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東洋経済「喰われる自治体」を読んで考える日本の教育

木下さんが出ている東洋経済読みました。

もう…本当に…そうですよね。
その通りだと思います。と思うことばかり…。
素晴らしい事例から、自治体への警鐘…。

プロと呼ばれる人に任せたい気持ちもわかる。担当になってすぐ自分ではわからないからと思う気持ちもわかる。

そして他の市町村を見て、プロに任せているからうちも。と思う気持ちもわからなくもない。

けど自分達でしっかり考えよう。
事例からそんな声が聞こえてきました。

このプロに任せたいなとか、他の自治体と同じだと良さそう!という気持ちってどこから生まれるんでしょうか?

みんな一緒だと安心はいつから育まれるのか?

みなさん子供のころどういう教育を受けましたか?

・みんなと同じ道具
・みんなと同じ服
・みんなと同じ考え

なんか同じだと安心しませんか?

コロナ禍に出てきたネタですが、こんなネタもありましたね。

●マスク政策
コロナ禍において、各国の政府が国民にマスクの使用を求めることになった。
アメリカ政府はこう発表した。
「マスクをすればあなたは英雄です」
ドイツ政府はこう発表した。
「マスクをするのがルールです」
イタリア政府はこう発表した。
「マスクをすると異性にモテます」
日本政府はこう発表した。
「みんなマスクしていますよ」

PRESIDENT ONLINE

こんなジョークが出るくらい日本人は同じことで安心しますよね。

このみんな同じだと安心する感覚、すごく…すごくわかります(笑)

以前移住ネタで書いた同じ境遇の人を探したくなる感覚に似てるなと今思いましたが、まさにこの感覚だったなと思います。

この記事にも書いていますが、なぜか自分と同じ人を探してしまうのは日本あるあるなのかもしれません。

私も今の子育てで「みんなはもってるの?」「みんなはどうしてるの?」という質問をしています。

この質問はまるで、みんながしていること=いいこと。と言う思考を植え付けるように思いました。

「あなたはどう思う?」「どう言うルールなの?」と質問を変えてみようと思いました。

間違えてはいけない気がするのはなぜか?

私は日本にいると色々な物事を間違えること=恥ずかしいと思うことがあります。

逆にアメリカやカナダにいる時は、間違えても大丈夫な気がします。何故でしょうか。

それは失敗した時にどこをみるか。なのかなと思いました。

例えば、起業して、事業に失敗した場合、日本なら、事業に失敗したことにフォーカスし、アメリカは起業というチャレンジをしたことにフォーカスするのではないかなと思いました。

みんなが「ナイスチャレンジ!次は何するの?」と言ってくれたら「よし、次は今回の経験を活かしてさらに良くするぞ!」と思えるし、
「なんで失敗しちゃったの?」と言われたら
「やっぱり失敗したよね…失敗したんだよね…」と思ってしまう気がします。

みんなが腹を括ること

いろいろな町の成功事例を見ていると、基本的にその町の町長や担当者が腹をくくって、取り組んでいるからこそ、成功するものが多いなと感じました。

失敗を失敗にせず、それをどのように活かしていくのか、成功するまでトライし続ける。そういう思いが地域活性化に繋がっていくんだろうなと思いました。

色々と考えさせられることばかり。
私も失敗を恐れず、色々と挑戦してみたいと思いました。

と、ここまで書いたところで、木下さんとのクローズドチャットでこの疑問に関する質問したら
「要は責任取りたくないんですよ」
とズバリ。

そうか…責任取りたくないからコンサルに任せるのか。
ちゃんとして考えてだした内容なら文句も言われないとおもうんだけどなぁ。結局その考えることを放棄しちゃうんだろうなぁ。悲しい。

きちんと考えて、腹を括って、パッションを持って取り組む。そんな方は何があっても責任をとってくれそうな気もしますね。

ジブン株式会社として自分の人生に責任を持つ。

身が引き締まる思いです。

ではまた。

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