【江東区】新木場駅
若洲海釣り施設で釣りをした帰り、思い立ったので東京時層地図をあけてみました。
本当に思いつきだったので新木場駅の高架下から開いてみたので、まともな写真はありません💦
現在の地図。
過去に東陽町近辺を調べたことがありました。
あのあたりにあった材木商団体が再開発により、1981年にこちらに完全移転したのが新木場の始まりです。
ものすごく遠くの記憶なのですが、電車から長い木がプカプカと浮いていた様子が見えた記憶にあります。
現在は輸入材木も増えたため貯木庫としてほとんど機能していないようです。
令和5年の世帯数が37世帯42人
令和3年の事業所数が677事業所、従業員が22,185人。
住民票に登録している人がめちゃめちゃ少ないけれど、実際には人はいそうです。
昭和初期戦前 昭和3~10年 1928年~1935年
北にあるのが木場となります。貯木場がみえますね。関東大震災後には需要が高まりにぎわったのだとか。
北東にある四角形の場所は、東京市汚水盧分場 現在の砂町水再生センター。海沿いではなく、海に島を作ってそこまで汚水を届けていたのですね。
個人的に最近は下水処理場に興味があります。本当に3日に1回は下水をそのまま流しているのか、見学に行きたいのですが、平日のみ。
西には辰巳。その上は潮見。
現在地は海の中。
夢の島というとゴミの埋め立て場でハエがすごかったというイメージですが、スタートは東京湾修築事業計画の一環で、大型の船を通そうと海底の土砂をさらったその土砂で埋め立てが始まり。当初の計画では飛行場を作る予定だったようです。
高度成長前夜 昭和30~35年 1950~1955年
戦争によって中止となってしまった夢の島飛行場計画。
その後は
台風被害と財政難で、夢の東京のハワイ、夢の島は閉鎖。
なかなか広くて良さそうなところですよね。東京のハワイ。
いいんじゃないでしょうか。
この地図の後、1957年 昭和32年に用途変更となり
ゴミ処分場へ。焼却施設の建設が追い付かずに、そのままゴミを埋め立てていました。
8年後の1965年 昭和40年 6月
江東区南部でハエが大量発生、発生源はゴミ処分場となった夢の島。
これに対して、都と江東区は
「夢の島焦土作戦」を実行。
さらに江東区は東京のゴミが集まる事に反対声明。
東京都知事の美濃部亮吉は
「東京ゴミ戦争宣言」として処分場分散を提言。
しかし、杉並区では地元住民の清掃工場建設反対で、処分場が出来ずに江東区に持ち込み。
これに江東区民は猛反発。
ついには1972年1973年に杉並区の清掃車の前に江東区長と区議が立ちはだかり、
「杉並のゴミは持ち帰れ」
の幟を立てながら追い返してしまった。
いやースゴイ話だ。まさに東京ゴミ戦争。
1983年 昭和58年に杉並区の清掃工場が稼働するまで続くのだから結局20年近くかかっている。
こりゃ大変だ。
バブル期 昭和59年~平成2年 1984年~1990年
夢の島のゴミ埋め立ては1967年に終了。
1978年 昭和53年には夢の島公園として開園。
1988年 昭和63年に有楽町線の新木場駅が開業。
土地勘があまりなかったので、夢の島と新木場が一緒だとは思っていませんでした。
新木場の人口が少ないのは都市計画で住居規制されているため。(ホテルもあるし大きなビルもあるのでとてもそんなふうには見えません)
昭和初期に始まった夢の島は 飛行場計画、海水浴場、ごみ処分場、そして現在の緑豊かな公園と企業のビルが並ぶ場所になっています。
夢の島の歴史を知ることができて勉強になりました。
東南アジアでゴミのそのまま海に埋め立てられているというのは、かつての日本の姿だったのだなとも思いました。
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