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四條畷市蔀屋北遺跡と出水市六反ケ丸出土弓の比較

四條畷市蔀屋北遺跡は、古式の馬具が出土していることなどから、逸早く馬匹生産が開始された地域として知られているが、実は古墳時代中期初頭のものとみられる弓も出土している。
現存長88cm程度で、割材から辺材側を背に、芯材側を腹として、削り出している。古墳時代の原初的和弓に通有な形状の弓弭を持つが、樋(弓幹の腹側に穿たれた縦方向の溝)はなく、実測図を見る限りでは、仕上げとしての削りも磨きも無い粗雑な造りの弓という点で、定型化された原初的和弓とは言い難い。人間の怪我で言えば斜骨折ないし螺旋骨折状に破断しているが、破損前には少なくとも170cm程度、場合によっては2m近い長さがあった可能性がある。
つまり、弓弭の型式と長さに関しては、定型化された原初的和弓の特徴を備えているが、樋が施されておらず、削りと磨きも無いという点では、逸脱していて、定型化された原初的和弓の範疇に含めることはできない。
先述した、六反ケ丸遺跡出土弓の場合は、綺麗に樋が通り、丁寧な削りと磨きで仕上げられているが、弓弭の型式が弥生時代の弓の型式を引きずっているという点で、やはり定型化された原初的和弓の範疇に含めることはできない。
5世紀後半以降に古墳に副葬されるようになり、その後、正倉院に収められたような定型化された原初的和弓が登場すると、それまで上記のように細部にバラツキのあった出土弓の型式が統一される。その経緯や如何に?
ところで、先日拝見させていただいた、六反ケ丸遺跡出土の弓の一つに、蔀屋北遺跡出土の弓と、類似した断裂の仕方をしている弓があったように思う。もしかすると、同様の原因で折れたのかもしれない。

四條畷市蔀屋北遺跡出土弓

なお、弓についての報告のある「四條畷市蔀屋北遺跡Ⅱ」は全国遺跡総覧からダウンロードできる。https://sitereports.nabunken.go.jp/18999


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