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家事はめっちゃ偉大な仕事※めっちゃスピリチュアル記事

まえがき

こんにちは、お久しぶりです。
最近は全く更新せずにいましたが、ちょっと考え方が変わりまして、その勢いで最近とても思っていることを書きたいと思います。

でもまず、一言断っておきますと、この記事は大変スピリチュアルです。
人によっては「はぁ?」と言われるかと思います。

私の実家は、スピリチュアルに関連のある仕事をしています。なのでいろんな方を見ていて、私はスピリチュアルにかぶれないようにしよう……と思って生きていました。
でも、やはり自分の興味のあるところはスピリチュアルなところなのです。そして、今日、他の方からの勧めもあり、結局自分の考えていることは変わらないし、書きたいことも変わらないのなら、書こうと思いました。

家事、育児は超素晴らしい仕事!

とはいっても、タイトルまんまなんですけども。
ただ、私は最初からこいういう風に思っていたわけではぜんっせんありません。
掃除洗濯料理、これらのことが偉大とかいわれても、正直「士農工商」とおなじで、身分だけ高くしてるけどただの奴隷じゃん!って思っていました。
(過去記事にぶつくさ言っているものが沢山あります)

でも、最近考えが変わったんです。
それはまず、何で私は生きているのか?ということについて考えていたときに見た言葉がきっかけでした。

「人は魂の修行をしていて、霊恪を上げるために地球に来ている」

いや、これもめちゃくちゃ……言葉は悪いですが手垢のついた表現、と思っていました。すみません……
でも、最近神社にお参りしている内に、なんとなく「そうかもしれない」と思ってきてしまったんです。
桜井識子さんの本を読んだことも大きいです。そこにはこんな様な内容のことが書いてありました。

「死んだときに、すこしでも霊恪が上がっていたら、守護霊と万歳して喜ぶことができる」

うーん、と考えました。つまり、死んだあとに持って行ける物って、徳だけ、ってこと?マジで?でも確かに、お金は持っていけない。ダイヤの指輪も家も、夫も持って行けない。

でも善行は持って行ける。

うーん、と考えました。これがもし本当なら、先々(死んだ後)のことを考えたら、善行積んだ方が良いのでは……?と思いました。もともとそういう理由で地球に来てるっていうし……よし、じゃ、とりあえず善行を積んでみようかな、と私は思いました。

善行って?

とそこで、善行って何?ってなります。

桜井識子さんの本には、「癒やされる写真をアップするのも善行。毎日掃除をするのも、家族のために食事を作るのも、笑顔であいさつするのも、相談に乗るのも、人の役に立つことはすべて善行」と書いてありました。

え?まじで?それなら……家事って善行の塊じゃない?と私は考えました。

家族のために何かすることは、霊恪アップの大チャンスじゃないですか。しかも、その得点は死んでも持って行けます。え?大変お得じゃ無いですかこれ?????

そう考えて、まず私は最大限の手抜きをしていた料理をしっかりとはじめました。そしたら、肌は綺麗になり、寝起きがよくなり、体力が上がりました。そのうち夫も同じようになり、そして夫がめっちゃいろいろ手伝ってくれるようになりました。

そう、身体は魂のお社(おやしろ)。
ここが綺麗だと魂もいきいきします(たぶん)。

子育ても同じです。霊恪を上げます。子供にはやってあげられることがたくさんあるからです。
そして、子供を育てると言うことは、これから地球に住まう人間を育てるってことです。これ、え?一言で書いてますが、めっちゃすごいことじゃないですか?え?これ、控えめに言っても世界一の重要な仕事なのでは?と思います。

女性に生まれたと言うことは、家事も仕事も、出産も子育てもできるってことです。っていうか、これらの尊い仕事で魂を磨きたいから、女性に生まれてるのかな?と思うくらいです。しかもこの尊い仕事を地球の半分の人類ができるってマジですごいな?とも思います。アリみたいに、一人が全部生むってシステムじゃ無いところが。

ちなみに、私は家事をしないかたや結婚しない方、出産しない方のお友達もいます。一番身近な友達は皆未婚です。でも、違う方法でがんばって生きていて、心から尊敬できるひとたちです。
今回、家事や子育てについて言及したのは、家事や子育てについて「無意味」とは言わないまでも、そこに特別な意義を見いだせていない方が多いような気がしたので、書きました。

また、男性が育児に参加する、家事をすることも大賛成です。なぜならそれは妻や子供に優しくすることで、それも善行の修行になるからです。

「だれにでもできる仕事」は「でも、その中のたったひとりがやってる仕事」なんだよなあ

まとめとしては雑になってしまいますが、これにつきます。また、これは家事育児だけでは無く「俺の仕事誰にでも出来るな……」とうなだれている男性にも送りたいことばです。
霊恪レベルアップには、その仕事がだれにでもできるかどうか、ってあんまり意味が無いみたいです。「誰かの役に立った」ならもうそれは立派な善行です。たとえば今日、わたしはコールセンターに電話して浄水器の問い合わせをしました。問題が解決し大変助かりましたが、これがもし、その人が対応してくれなかったら、問題は解決していません。そう考えると、生まれて生きてるだけで、私たちは修行をしてるんだと思います。


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