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藤家と南風盛と中條「蝶のやうな私の郷愁」感想

2024年2月16日(金)〜2月18日(日)「アトリエ春風舎」で行われた劇『蝶のやうな私の郷愁』の感想です。私が観たのは初日の2/16になります。


有名な戯曲?

たまに役者のインタビューを読むと、「好きな戯曲は『蝶のやうな私の郷愁』です」という感じの言葉を目にしていたので、名前だけは知っていた。しかし私自身は「にわか」もいいところなので、わざわざそれを読むどころか、他の人の感想を探して前評判を確認することもしなかった。
そもそもこの劇を見ようと思ったのは、薄っぺらいコピー用紙でできたフライヤーとその内容の力の入ってなさと、そこに秘めた諦めきれない「演劇への情熱」みたいなものを感じたから、というちょっと偉そうな理由である。

古い時代観

最初のやさぐれた夫婦のやり取りや、いわゆるちゃぶ台のセットから、少し古い時代の話とすぐに了解した。会話のズレ、そしてテンポの不調和を繰り返すことで、そこには愛というよりも別の危うさを秘めた何かでつながっている夫婦、という感じがした。それは劇の後半で明らかになっていくわけだが、いっぽうで古い世界観ならこういう夫婦が存外多かったのかもしれないな、と思った。つまりありていにいえば、女性の社会進出が実態としてまだ難しかった時代、ということである。勿論むかしもできなくはなかったが、そこには男性にはない様々な障壁が確かに存在した。そして女性は男性と一緒にいることでその障壁のいくつかを突破することができた。そういう利害関係とそれだけでは割り切れない男女の感情の交錯がそこかしこに存在し、それは一言でいえば「愛着」でつながっていたといえるかもしれない。少なくともこの劇の世界観はそうだと考えざるを得なかった。

時代にそぐわない

「考えざるを得なかった」というやや大げさな表現をしたのは、この戯曲がすでに時代にそぐわなくなっているな、と感じたからである。あとで調べてみたら初演は1989年で、少なくともその当時はこの劇で展開される世界観は普通のことだったろう。軽くググった限りでは何度か改訂されているようだが、ベースとなるサーバーあるいはOSみたいなもの自体が古いために、少しの改訂ではこの違和感をぬぐうことはできないだろう。いわゆる「昭和」あるいは「平成」という比較的現代的なニュアンスも含んでいるためにかえって消化不良を起こしている気がする。いっそのこと明治とか大正時代の話に改編した方がしっくりきそうではある。

「マンション」という未来

劇中で駅前に建設中のマンションのパンフレットをめぐる展開がある。この物語の時代感からすると、同時のマンションは憧れと同時に「未来」でもあった。嫁である女性はマンションを見に行きたがるが、夫である男性はそれを渋る。覚悟の差というよりも切実さの差、あるいは責任の差と言えなくもない。夫は嫁の願いを雑に振り払うが、嫁のいない間にパンフレットをのぞき込むあたり、興味がないわけではない、という感じである。実際のところ、マンションそのものへの興味は夫の方が強い。嫁の方はむしろ、夫とのコミュニケーション手段の一つとして捉えている節がある。
しかし、ラストに近いシーンでこの「マンション」は重要な役割を果たす。過去へ過去へと展開する流れにカウンターとして機能するのだ。すなわち「未来」への志向である。とはいえ、この二人に横たわる問題が解決されているわけではないし、実際にマンションに住める立場でもない。つまり過去ではないとはいえ、「たどりつけない未来」という予感でもある。そこにある意味切なさがあり、場合によってはこの物語の主題でもあるかもしれない。

初演あるある?

実は、劇の前半はやや言葉が早口だった。食い気味、というほどでもないが、あらかじめ出す言葉が決まっているというスピード感である。緊張があったのかもしれない。後半はこなれてきたのか、そういう感じはなくなった。
とくにコミカルな部分は、この役者二人の真骨頂なのではないかと思うほど自然で堂に入っていた。観客たちも笑いをこらえられないという感じで、一気に一体感が出た。観客が笑ってくれたから役者が生き生きし始めたのか、役者が生き生きし始めたから観客が笑ったかは「にわとりと卵」といった感じである。

『姉』の存在

特に女性の役者側が、「過去」の権化として出てくる『姉』の存在をうまく消化しきれていないのかもしれない、と思いながら観ていた。あるいはこの戯曲そのものが『姉』をうまく消化させていない可能性もある。そんなにタブーな話なら、おそらく『姉』に贈ったとされる貝殻が出てきたところで話題にしないはずだし、話題にするならば彼らの関係の間では終わった話、それこそ「過去」の話としてもう少しオブラートに包むはずである。しかし、電話の話しかり、『姉』の死因の疑念しかり、終わったどころか全然「いま」横たわっている問題にしか思えない。また、これを女性の側から持ち出すのも何か変だと思った。これは夫からしたら触れられたくない傷にも思える。この夫はうまく嫁の言葉を受け止めていたが、場合によっては別れ話の前振りにさえ聞こえる。もしかすると、まわりくどい愛情の渇望かもしれず、それを夫は知っていて受け止めているのかもしれないが、おそらくその点でこれを演じている役者の「現代に生きる女性としての考え」とうまくすり合わせができなかったのかもしれない。

概要

『蝶のやうな私の郷愁』
作:松田正隆
2024年2月16日(金)~18日(日)
アトリエ春風舎(〒173-0036 東京都板橋区向原2-22-17すぺいすしょう向原B1)
企画・演出:藤家矢麻刀、南風盛もえ、中條玲(藤家と南風盛と中條)

出演:藤家矢麻刀、南風盛もえ
スチール:小池舞
照明協力:緒方稔記
フライヤー制作:中條玲

主催:藤家と南風盛と中條
協力:プリッシマ

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