見出し画像

Catalyst3.0『邂ノ儚』感想

2024年2月22日(木)〜2月25日(日)「アトリエファンファーレ東新宿」で行われた劇『邂ノ儚』の感想です。私が観たのは千穐楽の3/17になります。


「大分県」は枷<かせ>か

まず入口に立つ男性スタッフが倒した自転車を片付けず、見兼ねた客が直していたことに腹が立った。挙げ句に客には通行の邪魔になるからと注意しておいて、ウロウロして完全に歩行者の通行を何度も妨げていたスタッフには注意しない態度にもガッカリした。大分県民の代表として見られるという自覚がないのか、それとも大分県民ってそういう県民性なのか疑わざるを得なかった。できればもう東京であのスタッフで公演しないで欲しい。そんな状態で気持ちよく観劇が出来るはずもなく、またまるで異母兄弟や連れ子をバカにするかのような内容にさらに腹が立った。DNAが違うからと泣くようなことでは断じてない。家族はそんな薄っぺらい関係では無い。ただ、最後の夫役と妹役のシーンは良かった。2人とも役者として今後とも頑張って欲しい。

「アンケートに書いた回答」

これは私が率直に書いたもので、劇を見た直後の興奮もあってすこしとげとげしくなったが、基本的に思いは変わっていない。
もしかしたらこの男性スタッフは大分県から来た方ではなく、東京の現地劇場関係者なのかもしれないが、観客にとってはあまり関係ない。もしそうだとしても劇場選びから間違えた劇団のミスである。
例えば新人が製作した書類や仕事が少し厳しい眼でチェックをいれられてしまうように、「大分県から来た」というのを公開している以上彼らにはある種のより厳しいフィルターがかけられてしまう。それは諸刃の剣であり、良い効果はさらに良い印象をもたらすし、悪い効果はさらに悪い印象を持たれる。
今回においては完全に裏目に出た。もし東京旗揚げの東京の劇団であれば、「悪いスタッフもいるものだな」で済んだ。しかし「大分からきた」劇団ではそうはならない。「大分県の劇団ってそういう程度の人間がやってるんだ」とみなされる。だからこそより細心の注意が必要だった。
そもそも小劇場の受付や案内に立つ人はほとんど平身低頭の場合が多い。それがいいことだとは微塵も思わないし、むしろいびつでさえあるが、それは劇場というスタイルが「そこに存在すると迷惑」と思われることを恐れているからに他ならない。自分たちの首を絞めることになりかねないからだ。
大分の劇団が立つ鳥跡を濁した、というのは言い過ぎだが、とてもいい印象は持つことができなかった。
そういうわけでアンケート回答にもあるとおり、少し厳しい評価にならざるを得なかった。これ以降は読まなくてもよい。

導入の不安定さ

チャイムが鳴った。
いわゆる「キーンコーンカーンコーン」というあれだ。前説がおわり、舞台が暗転して会場全体に鳴り響くチャイム。暗くてよく見えないがどうやら2、3人の女性が舞台上の椅子に座っている。かすかに話声がする。おしゃべりしているようだ。

この数行をよんで、想起する舞台のイメージはどうなるだろうか。
正解は、姉妹と母親がダイニングテーブルに座ってぎょうざを食べ終わってじゃれあうシーン。
思わずズッコケそうになった。
私は演出家に小一時間問い詰めたい。何をしたかったんだと。もう少し「導入」に気を遣うべきではないか。ますます真面目に見たくなくなった。前説で「2時間の講演ですが、他のお客様のご迷惑になりますので席の移動や退出などはお控えください」と言っていたのは、文字通り前フリだったのかと思いたくなるほどであった。
これは私の個人的な考えに過ぎないが、「導入」部というのは小説の「プロローグ」や専門書の「まえがき」のように、ある意味その全体を見通すようなガイドラインであり、観客を劇に没入させる仕掛けが周到に用意されていなければならない(逆に「仕掛けは一切用意しません」と高らかに宣言するような仕掛けもあるにせよ)。
では、その導入シーンでいったいどんなやりとりがなされていたかと言えば、思わせぶりな家族関係と「父」の存在の闇であった。そういうのをいきなりぶっこんできたのだが、少なくとも私はまったくついていくことができなかった。実際は「父」の存在は闇でもなんでもなかったのだが、とりあえず「姉」役はもう少し役柄を研究してほしかった。多分彼女が一番われわれを混乱の渦に巻き込んでいる。
ともあれある意味このとんちんかんな導入部分は、この劇と劇団らしいともいえなくもないが、それはあまりにもあまりな話ではある。

大野タカシのファン向け劇場by二階堂酒造

「夫」はラジオパーソナリティーを務める地方タレントのようで、舞台やテレビ、CMでも活躍しているというほとんど大野タカシ氏本人のような役だ。劇中でもラジオパーソナリティーとしてメッセージを読むシーンが何度も出てくる。

右端の席から舞台を見る

右端の席は「特等席」と舞台内スタッフが語ったように、ここからだとラジオパーソナリティー役の大野タカシ氏を間近で堪能することができる。

しかしこのラジオのシーンがとにかくやたら長い。

あとで調べてわかったことだが、大分県内では有名なタレントらしく、このひたすら長いリスナーからのお便りを読むシーンも、大分県民と大野タカシファンを喜ばせるためであったに違いない。

だが、彼を知らない人間にとっては
「いったいこれは何を見せられているんだ」
という気持ちで一杯であった。
冒頭の事件のせいで焼酎「二階堂」が出てきて、ラベルの位置をわざわざ直して正面にするサービスぶりも地味にダメージであった。
案の定、大野タカシ氏が実際に大分でやっているラジオ番組のスポンサーが「二階堂酒造」であった。「妻」役が飲むたびに「おいしい」と連発するのもかえって胡散臭い
鼻につく行為はかえってブランドイメージを損ねるので、もしそんなに二階堂酒造を推したいなら「あれ、もしかして二階堂かな」とわかる人にはわかる程度に抑えておくべきだった。
舞台はCMする場所ではない。

異母兄弟と連れ子を一時バカにする悪質性

劇中では父親と娘二人が実は遺伝子的にはつながっていないことがわかるのだが、それをさも絶望的であるかのように描写する。
まるで家族内で血がつながっていないことは「悪」だとでもいうかのように、嘆き悲しみ、全否定するのだ。これが悪質でなくてなんだというのか。
もちろん最終的には「家族とはそんな遺伝子とか血とかじゃなくて、愛みたいなものでつながっている」という話でまとまるのであるが(当然だ)、そのことをわざわざお涙ちょうだい的に言いたいがために血縁がないことを悪く言うのは本当にやるべきではなかった。
とうぜんこの劇の作者は「そんなつもりじゃなかった」と弁明するだろうが、そのセンスはSNSで有名人を中傷しまくる匿名ユーザーの性根そのものである。彼らも高らかに「そんなつもりじゃなかった」と釈明するだろう。この劇作家に是非どういうつもりでこんな劇をつくったのかきいてみたいものだ。ひどすぎる。
とはいえ、製作意図はわかっている。
「夫」役がほとんど大野タカシ氏本人なのだから、彼をクローズアップするための「笑いあり、泣きあり」に仕立て上げたポートフォリオ的作品であることは疑いようがない。

背伸びしすぎた大分劇団

この舞台を一言でいうなら「背伸びしすぎ」と片付けることは可能だ。大分公演で「やっぱり大野タカシはしゃべりがうまいし歌もうまいしかっこいいいね」で満足すべきだった。
おそらく同じものを大分で見たら、自分も違った見方ができていたかもしれない。「地元で有名なタレントが主演の演劇」というだけでエンタメとしては十分すぎるほど成立しているので、多少時代錯誤的なことも受け入れることができた可能性がある。そんなところにつっこむのは野暮だからだ。
冒頭の方で「東京旗揚げの東京の劇団ならよかった」というのとほぼ同じ文脈で、大分旗揚げの大分の劇団が大分で公演をするならよい、というのはある種の誤解を生みやすい問題点ではある。しかし、場所性というのは確かにあって、もしこれを読んでいる方が大分県出身だとしたら、「東京旗揚げの東京の劇団」が都内で流行しているスタイルの演劇を大分公演をすると耳にしたときの自分の心境を想像してみるとよい。
少なくともこれは東京でやるような内容ではなかった。質もひどかった。何度も言うようだが「拙い」というわけではなく、別方向でひどかった。
プロみたいだと思ったらやっぱりプロだったピアノ演奏と、やっぱり本人役みたいな渡邉純(あずみ)氏の無邪気さがこの舞台の救いだったといえるだろう。

概要

Catalyst3.0「邂ノ儚」
作・演出・音響・照明:FILTER13

出演:大野タカシ、永見響子、瀧口政美、渡邉純、首藤拓人

作詞:大野タカシ 
作曲:大野タカシ、永見響子 
制作:佐藤美緒
パンフ・フライヤーデザイン:佐藤恵美 

協力:0-1ZENA 東京、Psypher

期間:2024年03月16日(土)~03月17日(日)
会場:アトリエファンファーレ東新宿

Filter13's Agora

大野タカシオフィシャルサイト


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?