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虹色の音色

音楽は苦手だった、リコーダーとかろくに吹けないし歌うのは好きだけど自分の声が嫌いだった。

中学校時代、俺より身体が大きい同級生に
殴られたり、周りの子と一緒に罵声を浴びせたり
酷い時代があった。授業中に手錠をかけられ
臨時の音楽教師はそれを見ない振りで
授業を進めている。残酷な現実でした。

親に相談して、その子の親に直談判したが
「私の子も小学校の時いじめられてましたし
   いじめてないって本人は言ってますよ。
   何かのまちがいなんじゃないですか?
   うちの子は虐めてないです。」

冷たすぎる言葉の暴力に俺は心を凍り付かせた
それからというものその子の仲間、友達からも
冷ややかな目で見られた。

死んで仕舞いたいと思いカッターナイフを持って
学校が行けなくて公園で過ごした日がありました

けど仲良くしてくれる子もいて
その子のお陰で遊んだり、一緒の塾行ったり
一緒に当時、仲間内で流行ってたデジモンのカードゲームを塾の帰りにベンチでカードゲームしてたね。仲間達、バイトして塾代を入れてくれた優しい姉のお陰でなんとか高校も姉と同じ高校に
入れた事は人生初の快挙だと私は思う。

高校になると、まあ、やんちゃになりましたね。
タバコ吸ったり、酒飲んだり、男の子集めて
親に隠れてAV観たりとかしてましたっけ(笑)
いじめはないし、悪ぶってたけど
部活の剣道も再開して活発に動いてましたね。
まさに高校デビュー、中学校の親友達とは
高校は違えど集まってゲームばっかしてた。

音楽もバンドだったり軽音部とかカッコよくて良いなと思いましたがやってる連中が
めちゃくちゃチャラ男ばかりで入らなかった。

俺にとって音楽の時間=いじめられる時間
って脳内インプットされてて
怖かったんだと思う、音楽に触れる事が

時代が流れ、人も流れ、20代は
アムウェイに手を出したり、
親友に好きな人をとられて
ギャンブル依存症に陥り、
女性に対して恋愛感情が欠落して
お金払って身体だけ貪り、借金だらけになり
ブラック企業でこき使われ
給料の改ざん、上司に脅迫、頭から血が流れる
ほどの暴力、まさに生き地獄を味わった。

今、思えば今はめちゃくちゃ幸せなんで
それが人生の暗黒時代。世界が黒くみえた
そんな時代。

地獄みたい、
生きた鬼達が冷たい棍棒で殴りつける。
なんか罰なんだな、と生きてるだけマシかと
最低で本当に基準値底辺な人間でした。

うん、人生のターニングポイントは
会社を無事に離れられた事、父に感謝

そんな父を誇りに思う。
命を救ってくれてありがとう。
で、この頃、母も危篤状態に陥るほど
ちょっと精神的にも
肉体的に大変な時期もありましたが
今は大丈夫です。そんなエピソードもあってか
まだ家を出ず実家で母の世話をしてますね。
リウマチとか筋肉の衰えとかさ大変だわさ。

今は父が大腸がんを患い、仕事出来るまで
回復したけど母とは仲良くはないみたい
父も家にいるが母と父が話してるとこはもう一年ぐらいみてない気がする。

けど、母の名前が数学の百って付いてて
親父が仕事で使う車のナンバーが100でさ。
2人が愛し合って俺を産んでくれたのは確かだと
愛されて育ててくれたと理解出来るようになりましたね。

30代、夢、希望は遅咲きだけどあります。

それは30歳なってからたくさんの
音楽家、殺陣師、舞台役者、創作作家、絵師
世界全てのクリエイティブな人々を応援する事

そして俺自身が人外コスプレ系篠笛奏者として
一人のアーティストになりたい。
自分が吹く、様々な人から勇気を頂いた
虹色の音色で世界が
ちょっとでも笑ってくれるなら
私は挑戦する。篠笛奏者になりたい。
そしてその虹色に輝く色の中で特別にしている
オレンジの色、私にとってオレンジは勇気を貰えてる色なんですよね。
一人の舞台役者を通じて人はここまで変われるのかと驚きの毎日ですが
これからもその人が掲げるオレンジ色を
大事にしながら今を楽しく生きてくと決めた。

⚙️🍊挑戦する全ての人々に、エールを🦎🌈






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