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ラズベリーパイにレトロパイを入れる前にゲーム機の歴史

ラズベリーパイとは手のひらほどの小型コンピュータです。

能力はそこまで高くないものの、Linux系のOSを入れてパソコンとして使うことができるほか、サーバーとして稼働させたり、ハードウエアの制御プログラムを動かす組み込みコンピュータとして利用されたります。

ものすごく性能は高くないですが、その小ささや10年前とは比較にならない性能が評価されて、ゲームを楽しむ人たちにも評価されています。

どれくらいの性能か、ゲーム機がどれだけ動くかをお話しする前に、ゲーム機などの歴史をみてみましょう。(一部妄想が強い場面もありますが、温かい目で読んでください)

家庭用ゲーム機(コンシューマ機)

ゲーム機は出来たところから、今まで進化をしながらとてつもないハードウエアのシェアー獲得競争とソフトウエアの売り上げ競争にさらされながら発展してきました。これを世代ごとに解説しながらみていきます。

第一世代(ゲーム機)

この時代のゲーム機はレトロゲーム機の始祖ではありますが、見たこともなく詳細も理解しておらず、私自身が懐かしくも感じないので省きます。

第二世代(ゲーム機)

・チャンネルF(フェアチャイルドセミコンダクター、1976年)
・Atari 2600(アタリ、1977年)
・ビデオカセッティ・ロック(タカトク、1977年)
・オデッセイ2(マグナボックス、1978年)
・VC 4000(インタートン、1978年)
・ビジコン(東芝、1978年)
・インテレビジョン(マテル、1980年)
・カセットビジョン(エポック社、1981年)
・Atari 5200(アタリ、1982年)
・コレコビジョン(コレコ、1982年)
・Vectrex(GCE、1982年)
・アルカディア(バンダイ、1983年)
・TVボーイ(学習研究社、1983年)

この時代のゲーム機は簡素ながらキャラクターを扱えるようになったりして、ゲームとしてある程度の地位を確立しました。
日本ではエポック社のカセットビジョンはそこそこ持っている子供がいたりして、すごい凝ったゲームではないですが、それなりに盛り上がりました。

任天堂テレビゲームシステムが発売されたのもこの時期です。ファミリーコンピュターを発売する前は、任天堂はゲーム機のメーカーとしては遅れている存在でした。
Atari2600は北米を中心にすごく売れたゲーム機です。日本では馴染みがないですが、500ドルで売り出されたこのゲーム機は翌年に320万ドルを売り上げ、3000万台を超える出荷台数とゲームパッドの接続端子が、その後のゲーム機やパソコンなどの標準的な仕様として採用されるなど、歴史的に見てもすべてのゲーム機への影響が大きかった超絶凄いゲーム機です。

第三世代(ゲーム機)

・ファミリーコンピュータ、ファミリーコンピュータ ディスクシステム(任天堂、1983年、1986年)
・SG-1000、SG-1000II(セガ、1983年、1984年)
・PV-1000(カシオ、1983年)
・Atari 7800(アタリ、1984年)
・スーパーカセットビジョン(エポック社、1984年)
・セガ・マークIII、セガ・マスターシステム(セガ、1985年、1987年)
・ツインファミコン(シャープ、1986年)

この頃からゲーム機が家庭で爆発的に普及しました。ゲーム機の夜明けです。
見たことがある名前のゲーム機が多いですね。
レトロゲーム機はこの頃のゲーム機が起点で言われる事が多いです。
ゲームもレトロゲームはファミリーコンピューターからを指すこともあります。

ファミリーコンピュターはゲームパッドに十字キーを採用して、これまで遊びにくいと感じていた操作部分に革命をもたらしたと個人的には思っています。

(ゲームパソコン)

・マックスマシーン(コモドール、1982年)
・コモドール64(コモドール、1982年)
・ZX Spectrum(シンクレア、1982年)
・ぴゅう太(トミー、1982年)
・M5(ソード、1982年)
・SC-3000(セガ、1983年)
・RX-78(バンダイ、1983年)
・PV-2000 楽がき(カシオ、1983年)
・MSX(MSX参入各社、1983年)

ゲームが手軽にできるパソコンも、この頃から出てきました。日本で有名なのは、マイクロソフトが提唱したMSXです。世界戦略モデルでしたが、アスキーの主導で展開されたため、主に日本で多くのパソコンや家電メーカーが参入しました。
パソコンとしては説得力がなく、ゲーム機としては価格が高かったのである程度売れて後継モデルも出ましたが、人気がゲーム機よりもあるとは言えませんでした。ただ、パソコンが欲しかった層には低価格だったのもあって、ある程度の人気が出てファンも多いです。
コモドール64は海外でとても人気で、現在でも熱狂的ファンがいます。コモドール64の64は64bitの意味ではなく、メモリが64kbだったので、おそらくメモリの容量から命名されたのだと思います。この頃のメモリは高価で、64kbのメモリ搭載機では圧倒的に安かったのが強みの機種でした。

これらの中で特筆すべきは、ぴゅう太です。プログラム言語が日本語表記と言う今でもない斬新なパソコンでしたが、独自性が受け入れられず、あまり人気になりませんでした。子供向けを想定してコンピューターをひらかなで表記して命名したのですが、価格も高くて実際に購入したのはパソコンに疎い年齢が高めのユーザーだったような印象です。ファミリーコンピュターが優勢な時期にゲーム機が欲しい子供たちには説得力がなかったようです。

第四世代(ゲーム機)

・PCエンジン (コアグラフィックス) 、CD-ROM2、SUPER CD-ROM2(NECホームエレクトロニクス 1987年、1991年)
・メガドライブ、メガCD(セガ、1988年、1991年)
・PCエンジンスーパーグラフィックス(NECホームエレクトロニクス、1989年)
・スーパーファミコン(任天堂、1990年)
・ネオジオ(SNK、1990年)
・PCエンジンDuo(NECホームエレクトロニクス、1991年)
・ワンダーメガ(セガ、日本ビクター、1992年)

ゲーム機が超高性能化へ向かうひとつ手前の時期です。
スーパーファミコンを中心にPCエンジンとメガドライブが三つ巴を演じていました。
ゲーム機三国時代です。
グラフィカルなゲームが特徴で、初めてゲームソフトがカセットなどからCDへ移行した頃ですが、CDは高音質、高音質なサウンドを提供しました。天外魔境Ⅱのエンターテイメント性は当時のゲームを遊んでいる人に衝撃を与えました。ゲームに声優が関わるようになったのもこの頃からでした。
けれど、読み込みが遅くてゲームの進行が中断してしまう上に、ハードウェアが最初はオプションでした。CDのハードが凄く高かったりして苦戦した時代でした。16bitゲーム機が誕生したのもこの頃です。

任天堂はCDの読み込みが遅い事に注目して、メディアをカセットにする事にこだわっていました。これが後にゲーム機メーカーが淘汰される重要な分岐点だったとは、当時の任天堂も考えていなかったようです。

第五世代(ゲーム機)

・Atari Jaguar、Atari Jaguar CD(アタリ、1993年)
・Amiga CD32(コモドール、1993年)
・FM TOWNS マーティー(富士通、1993年)
・レーザーアクティブ(パイオニア、1993年)
・3DO(3DO、1994年)
・ネオジオCD(SNK、1994年)
・プレイディア(バンダイ・デジタル・エンタテイメント、1994年)
・セガサターン(セガ、1994年)
・スーパー32X(セガ、1994年)
・PlayStation(SCE、1994年)
・PC-FX(NECホームエレクトロニクス、1994年)
・バーチャルボーイ(任天堂、1995年)
・ルーピー(カシオ、1995年)
・ピピンアットマーク(バンダイ・デジタル・エンタテイメント、1996年)
・NINTENDO64、64DD(任天堂、1996年 - 1999年)

この頃はゲーム機の覇権を争って、たくさんのメーカーがゲーム機を発売しました。8bitより16bit、16bitよりも高性能だと32bitをアピールしたのもこの頃までです。また、ゲームの記録メディアがCDになって一般化したのもこの頃です。
個性的なゲーム機が多く、FM TOWNS マーティーやPC-FXはアダルトゲームやアニメ風の可愛いキャラクターを使った今で言う「美少女ゲーム」が多くて一部のマニアに支持されました。

3DOは3Dが動くゲーム機との触れ込みで売り出されましたが、実際のゲームでは3Dで動く部分がほとんどなく、ゲームの発売も壊滅的に少なくて、「Dの食卓」は話題になったものの、それ以降のゲームに話題性もなくて継機も出たにもかかわらず、売れませんでした。アダルトゲームが正規で認められていたため、ラブホテル専用機が開発されるなどしてひっそりと稼働していた側面もあります。

バンダイとAppleコンピュータとの共同で発売されたピピンアットマークは、歴史に残るほど惨敗してしまいました。AppleコンピュータのMacOSをベースにカスタムされた直感的なゲーム機になるはずでしたが、OSはMacOSベースでしたが、Macintoshのプログラムを動かすのはできず、ゲームも絶望的に発売されなかったので、Macintoshユーザーがネタで買って、Macintoshのプログラムが動く様に改造を試みるくらいでした。

他にもバーチャルボーイやスーパー32X、ネオジオCDなど不遇なゲーム機が多い中、PlayStationが発売されたのがこの頃です。PlayStationは任天堂とソニーが共同開発していたものの、カセットのゲームにこだわっていた任天堂からリリースされることはなく、結果的にソニーから発売されました。3Dが扱える高性能なハードと高音質なサウンド、大容量のゲームも保存できて量産も容易なメディアが扱えることが、開発とユーザーから支持をうけて人気になりました。PlayStationはゲーム機戦国時代に終わりを告げるゲーム機だったと思います。任天堂がカセットのソフトにこだわっていなければ、現在のゲーム機は任天堂一強だったかもしれませんね。

ゲーム機(第六世代)

・ドリームキャスト(セガ、1998年)
・PlayStation 2(SCE、2000年)
・ニンテンドーゲームキューブ(任天堂、2001年)
・Xbox(マイクロソフト、2001年)

すでにゲーム機の開発を積極的にするメーカーは少なくなり、ゲーム機メーカーは最後の生き残りをかけて挑みます。
ゲーム機関ヶ原の戦いです。
PlayStationが発売されて、今まで優位だった任天堂が苦戦する中で、セガが渾身のゲーム機ドリームキャストを発売します。しかし、ハードの性能だけで戦える時代は終わりに向かい、善戦虚しくもセガはこれでゲーム機市場から撤退してしまいました。
PlayStationは後継モデルのPlayStation 2になりゲーム機で初めてDVDを採用したことで、映像や音声を大幅に強化させることに成功しました。さらに、DVDがビデオテープから移行して主流になる時代だったこともあり、DVDプレイヤーを単独で買うよりもPlayStation 2を買った方が安かったなど、時代背景に後押しされて歴史に残る記録的な売り上げになったゲーム機です。

任天堂もゲームキューブを発売しますが、PlayStation 2ほどの人気が出ず任天堂もゲーム機の開発で、この先苦労する事になります。

ゲーム機(第七世代)

・Xbox 360(マイクロソフト、2005年)
・PlayStation 3(SCE、2006年)
・Wii、Wii Family Edition、Wii Mini(任天堂、2006年、2011年、2012年)
・Zeebo(Tectoy&Qualcomm、2009年4月)
・Tectoy Mega Drive 4(Tectoy、2009年8月)
・ZONE、SEGA Reactor(AtGames&セガ、2010年)

任天堂は苦戦を強いられて来ましたが、PlayStation 2がPlayStation 3へ移行したこの頃に、次世代機のWiiを発売します。PlayStation 3が意外に苦戦する中で任天堂のWiiは巻き返しを図りました。結果的に任天堂は支持を受けてゲーム機市場に生き残ることになります。海外ではメガドライブが皮肉にも売れていて、互換ハードが発売されましたが、日本では過去のゲーム機になっていました。

ソニーはPlayStation 3をゲーム機だけではなく、家電製品へアクセスするための端末として世界戦略したものの、DVDプレイヤーとしても割安感があったPlayStation 2とは違い、Blu-rayを搭載したPlayStation 3はBlu-rayの優位性がまだなく、ユーザーもDVDから移行するには時期尚早と考えていた頃だったので、思ったほど売れませんでした。売れなかったと言っても十分な数は売れていて、不遇機でもなかったのですが、PlayStation 2から見れば売れなかった機種でした。

ゲーム機(第八世代)

Wii U(任天堂、2012年)
PlayStation 4、PlayStation 4 Pro、PlayStation VR(SIE、2013年、2016年)
Xbox One、Xbox One X(マイクロソフト、2013年、2017年)
PlayStation Vita TV(SIE〈旧称・SCE〉、2013年)

任天堂はWiiの派生型としてWiiUを投入しました。WiiUはコントローラーに液晶モニターを内蔵していて、テレビがなくても遊べるのが画期的でしたが、値段が高い事やコントローラーが重いこと、すでにWiiを持っている層に買い換えまでさせるほどの優位性が見られず、PlayStation 4の人気の影に隠れてしまいました。

ただし、スプラトゥーンと言うゲームが大ヒットしたのは次の世代にも影響を与えたと言えます。さらに、コントローラーに液晶モニターを搭載すると言うゲーム機は次世代機にも採用されて、任天堂がソニーと並んで日本二大ゲーム機メーカーと呼ばれる元となった。そんなゲーム機です。

ソニーはPlayStation 4を発売しました。北米とカナダで先行発売されましたが、24時間で100万台もの売り上げを記録しました。インターネットと親和性が高く、ネットワークを利用したゲームが多く発売されました。PlayStation 3のゲームを遊べないネガティブな側面はありますが、今までにないほどの高精細なグラフィックと多くのゲームタイトルに恵まれて、全世界で1億台以上が売れた歴史的ゲーム機になりました。

ゲーム機(第九世代)

・Nintendo Switch、Nintendo Switch(有機ELモデル)(任天堂、2017年、2021年)
・Oculus Quest、Oculus Quest 2(Oculus VR、2019年、2020年)[31]
・Xbox Series X、Xbox Series S(マイクロソフト、2020年)
・PlayStation 5(SIE、2020年)
・Atari VCS(アタリ、2021年)
・Intellivision Amico(英語版)(マテル、2021年)

WiiUのノウハウを活かして任天堂はNintendo Switchを発売しました。携帯ゲーム機と据え置き型ゲーム機の両方の機能を持つゲーム機は革新的で、ユーザーの心を捉て大ヒットして予約しても手に入らない状態が続きました。
PlayStationも5が発売されてこちらも人気になりました。
バーチャルリアリティを手軽に体験できるスタンドアローンのゲーム機が出たのもこの時期です。
VR機と呼ばれるそれらは、今までにない革新的な経験をユーザーに与える事になりました。今まではモニター越しに見ていた風景やキャラクターが目の前に現れて、実際に触れて動かすことも出来るようになるなど、ゲームにそのまま登場したかのように遊べる事になったのは、ゲームに革命をもたらしました。
VRの没入感は圧倒的で、描かれるグラフィックはリアルとは言い難いですが、現実の世界を忘れてしまうほどでした。
ゲーム内では動いているのに、実際では動いていないという現実との乖離があり、VR酔いという新しい問題点が生まれたのもこの時代です。

アーケードゲーム

最後のカテゴリーとして、アーケードゲームを挙げます。家庭用ゲームとは別に、ゲーム機にお金を入れて遊ばせる専用のゲーム機がアーケードゲームです。

ビデオゲームとも呼ばれていましたが、初期のゲーム機がアーケードの片隅に置かれていたなどの背景から、お金を入れるタイプ(業務用)のゲーム機を一般的にアーケードゲームと呼んでいます。

アーケードゲームの始祖と言えるのは、Atari社の「PON」と言われています。これが開発されて、一気にゲームの歴史が動きます。

日本ではタイトーが開発した「スペースインベーダー」が異例のヒット作になり、「100円タワー」や「名古屋打ち」などの言葉もこの時に生まれました。
空前のヒットになったスペースインベーダー以外にもたくさんの名作が誕生しています。
ナムコのXEVIOUSもそのひとつですし、三画面筐体という類稀なるゲーム筐体とともにリリースされたダライアスも語り継がれるゲームのひとつです。カプコンのストリートファイターⅡも格闘ゲームの人気シリーズです。前作のストリートファイターを遊びやすくアレンジしたのがウケて、空前の格闘ゲームブームの火付け役になりました。

既成概念に囚われず、奇抜な発想の体験型、体感型の筐体もたくさん発売されました。エレクトリックメカニックゲームとの融合も見られたり、家庭用ゲーム機では実現しないゲームが多くて、古いゲームでも固有のゲームに一定のファンがいるのも興味深いです。

その他のゲーム機

前述のゲーム機以外にも多くのゲーム機が存在します。多いので説明は省きます。

電子ゲーム機(第一世代)
・ゲーム&ウオッチ(任天堂、1980年)
・LCD SOLARPOWER(バンダイ、1982年)
・Tomytronic 3D(トミー、1983年)
第3世代(携帯機)
・ゲームボーイ
・Atari Lynx
・ゲームギア、キッズギア
・PCエンジンGT
・PCエンジンLT
・ゲームボーイ(任天堂、1989年)
・Atari Lynx、Atari Lynx II(アタリ、1989年、1991年)
・ゲームギア(セガ、1990年)
・PCエンジンGT(NECホームエレクトロニクス、1990年)
4世代(携帯機)
ノーマッド(セガ、1995年)
ゲームボーイポケット、ゲームボーイライト(任天堂、1996年、1998年)
game.com(タイガー・エレクトロニクス、1997年)
ネオジオポケット(SNK、1998年)
ゲームボーイカラー(任天堂、1998年)
ワンダースワン(バンダイ、1999年)
ネオジオポケットカラー、NEWネオジオポケットカラー(SNK、1999年)
ワンダースワンカラー、スワンクリスタル(バンダイ、2000年、2002年)
ポケモンミニ(ポケモン、2001年)
第5世代(携帯機)
・ゲームボーイアドバンス、ゲームボーイアドバンスSP、
・ゲームボーイミクロ(任天堂、2001年、2003年、2005年)
・GP32(GamePark、2001年)
・N-Gage、N-Gage QD(ノキア、2003年、2004年)
・Zodiac(Tapwave、2003年)
6世代(携帯機)
・ニンテンドーDS、ニンテンドーDS Lite、ニンテンドーDSi、
・ニンテンドーDSi LL(任天堂、2004年、2006年、2008年、2009年)
・PlayStation Portable、PlayStation Portable go(SCE、2004年、2009年)
・GP2X、GP2X Caanoo(GamePark、2005年、2010年)
・Dingoo A320(Dingoo、2009年)
・Pandora(OpenPandora、2010年)
7世代(携帯機)
・ニンテンドー3DS、ニンテンドー3DS LL、ニンテンドー2DS、
・New ニンテンドー3DS、New ニンテンドー3DS LL 、
・Newニンテンドー2DS LL(任天堂、2011年、2012年、2013年、2014年、2017年)
・PlayStation Vita(SIE〈旧称・SCE〉、2011年)
・NEOGEO X(SNK、2012年)
8世代(携帯機)
・Nintendo Switch Lite(任天堂、2019年)
・Playdate(Panic Inc.、2021年)

まとめ:ラズベリーパイで動くゲーム

前述したゲーム機のほとんどがエミュレーターで存在していて、ハードシュミレーターですが、ゲーム&ウォッチのゲームも体験できるようになっています。2021年7月現在ではNintendo Switchのエミュレーターも開発されており、一部のゲームも動作します。

ラズベリーパイでも多くのゲーム機のエミュレーターを動かすことができ、50種類以上のゲーム機のエミュレーターが動くとされています。
アーケードゲームの1995年くらいまでのゲームは動作しますし、ファミコンやPlayStation、メガドライブ、ドリームキャストくらいまではなんとか遊べる程度に動かすことができます。
PlayStation 2や3、ニンテンドー3DSは難しいです。PlayStation 4やNintendo Switchは動かすこともできません。

ただ、レトロゲーム機を中心に動かすなら十分な性能だと言えます。
ゲームパッドよりもアケコンの方が遊びやすいゲームはアーケードゲーム以外のゲームでも都合が良いですね。

サポートしてくださると私もあなたも幸せになれる。そんな気がしています。