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偏食人間の苦悩 〜はじまり編〜

僕の偏食は「食の好き嫌い」というよりアレルギーに近いものである。自分でも激しくツッコミを入れたくなるくらい、身体が拒否をする。そういう理由で自分が食べたくないだけなので、他人がお肉を食べることに対して「そんな、ひどい」と思うことも言うこともない。法律が許す範囲なら、皆さんご自由にお食べください。偏食人間に対する偏見は容易に想像できるので、そういうスタンスで生きていることを強く主張しておきたい。

偏食人生のはじまり

これまでに何度も「偏食」だの「ベジタリアン」だの言われてきた人生だった。偏食であることは認めるが、別にベジタリアンではない。肉類があまり食べられないだけ。当然、ヴィーガンでもないので食べない・食べられない理由はシンプルに「食べると体調が悪くなったりするから」。子供の頃は母と僕の2人で食事をすることが多かったのだが、僕があまりにも拒否するからなのか、食卓に肉料理が並ぶ回数はかなり少なかったと思う。よく、冷蔵庫の中でお肉が腐っていた。

お肉を進んで食べなくなった、というか食べられなくなったきっかけは覚えている範囲で2つある。どちらも、小学校低学年くらいの出来事。

1つ目は、ブタさんが乗っているトラックが目の前を走っていたこと。田舎で暮らしていて移動手段が親が運転する車だと、子供はこんな場面に出くわすことがある。「ブタさんはどこに行くの?」と親に訊き、要約すると「出荷される」というような説明があった。今となっては具体的な言葉は覚えておらず、説明が悪かったのかすら分からない。僕もいつか出荷されるのか。そんなことを考えたかは不明だが、ひどくショックを受けたことはよく覚えている。

2つ目は、夕方にやっていたテレビのニュース番組で「丸焼き」を見たこと。食レポ的なコーナーで映し出された姿が、やはりショックだった。お米とか野菜とか作れるのに、どうして動物まで食べるんだろう。農業が身近だったせいか単純にそれが不思議で、同時にとても怖いことのように感じた。

偏食の根本的な原因

近所の家のかわいいウサギやニワトリも食べられちゃう? とか、他にも色々なことを考えていたのかもしれない。ピーターラビットのお父さんはパイにされた。お話しの中だけの出来事だと思っていたことが現実でも起こるかもしれないなんて、無知で無力な子供にはひたすら怖い話だ。

突き詰めれば僕は「死体」と「食材」の違いがよく分からず、良くないイメージが頭に浮かんでしまって拒否しているだけなのかもしれない。車に轢かれた犬や猫、池に浮かぶ魚などを子供のうちに何度も見たのも影響しているのだろうか。牛乳もいつからか苦手だし、シンプルに動物性の食べ物があまり身体に合わないことに気づいて避けているのかもしれない。僕自身もはっきりとしたことは分からないままだ。

長文になりそうなのでシリーズ化の予定

偏食で困ったことはたくさんある。生きるうえで食事は避けられず、孤独に生きていても悩みは尽きない。他にも色々なことがあって生きづらいタイプだが、なんでも食べられたら苦労しない時間もあったと思う。一緒に食事をすることで親しくなれた人もいただろう。好きなものだけ食べているバカなヤツだと思われることが理想だった僕は、そうなることすらできず、色々な機会や可能性を潰してしまっただけのような気がしている。

偏食ゆえにどんなことがあったか、どう乗り越えてきたか。シリーズとして、これからはそんなことを書いていきたい。

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