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珈琲と恋愛

『9月中旬・雨』

彼女を振った。
その日は夏の熱気と冬の肌感を雑に混ぜ込んだような雨模様で、街全体がジトッと湿っている。昼にも関わらず黒いコンクリートに反射する車のテールがよく映えた。

僕たちは12時ちょうどにA5出口で待ち合わせをして、いつもの喫茶店に入る。
ビニール傘を畳んでドアチャイムを鳴らす。
暖黄光に照らされた店内は外の空気のせいか、いつもより薄暗い。
お客さんは僕たちを含めて2組。(この店はランチを出さないから昼時が空くのだ)
古いJBLから、ボブディランのBlowin' In the Wind。

角奥のソファ席に腰掛けてブレンドとアメリカンを注文する。
「今日あんまり、お腹すいてないの。」
「そうか。」
サイフォンと軽快な音にもたれかかって、僕はキャスターに火を着けた。(彼女が「キャスターは煙の匂いが良いから好きなの」とこぼして以来、会うときだけはキャスターを吸っている)

「昨日大変そうだったね。」
「そうなの。残業。」
他愛もない話を続けてみる。
やけに自然に会話が進む。
焦りでもなく、諦めでもなく。

会話が一息ついた所でコーヒーが来た。
ふと窓の方を見ると、大雨になっていた。
通り雨だろう。

今かもしれない。
一瞬、胸が強く締め付けられる。
ブレンドを軽くなめて切り出した。

「別れよう」

雨の音とボブディランを邪魔しないように、小さい声で。

少し見つめ合って、彼女の瞼から堰を切ったように涙が溢れ出した。
「わかってたの」
「わかってたんだけど」

僕はブレンドを一口飲んで、タバコの火を消して、うつむいた。特に意味はなかった。
雨の音、サイフォンの音、ハーモニカの音。

少し顔を上げると、彼女はまだ下を向いている。でもその顔はなんとなく、付き合い始めの頃に似ていて、彼女の本音が顔に出たのは久しぶりな気がする。
なんで別れようと思ったんだっけ。
なんで付き合ったんだっけ。

別れ話を切り出したのは自分なのに、どうやら心はちっとも軽くなっていないみたいだ。
大切な事が抜け落ちている気がする。
二本目の煙草に火をつけようとしたけど、そのままライターを置いた。

時間はゆっくりと流れていく。掛時計に目をやると針は45分を回ろうとしていた。
結局彼女の一言を最後に僕たちは何も話せず終い。
何か肝心なことを伝え忘れている気がする。
このままでいいのだろうか。

会計を済ませ店を出たとき、なんとなく彼女の口を寄せた。

「馬鹿にしないで!」

僕の左頬を強く叩いた。
彼女の目は真剣だった。

彼女はビニール傘を開くと足早に歩き出した。歩幅を合わせたくないようだ。
僕は間に合ったはずの信号をなんとなく見送ってみる。
対岸の喧騒に、彼女はそのまま消えた。
雨は少し落ち着いたけれども、夏と冬を雑に混ぜ込んだような湿気は、強く残っていた。

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