【千代田区】神田橋
皇居東御苑から銭湯でもいくかと神田にある銭湯を目指してみました。
道中、神田橋があったので東京時層地図をみてみると
なんと、ここにも見附、枡形門があったようなんですね。
神田橋御門。
地図には枡形門の跡がみえました。
神田橋があり、桝形門の跡があり、現在東側にある商業ビルは印刷局で、橋の北は神田区役所 さらには徳大寺邸と学習院。
この当時の徳大寺家の当主は徳大寺実則は西園寺公望の実兄。
徳大寺実則 宮内卿、内大臣、明治天皇の侍従長
墓所は多磨霊園にあるも都から無縁仏等改葬公告が出ているとか。うーん。墓の存在意味というものを考えますね。
うちもそうですが、三世代目にはもう墓所の維持すら怪しい。余裕がある人が墓作ったらいいんじゃないのとしかいえませんね。
南は大蔵省 池も見えます。池の畔の石灯篭が将門塚として祀られている灯籠。
旧江戸城写真帖 神田橋門は方向的には北から大手町方面をみている図となります。外堀と石垣が張り巡らされていたようです。
下野藩真岡の稲葉正勝!!!!
おらが村の殿様じゃないか!!!
門を作れるような力をもった大名だったのかとびっくり。
稲葉正勝は稲葉正成と春日局の子
春日局は徳川将軍家光の乳母。ということで稲葉正勝は乳兄第ということになり、小姓として仕えたようです。
元夫の稲葉正城がなんの縁もゆかりもない真岡2万石を与えられた大名になるのですから、春日局の影響力が大きいですね。
この寛永9年は春日局が従二位になった年で、これは平時子や北条政子と肩を並べる位でもう尼将軍のようなもので大変な権力をもっていたことがうかがえます。
まあ、僕の地元とつながりあるので興味がわいた場所になりました。
橋を越えて銭湯のある場所へ。現代の地図だとちょっと北側の公園の対面が銭湯です。
近くにお稲荷様があったので参拝してみました。
御宿稲荷神社
徳川家康由来なんですね。地図には記載が確認できなかったのですが行ってみないとわからないものです。
銭湯ブームもあってか大混雑。銭湯に入る際に、女の子は常連さんがいるからその人と一緒に女湯に入った方がいいといわれて、娘は半泣き。
結局男湯に入ることになりましたが、男性裸体の数々で、やっぱ銭湯はどこも混んでる時代なんだと痛感しました。
で、娘は風呂場の床で滑ってすってんころりん。
転び方めちゃくちゃ危なかったですが、お稲荷様へお参りのせいか無傷で済みました。
もう小学生になったので一緒に銭湯にはいけません。
行った先で〆に銭湯に入るコースは、もうちょっと早く気が付いておけばよかったですね。
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