「文化」を見つめる地平から。

岩手の民俗芸能にフォーカスを当てたプロジェクトに関わりつづけて、
今年で5年目である。まだまだ小物である。でも5年目だ。
この間、私自身はどこの芸能団体にも所属しておらず、
あまりのめりこみすぎないニュートラルなスタンスでこれらの企画を手がけてきたので、
クールに見えすぎることもあったのではないかと想像するが
それはそれでいいと思っている。

今日は、
2/24の「GEINOど真ん中ミーティング」、そしてそこに至るまでのメンバー間での20回以上にわたる話し合いを通してわかってきたことがあるので、
ひとつの印として、ここに一度、文章として残しておきたい。

まず、大変主観的なところから「文化」について話してみる。

私の目

この5年弱の活動を通して、芸能 ― 特に神楽を通して得られたこと。
それは、「文化」を語るための独自の言葉を私なりに持てるようになったことだ。
幼き頃から今に至るまで、広範囲にわたって「文化」や「芸術」「人文」というものに対していつでも奔放な好奇心をもっており、
興味をもってはすぐ本を手にとったり出かけて行ったり、
果ては、演劇をはじめるなどしていたので
文化に関わることばの引き出しは、私の中にはあふれていたように思う。
しかし、自ずと蓄えられたそれらの情報データバンクはいたるところで役には立ったが、
今考えれば書物などで得た他者のことばをただフローさせていただけに過ぎなかった。
自分にとっての「文化」とは何か、それを語るための経験から生ずる言葉は全く養われていなかったのだ。

そのような浮ついた私の両足を地におろし、
数年かけて文化を見つめ続けるきっかけをくれたのが、地元岩手県南地域に広がる神楽だった。

忘れもしない。
奥州市江刺区をおとずれた際、ある神楽団体の代表さんが
美しく広がる初夏の田んぼの風景をふりあおぎながら、
「なんもない田んぼだけんど、ここら一帯に20~30の芸能があるよ」と教えてくれたときの衝撃といったら。
風土やその地の信仰や儀式に密接につながった形で100年以上にわたり
人から人へつながれてきたものがある。

文化だ芸術だ!などと言いながら、
本やスクリーンの中、あるいは外ばかり見ていた私の志向をぐっと内側に引き寄せた決定的な言葉だった。
これからはこの土着の文化 ― 芸能と関わっていかなきゃいけない。
直観的にそう思ったものだ。

それから数年、コンセプトや目指すビジョンは
活動の変遷とともに少しずつ変化し、
そして今、ここに落ち着いている。

芸能を見つめ続ける現在の私の目をあえて定める必要があるのなら、
私は、静かなる木なのだなと思う。
あまり派手に動かずとも未来を見据え、
仲間たちと根っこの部分では強くつながりつつ何か事を起こし、
そしてその先の芸能の行く末を末長く見続けていきたい。

地の目と空の目

さて、昨年夏より始まった「100年先へ、プロジェクト」だが、
このプロジェクトで何より特記すべきは、
プロジェクトメンバーが流派や地域がまったく違う、それぞれの芸能団体に属する若き担い手が集まったことだと思う。
実行メンバーが芸能ど真ん中の当事者なのだ。

こういう構成メンバーと芸能のプロジェクトをすることが初めてだったので、
私自身たくさん勉強になった。
先ほど自分のことを“静かなる木”と表現したが、
そこに落ち着いたのは彼らとの出会いが大きい。
だったら私は縁の下の大力持ちになろう、というわけである。

彼らとの企画立ち上げの中で当初から話に出ていたのは、
既存のよくある芸能イベントには絶対したくないね、ということだった。
メンバー全員が若き当事者だからこそ、
私たちにしかできない企画の形があるはずだ、と。
それをスタートとして話し合いを重ね、結果、
芸能の魅力に焦点を当てるのではなく、
芸能が好きだ、というポジティブなパワー = 人 にスポットを当てた企画にしようということになった。

芸能の魅力を伝え広げる役割は、芸能ファンの方々や新聞・テレビなどのメディア、企画会社が既にいくらでもやっているのだから、私たちはそれをしなくていいんだ、
もっと言えば、お手軽なSNSのおかげで今や一億総発信時代なのだから、
そのへんのことは任せちまおうぜ、という潔さである。
言い換えれば、課題解決のためには芸能というコンテンツの魅力を「発信」すべきだ、という王道の選択肢を私たちは捨てたのだ。
(※イベント周知のための情報発信は別とする)

そもそも、「発信すべき」と繰り返す視点はいわば“空の目”とでもいおうか、
外から目線の発想であることが多いように思う。
が、今回のように、ぢっと地に足つけて自分たちの芸能に本当に必要なものを見定め行動する“地の目”こそが本当はずっと大事なことなのではないか。

日本で開催されるラグビーW杯やオリンピックと相乗するようにして、
外国人観光客向けに地域文化を知ってもらうという理由から
芸能そのものが年々消費コンテンツになりつつあるが、
かねてから私はこのやり方に甚だ疑問をもっている。
しかしながら、これを正当化される文脈としてよく聞くのは、
「外国の方々に向け地域文化の魅力を発信することで、芸能の盛り上がりをはかる」というものだ。
もちろん一部ではその効果もあるだろうし、この出会いを通して、
双方が得難い体験や刺激をうけることも大いにあるだろう。
それはそれで素晴らしいことだと思うが、だけどすべてを鵜呑みになどするもんか、と思うのだ。

確かに空の目の視点の企画の方が派手である。目も引きやすい。
それに比べると、地の目の視点は着実に一歩ずつ、を重視するので
成果もすぐには見えづらく、何となく地味だ。
しかし、だからといってこれから先も“空の目”視点ばかりに終始していていいのだろうか。

地の目 の力。

今回の「100年先へ、プロジェクト」の打ち合わせでは、
自分たちのやりたい形 ― ねがいの形を誰もが納得してつくりあげるべく、
本当にたくさんの時間を使ったし、
その分、たくさんのことばが積みあがった。

その中で、何より印象的だったのは、この言葉だ。

私たちの芸能の価値は、私たちが決める。

芸能の価値は、時代の流れや社会状況によってその都度変動してきた。いや、変動してるように見える。
なぜならそれは多くは周囲からの評価で、そこに乗る形で継続してこられた団体も多いだろう。
しかしながら、自分たちの芸能の価値を自分たち自身で定め、
それを支点/始点として活動することをあえて自分たちに課している団体はどれほどいるだろうか。

団体のコンセプトとして永く私たちを支えるであろう上記のことばが出てきたことは、
奇跡的であると同時に、必然であった。
この言葉が出たとき、メンバー全員が「これだ」と求心されたことが肌感覚でわかったのが何よりの証拠だ。
ことばとして存在してなかっただけで、私たちはずっと前からそれを目指していたのではないか。
その見えない熱意に名がつけられたようであった。

自分たちの芸能そのものが本質であり心臓なのだとつかみなおし、
その核たるコンテンツをただただ強かにすること。
“強か”とは、舞の技巧のよしあしでもなく、団体の人数でもなく、有する演目の数でもない。
呼ばれるイベントの回数や、その規模の大きさでも決してない。
ただ、自分たちの芸能に誇りと自信をもち、自らも含めて肯定できること。
そしてその拠りどころとなる価値づけをどんな些細なことでさえ、自分たち自身で見つけられ、共有できていること。

ふんわりとして時を費やすのではなく、
ここらでひとつ、しっかりを根をはることが今は何より大切だ。
そのための自己肯定の錬成の機会であり機能として、他団体とのつながりや、
そこから生まれる相対比較・自己還元が必要であるなら、
そこに「100年先へ、プロジェクト」があればいい。

地の目である当事者自身が自分たちの芸能の価値を発見できること。
そして地方自治体やイベント・フェスの主催者は、目先の派手さにばかりとらわれることなく、
地の目の視点を有する者たちを決してないがしろにせず、
自己の価値を見つけるに至れる手助けをすること。
ただの言語化といえばそれまでだが、
しかしながら今こそこれが求められているように思えて仕方がない。

もちろん、空の目視点の発信を並行してやりつつ、
存続をはかっている団体もいらっしゃるであろう。
そのことについて反対する気はまるでなく、
そもそも「受ける」と「継ぐ」のあいだに顕れる現在の担い手たちの熱意と選択にいいも悪いもないと思っているので(3/20notes参照)、
その未来への次なる一手をただただ応援したい気持ちだ。
だが、実際このようなことをできる団体は限られる。
そういったとき、空の目を羨み見上げるだけではだめだ。
自分たちも誇りある地の目をもっていると自覚し、
自分たちの芸能の価値を自分たちで見出すこと。

取り組んでみればあまりにも容易いからこそ、
見落としがちな存在価値の定義。
これをすべての芸能団体が前向きな姿勢から定義することができたとき、
ここに来て岩手の民俗芸能はぐっと底上げされるにちがいない。

どんなに人の目をひく美しい花でも根が浅ければ、生き続けることは難しい。
花を咲かせることは少なくとも、深きところまでしっかりと根をはり、
そこで生き続けることにそれなりの意義を見出だした草だけが、未来永劫残るのだ。
私はそれを、強かで、真に美しいと、そう思う。

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