れた粘膜のなかに挿入すると吸いとられそうなほど蠢いて思いっきり突き上げそうになるのをぐっと堪えた。

「んぁぁ、ぁあ……、はやくぅっ」

「さっきのお返しだよ」

 結腸ギリギリまでゆっくり挿入して少し待つ。粘膜が意思を持っているように奥へと誘い込もうとうねり、やわやわと締め付けを繰り返す感覚を楽しみながら、紅くなっている胸の飾りを押し潰して舐めて吸い上げ、これ以上ないほどにグズグズにしていく。

「……、……っ、もぅ、ぃゃ……っ」

 生理的に流れる涙も、溢れるも涎も、汗の一滴も、濃厚な甘さで音弥の喉を潤し──はやく食べたい。と飢えを助長させる。

「可愛い、いただます」

 晒された白い喉仏を甘噛みして、結腸へと突き上げた。

 悲鳴も呼吸もままならない光鶴を撫でながら肩口に噛みつく。

 音弥の犬歯が光鶴の皮膚を貫き、赤い甘露が音弥の喉を潤し、胃を満たした。


 ◆◇◆


 夜の残滓を洗い流しながらもう一回盛り上がり、噛みついた首筋を手当てをしてからベッドシーツを替え、ゆったりとした余韻を感じることなく事情を説明した。

「え、〝ケーキ〟が居なかったのに味がしたんですか」

「ごめん、光鶴以外を食べることはしないと誓っているのに、もしかしたら〝ケーキ〟の体液を口にしたかもしれないと思ったら気持ち悪くて……」

 頸骨の上に咲く椿の花の紋印を撫でてもう一度──ごめん。と謝ると、光鶴がクスクスと笑う。

「あぁ、なんだ。そういうことだったんですね。音弥から僕以外の〝ケーキ〟の香りはしない。だから僕以外を食べた可能性はないけど、そうするとなんででしょうね。味がしたのは、とても気になる」

 柔らかく微笑んでいた光鶴の視線が鋭く音弥を射抜き、ベッドサイドの棚から折り畳みナイフを取り出した。

「とても、気になりますが、音弥に味を教えていいのは僕だけなんです」

 光鶴は甘い吐息が熱を帯びて手にしたナイフを太ももに突き立てるベリーソースのような赤い血がトロリと溢れでてきてシーツに垂れるのが勿体ない。

 ゆっくりと、ケーキを切り分けるように自身の肉を切り分ける姿は扇情的で、情欲も食欲も駆り立てられて、今すぐにほどよく肉付いた太ももにかぶりつき、その肉も血も骨もすべてを食らい尽くしてしまいたい。

「みつる……」

「もうちょっと待ってください、音弥」

 ぐるる、と音弥の喉が鳴り、まるで獣のような音に光鶴の笑みが深くなる。

 光鶴のために整えられた指が、白い肌を傷つけないように、でも自身の空腹を我慢するように本能に呑み込まれないように白むほど拳を握りしめて我慢している姿が一番欲情してしまう。

「あぁ、僕の〝フォーク〟。僕だけを愛する人。血だけなどと言わず、この肉も食べてください」

 皮膚と肉を少し削ぎとって、脂汗をかきながら愛おしそうに音弥へと肉を捧げる狂気。イビツに歪んだ愛だなんて言われてもおかしくはない。

「あぁ、俺は光鶴だけを愛して、食べるよ。もしも俺が君の側を離れる時は、君を食べ尽くすから」

 石榴のように酸味のある、甘さが口のなかに広がって一番満たされ、なぜかいつもより美味しい気がする。

「……僕も、愛しています」

 異常が正常でイビツな愛の形は〝フォーク〟と〝ケーキ〟の中に生じる愛と欲。

本能と理性の狭間にある狂気が部屋に充満した。


 ◆◇◆

 ──翌日。

 肌触りのいいベッドのなかで目を覚ました朝霧光鶴は、手当てされた太ももに頬を緩めた。

 朝食の準備を始めて、トーストのいい香りがしはじめれば、音弥が顔をみせる。

「光鶴、起きた? 今日いつもの病院にいけるように手配したから、朝食とお風呂はいろう」

「ん、ちょっと先にメール確認させて」

 タブレットで重要な連絡があるかどうかだけは、朝一番で確認するのが常だ。

「わかった。準備してるから声かけてくれ」

 音弥に返事をしつつ、メールの確認をしていると以前に依頼をしていた探偵事務所ら

〝スプーン〟についての件で連絡がきていた。

 なによりも先にデータをダウンロードして確認をしていく。

「……、音弥、音弥!」

「なに、どうした?」

「こちら、以前依頼していた〝スプーン〟についてなんですが、例のツイートの深夜にやってる喫茶店の住所が昨日教えてもらった場所でした。それから、こちらをどうぞ」

 驚いているのか口調が仕事時のそれになっている光鶴から渡されたタブレット画面に映し出された資料には、〝スプーン〟についてと記載があった。

 ──〝スプーン〟と呼ばれる人物に聞き込みをした内容を記載する。

 曰く、〝スプーン〟とは〝殺す者〟であり、〝救う者〟である。

 自死、他殺に拘らず〝死〟を願う人間へ〝死〟を与える者である。

 簡単に云えば犯罪者だが、依頼者やその遺族から警察への通報はなく、殺害したという証拠もないためこの情報のみでは立証はできない犯罪を犯しているということだった。

「子細はあとで確認して頂きたいですが、音弥のお姉さまはなにか〝サプリメント〟を飲まれていましたか?」

「え、聞いたことはないけど……」

「この情報は〝スプーン〟とは別なんですが、〝GZ〟というサプリメントを飲むと、〝フォーク〟の味覚障害を一時的に緩和、というか味がわかるようになるそうです。依存症状がでるかもしれないモノで、成分としては違法薬物ではないらしいんですが依存症状がでるかもしれないと書かれていました。昨日、カフェバーで口にした〝サプリメント〟の名前は確認されましたか……?」

 冷えきって微かに震える手がすがるように音弥の腕を掴み、お互いに血の気の引いた顔色で見つめ合う。

「ただのサプリメントだって言ってたけど、俺が“味”に驚いた時、〝フォーク〟だと判ったようだった」

「……二度と行かないようにしましょうそれから一応今日の病院で検査してもらいましょう」

「そうだな」

 ゾッとする話だ。

 もしかしたら完全犯罪者の巣窟に出向いた可能性があると思うと生きた心地がしない上に、知らない間に怪しい〝サプリメント〟を食べさせられた可能性まで出てきた。

「姉さんが、もしもこれを調べていたら……」

「不用意に近づけばなにかしら対処される可能性はありますが……確実に調べていたかはわかりませんから」

 最優先事項は、カフェバーに近づかない、病院で検査をしてもらう、これ以上首を突っ込まないことだろう。

「ごはん、冷めたから温めなおすよ」

「すみません、すぐに支度をします」

 意識を切り変えるように、柏手を打って音弥がキッチンに戻っていき、光鶴も倣うように資料から視線を外したが、なにかが気になった。

「……、……あ、これもう一ページある」

 資料内容は終わっているのに最後のページがまだ有る事が違和感だったのだ。

「……っ!!」

 最後のページにあったのは──


 朝霧光鶴様


 拝啓

 紅葉の候、ますますご繁栄のことと心からお慶び申し上げます。

 この度は、久遠探偵社をご利用いただき誠にありがとうございました。

 さて、本来ご依頼主様へお伝えすることではないことを承知の上で下文を記載させていただきます。

 こちらの資料を作成した弊探偵社職員は、前ページまでの資料を作成した後、連絡が取れず失踪したと判断するに至りました。

 弊社の不徳といたすところでございます。

 つきましては今後、同内容でのご依頼は固辞させていただきます。

 なにとぞ、ご容赦いただきますようお願い申し上げます。


 探偵社社長兼所長久遠勝一


 ──資料と同じフォントの文字で綴られていたのは背筋が凍りく内容だった。




 ──了──


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