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JK(女子高生)写真

90年代中頃に、日本でプリクラ(プリント倶楽部)が流行り出した時、これはアメリカへ輸出できるわね!と、思っていた私。

と、言うのも、アメリカ人は写真が大好きだったからです。

今でこそ老若男女の日本人も、スマホやタブレットで写真を撮ってはFacebookや、Instagramにアップする時代ですが、当時はそんなツールはなく、精々使い捨てカメラで、それまでよりは手軽に写真を撮る程度。

それはアメリカ人も同じで、その後デジカメが世間を凌駕していきましたが、87 年はまだ黎明期で、一般人は誰もがアナログな写真を撮っていました。

そして、当時の日本とは違った点。

それは、大部分の人が奥さんや子供、孫などの写真を財布に入れて持ち歩いていた事です。

スタジオで撮った写真が、クリスマスや誕生日のプレゼントになるほどで、その様な習慣がない国から来た私には、とても不思議に思えました。

そんなに喜んでもらえるならば…と、お恥ずかしながら、その後日本で成人式を迎えた私は、振袖姿の自分の写真を大きく引き伸ばして、その年のクリスマスに、ホストファミリー宅へ送ってみました。

着物に着られているような、あの不自然な写真が、その後しばらくは彼らの家の壁を飾っていたなんで、今考えると、赤面ものですが…。

ところで87年当時、友達の間で流行っていたのは、証明写真を撮るインスタント写真ボックスの中に、皆でぎゅうぎゅう詰めで入り、色んな顔で4連続写真を撮る事。

これなど、まさしくその後の日本人JK(女子高生)が、プリクラでやり始めた行為で、今や盛り写真まで撮れるのだから、楽しいですよね。

私は見たことがないものの、恐らくアメリカでも繁華街には設置されているのでは?と思うプリクラ写真機(出来れば、盛れるバージョン)を、一度見てみたいなと、子供が幼稚園へ通っていた頃、「藤子・F・不二雄ミュージアム」で、一緒に撮った盛り写真(♡)を眺めながら、海の向こうに思いを馳せたりしています。


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