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【港区】麻布台の飯倉公館の徳川屋敷

六本木から東京タワーへ向かっていくと左手に外務省飯倉公館があります。

裏手は再開発真っ盛り、斜め向かいにはロシア大使館があり常に数人の警察官が立ち物々しい雰囲気です。

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明治初期 外務省飯倉公館近辺に徳川邸の表記があります。

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紀伊藩14代当主、徳川茂承(明治39年1906年没)が明治6年(1873年)に当時あった上杉伯爵邸を購入して移住。この地は明治になる前は上杉邸でしたから、江戸時代の武家屋敷そのままだったんでしょうね。
徳川家は御三家、御三卿が有名で、そのうちの御三家 紀州徳川家です。



明治後期 敷地内に南葵文庫ができました。Wikipediaには紀州徳川家15代当主の徳川頼倫(よりみち)が明治32年(1899年)に自宅敷地内に設立 関東大震災で被災した東大に蔵書を寄贈し閉鎖と書かれていました。現在は熱海で星野リゾートが南葵文庫の一部を所有しています。

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こちらのよると80人を定員として人を入れていた時期もあったようです。会館時間は夏季で午前8時~午後9時 勤勉ですね。



大正時代の地図 今のロシア大使館は鍋島邸だったことがわかります。官軍側の大名は明治維新後も幕府側の大名旗本を追い出した後も大きな邸宅を都内に構えていました。

このあたりお巡りさんがたくさん巡回しているので見物をするっていう感じじゃないです。

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戦前の地図です。徳川邸は学校と中華民国大使館になりました。台湾の大使館ですね。徳川邸はおそらく関東大震災で壊れたのかなと考えました。

1935年(昭和10年)公使館を大使館になったとの事。学校ができましたね。1934年(昭和 9年)麻布、麻中両校合併とありましたのでそのあたり。

貯金局というのもありますね。旧郵政省の一局ですね。

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戦後の高度成長期前夜の地図

元ソ連代表部の南にはアメリカンクラブがありますね。Wikipediaによると、

1954年に社団法人化して麻布台に移転した。当地は尾張藩主徳川慶勝の大名屋敷跡で、明治時代にはジョサイア・コンドル設計による川村純義の邸宅が建っていた。

ジョサイア・コンドルは鹿鳴館をはじめ明治期の有名な建築を設計してます。現存するのは御茶ノ水のニコラス聖堂が有名です。

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バブル期、外務省公館が出来上がりました。各国の外務大臣が来日したときのもてなす施設だということです。

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江戸時代は上杉邸、明治になってからは紀伊徳川邸、昭和になって中華民国大使館、戦後は外務省公館と変遷をしていますね。

この辺り再開発がスゴイです。隣の麻布郵便局は解体してビル建設中、数年間は日本一の高さのビルが建つ予定です。

この辺りは現在一般人は入れない場所ばかりですが、100年140年さかのぼっても一般人が入れる場所ではないのだなと学びました。ある意味聖地的な感じもしますね。


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