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昭和のいじめられっ子だった僕

前世でどんな罪を犯したのか分からないけど、幼稚園から高校まで、一貫して苛められてきた。昭和の終わりごろ、イジメはダイレクトで、暴力的だった。顔面血まみれになったり、骨折して帰ってきたこともある。家の商売や趣味も馬鹿にされ、クラスでも無視されて、ホントに少数のオタク仲間と、部活動に支えられて何とか生きていた。ポケットの中には自殺用のナイフが入っていて、カバンの中には「完全自殺マニュアル」が入っていた。

まぁ幼少期も褒められた人格ではなかったので、一方的に被害者ぶるつもりもない。苛められる方にだって原因があるのは、子供の時から身に染みている。


最近、幼稚園時代に僕の顔に縫い跡が残るような傷をつけて、小学校時代に僕の腕の骨を折って、社会に出てからも同窓会で会うたびに「お前の人生はつまんない」と絡んできていた同級生の訃報を知った。自殺だった。

その時、僕は自分でもびっくりするくらい、穏やかで安心した気分に「なった」

そうか、彼は僕の知らない所で、苦しい目に遭って、命を絶ったのか。もう会うこともないし、彼に傷つけられる人間もこれ以上増えないんだな。

それは「世界中の海のマイクロプラスチックを分解する技術が確立した」という情報を聞いたら感じるであろうくらいの、この世界についての安心感だった。

既に40歳になり、個人的な恨みつらみは捨てていたつもりだったのに、自分の心の在り方に、びっくりした(そして少し悲しかった)。

イジメって、冗談半分の行いのくせに、そんなレベルの傷を残すのだ。

僕はきっと、深層心理では、他のいじめっ子の死も望んでいるのだ。

そんな矮小な僕は、だからこそ、この世界から暴力やイジメがなくなることを願って止まない。

最近のニュースを見て。



いま無自覚にイジメを行っている貴方。「苦しんだとき、死んだときに喜ばれる」という呪いを自分にかけていることに気づいてください。

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