花譜は少しだけ小さくなった

お久しぶりです。


皆さんは不可解というライブを知ってますか?2019年の8月1日に行われたライブです。あの時、僕の中で初めて花譜が等身大の女の子になりました。

それまでの花譜は13インチの世界の中にいる人形のような存在でした。3Dはある、ニコニコ超会議でも等身大の姿を披露している、でも予定の合わなかった僕にとって花譜はいまだ矩形の箱に捕らわれたままでした。

そして恵比寿で迎えた8月1日、ようやく僕の花譜は等身大の女の子になりました。10メートルも先には花譜がいて、リアルのバンドマンたちとライブをしている。本当に花譜はこの世界にいるんだ、その思いだけで涙が止まりませんでした。そんな自分に追い打ちをかけるように「そして花になる」という曲を最後に聞かされ、自分はきっと花譜の終わりの時まで追い続けるんだろうと確信しました。

でも世界は変わってしまった。次も必ず現地でと誓った不可解の日、あの日の誓いは簡単に終わらされてしまった。不可解再はリアル会場でやっているのに現地で見ることができない。花譜は再び13インチの世界に戻ってしまった。等身大の花譜が、自分の中で薄れていった。

悪いことばかりではなかった。多くのバーチャルライブや配信ライブを経験した結果、不可解再や不可解弐では配信なりの楽しみ方をできるようになっていた。13インチの世界の花譜は、いつの間にか27インチまで広がった。花譜が大きく見えるようになった。変わってしまった世界に適応するように少しずつ自分が変わっていった。同時に怖かった。もう自分がリアルライブを楽しめないんじゃないかと。

そんな恐れから、自分は初日のチケットだけを現地にした。会場は大きくなり、花譜との距離は広がった。不可解の時より成長しているはずの花譜があの時より小さかった。「さらに多くの人に愛されるようになったんだ、花譜、大きくなったなぁ」という喜びと、一抹の寂しさがあった。感傷に浸ったオタクはそこで少し泣いた。
花譜は大きくなって少しだけ小さくなった。


当日のライブ後、自分の中には2つの大きな感情があった。現地の不可解は最高だという感情と、周りの人間が邪魔だという感情の2つ。恐れていたことが現実になった。
周りの人間が邪魔だと、そう、感じてしまったのだ。

初日は特に着席に関する周知がなく、最初大勢が座っていたことから自分もコンサートを見に来たつもりで座って花譜を見ていた。現地でも配信でも見えていたと思うが、一番盛り上がるあの時にコンサートはライブになった。自分はその変化についていくことができなかった。
コンテンツを十全に楽しむには努力が必要だ。洋画や洋書を楽しむためには英語ができなきゃいけないし、数式の面白さは数学ができるようにならないとわからない。同様にライブでもライブを楽しめる体を作っておかないと100%楽しむことはできない。配信ライブに毒された自分の体は、リアルライブで最大の幸福を得られるようになっていなかった。
それは別に悪いことではないが、明日配信にしてよかったと、この時はそう思った。

翌日の昼、昨日と違って今日は配信だから自分と花譜だけの空間で楽しめると内心考えていた。でも終わったときに抱えていた二つの感情は、配信で邪魔なく楽しめて良かったというものと、物足りなさだった。
どうやら自分はたった1回のライブでリアルライブの感覚を結構取り戻していたらしい。現地の後に配信ライブを見て初めてそれに気づく自分のポンコツさに嫌になった。チケットをとってないのに今すぐ豊洲に向かいたい衝動に駆られて不可解Tシャツを着て外に走り出した。

頭の中の天使は豊洲に走っていけと話しかけてくるし、頭の中の悪魔はさっさと家に帰ってQ3を万全に見れる準備しろと話しかけてくる。

Q3が始まる1時間半前の家に、運動不足のくせに暑い中黒いTシャツで走り回ってボロボロのバカが帰ってきた。本当にバカ。

吹っ切れた自分は思う存分Q3を楽しんだ。そりゃもう今までうじうじしてたのは何だったんだってくらいに。13インチから27インチに変えたときには大きく見えた花譜が、前日に現地の花譜を見た自分には小さく見えた。
小さく見えたはずの前日の花譜が、脳裏に強く大きく残っていた。

世界がもう少しだけ僕たちにやさしくなったら、やりたいことがたくさんある。不可解参のときにはそれが現実になりますように。

そのときはまた等身大の花譜を現地で観測しよう






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