無題

縁っていうのは酷なもので、どんなに時間をかけて育んだものでも、別れの時が来れば振り出しに戻る、もう二度と会えなくなる場合もある、その繰り返しだ。

僕はそういった切れ目が生傷になって、ふとした時、例えば何となくバス待ちをしている、喫煙所でタバコをふかしている、そんなときにはっきりした記憶でグサッと刺される。

その度に「もうやめてくれ。俺が悪かった。やめてくれ」って、バス停の時刻表、喫煙所向かいのネオンに意味もなくお祈りするのである。

縁の切れ目は突然にやってくる。長く付き合っていた関係、親しかった仲だとしても。ただ、大抵は自分が意識していなかっただけで、相手はずっと辛い気持ちを抱えて、その苦しさにようやくけじめをつけようとしているのだ。

だから僕はいつも、縁の切れ目に謝りたくなる。「ごめんなさい」

悪魔の呪文だ。

ごめんなさい。

この言葉を伝えれば、自分もけじめをつけられるから。だから謝れなかった人に、謝るタイミングをいつも探っている。どうしようもない人間だ。

ある日、謝った人にこう返された。

「それで君は満足なの」

〜〜〜

歳を取れば取るほど、一生忘れられない苦痛が増えていく。もう、この痛みを拭うことなど無理だと思っている。今日もまた一つ、一つ、生傷は増え続けて、快楽や満足に天秤をかける事は難しくなってしまった。

贖罪などできないし、進んだ時間は戻せない、今ここに立つ自分の醜さだけが全てだ。

そう気づいた頃には景色は白けて、気怠さだけが心の底に溜まっていく。生活を憂うミュージシャンが描く景色のように。この共感が歳を取るということなら、僕は少し歳を取り過ぎた。

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